今日も元気にみんな集まりました!
今日はリーダーによる授業です。
いつも通り「教会学校・はじめの祈り」でスタート!
(覚えていない人はしおりをちゃんと持ってきてください!)

まずは歌の練習をしました!

そして授業を始めます。

この1年を通して、教会学校では「イエス様と出会う」というテーマをもって授業をしています。
今日のミサの福音朗読は、イエス様と出会ったある人たちの話です。

福音書にはいろいろな人たちが登場しますね。
イエス様を信じる人たち、イエス様に助けを求める人たち、イエス様と共に働く人たち…
それだけではありませんでした。
イエス様と言い争う人たち、イエス様を殺す計画を立てる人たち、そして、イエス様を受け入れない人たち。
今日の福音朗読から、私たちがイエス様を受け入れるためにはどうしたら良いか、考えていきましょう。

ルカによる福音の4章14〜30節をリーダーが読みました。

少し読んだ内容をおさらいするために、質問プリントを用意しました。
福音が書いてあるプリントと、質問が書いてあるプリントを配布しました。

まず、1から3までの答えを書いてみましょう。

1. ナザレに来る前の町では、イエス様はみんなからどう思われていたでしょうか?

イエス様はシナゴーグというユダヤ教の会堂で教えていました。
キリスト教でいう教会のようなところでしょう。
神の子なんだけど、人間の子、特にユダヤ人として地上に来られ、
マリア様とヨセフ様に育てられて、
大人になるまでユダヤ人の中で生活していました。

イエス様はユダヤ教のラビと呼ばれる教師として、福音宣教を始めました。
イエス様は福音、つまり「よろこびの知らせ」について教えられたので、教えを聞いた人たちは喜びました。

また、病気の人、悪霊に取りつかれた人たちを癒しました。
ユダヤ人の中で嫌われている罪びととされている人や徴税人たちを招いて食事をしました。

福音によって喜びを知った人も、病気や悪霊から癒された人も、
ユダヤ人の中で嫌われていた罪びとや徴税人も
イエス様のことを「先生!」と慕ったでしょう。
さっき読んだところにも「皆から尊敬を受けられた」と書いてありましたね。

2. ナザレとはどんなところですか?
さあ、みんなこの質問にはすらすら回答できるはずなんだけど・・・。
わからない子はクリスマスの聖劇を思い出してください。

まず、ナザレには誰が住んでいたでしょうか?
イエス様のお母さんになったマリア様がナザレに住んでいましたね。
ヨセフ様もいました。
イエス様がお生まれになったのはベツレヘムだけど、
それはその時ユダヤ地方を支配していたローマ帝国の皇帝の
「どこにどのぐらいの人が住んでるからわからんから、自分の町に行って登録してね」
って言う命令に従ってベツレヘムに行ってただけだから、住んではいませんでした。

このナザレの町でイエス様は、マリア様とヨセフ様のいう事をしっかり聞いて育ちました。
またイエス様が大きくなってからも、福音宣教を始めるまで、この町で「大工」として働いていました。
さっき読んだところには「イエスはお育ちになったナザレに来て・・・」と書いてありますね。
育ったり、仕事をしていたという事は、マリア様やヨセフ様以外にもいろんな人がイエス様を知っていたでしょう。
福音書にはほとんど書かれていないイエス様の私生活について知っている人が多くいたと思います。

子供のころ一緒に遊んだ人、イエス様が教えを受けた人、イエス様の面倒を見ていた人…
福音書には書いていないけれど、実際にはそのような人たちがいたのだと思います。

3. ナザレの人たちはなぜイエス様を受け入れなかったのでしょうか?
ナザレはイエス様がお育ちになった町ということがわかりましたね。
では、なぜその町でイエス様は受け入れられなかったのでしょうか?
会堂でイエス様が話されたことは、本当に「福音」、つまりそこにいる人たちには「良い知らせ」でした。
まずは今の旧約聖書のイザヤ書に書かれていることを朗読しました。
「主の霊がわたしの上におられる。・・・」というところですね。
そしてイエス様はその言葉が「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と仰っています。
神様が貧しい人に良い知らせを届けたいために、救い主を人々の為に送った。
そして、その良い知らせによって、本当の神様の愛を人々に告げるために救い主を送ったということでしょう。

それに対して、ナザレの人たちはその「恵み深い言葉」に驚くのだけれど、同時にこうも言いました。
「この人はヨセフの子ではないか。」

同じ出来事が違う福音書でも書かれています。
マルコによる福音を見るともっと具体的なことが書いてあります。

「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。
この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。
この人は、大工ではないか。
マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。
姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」

簡単に言ってしまえば、イエス様を救い主とは思えなかったのです。
それは、イエス様をただ「ヨセフの子」としてしか見ていないからです。
イエス様が話したことよりも、自分たちが知っているイエス様の方が、ナザレの人たちにとっては本当のことだったのです。

イエス様はそのナザレの人たちの心の中を知っていました。
「はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。・・・」と仰いました。

せっかく神様の言葉を預言者が伝えてに来ても、自分の故郷では「あの人が誰かの子だよね」と、
言葉よりも、誰の子で、どこで育ってどんな人だったか、という事が人々には大切ということ。
それはつまり、神様の言葉よりも、自分たちの知っている事の方が大切だということです。
ナザレの人たちはそう思っていることを、イエス様は知っていたのでした。

福音の内容はこんな感じです。
さて、最後の質問が残っています。
この話を聞いたみんなに考えてもらいたいことです。

4. イエス様を受け入れるために、わたしたちはどうしたらいいのでしょうか?
これはみなさん自身が考えて書いてみてください。
ミサの中では神様の言葉として聖書が読まれます。
大切なのは誰が読んでいるか、ではないですね。
話している内容は難しいかもしれないけれど、静かに耳を傾けることは大切です。

ミサ以外では、どうでしょうか。
みんなは前の授業でリーダーがお話しした「四人目の博士」の話を覚えていますか?
アルタバンという人の話です。
アルタバンは主の公現の時に三人の博士と一緒にイエス様に会いに行きたかったけれど、
途中で様々な傷ついた人や貧しくて困っている人達を助けているうちに、
とうとうイエス様に会うことはできませんでした。
しかし、アルタバンの死の直前、夢にイエス様が現れました。
「お前が出会った傷つい人、貧しい人は、すべて私だったのだ。だからお前は私に何度も会っているんだ。」
と言いましたね。

マタイによる福音ではこんな言葉もあります。
「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」
小さいものとは、まさに苦しんでいる人たちのことです。
みんなの友達の中で泣いている友達がいて、その子のために、何かをしてあげる、
それも泣いている友達の中にいるイエス様を受け入れることですね。

みんなの中にもイエス様がいます。
ミサの中で御聖体を頂いて、皆さんは少しずつイエス様に近づくのです。
教会で出会う人、お父さんお母さん、友達、リーダー達、
みんなの中にいるイエス様に気づいて受け入れるようにしましょう。

さあ、今日の話はここでおしまいです。
最後に、私たちがいつも近くにいるイエス様に気が付き、受け入れることができますように、
マリア様にお祈りをして終わりましょう。

また来週も元気に集まってくださいね!!