今日は、四旬節最後の主日である受難の主日(枝の主日)です。
松戸教会では、午前8時、そして、午前10時半からミサが行われました。

受難の主日(枝の主日)は、信者がそれぞれに枝を持ち、行列をして受難の道に入ったことを思い出す典礼です。(ユダヤ人の)過越祭に合わせ、主イエスがエルサレムに入ったことをを記念して行われます。
その際、多くの群集が、子ロバにまたがって入城するイエス様を群集が衣服や枝を持ち、歓呼を持って迎えます。(しかし、その数日後、その群衆は、イエス様を「十字架につけろ!」と叫びます。)
今日から、典礼暦の頂点である聖週間が始まります。

 

教会入口で、用意された枝を受け取り、聖堂へと向かいます。

 

 

 

 

午前10時半からのミサでは、まず、「枝の式」が行われます。
信徒は、外の駐車場で、フィリップ神父様を待ち、交唱を歌い、神父様をお迎えします。

 

 

 

 

そして、枝の式が始まり、枝を持った会衆を祝福する祈りが唱えられます。

 

 

 

祈りが唱えられた後、フィリップ神父様が枝(棕櫚の葉)を祝福をします。

 

 

 

 

 

そして、入城の福音朗読が行われます。

 

福音朗読 マルコによる福音書 11章1~10節

 

 

 

 

福音朗読後、枝の行列を行いました。
「ダビテの子」を歌いながら、下の広場からスローブを登り、入堂します。

 

行列が、聖堂に入ると、今度は「聖なる町に」を歌います。

 

そして、集会祈願を唱え、ミサが開祭します。

 

 

 

そして、ことばの典礼が行われます。

 

 

詠唱は、今日は少し長めのものが歌われ、受難朗読が始まります。
ご受難の朗読(福音朗読)は、神父様(イエス様)と朗読者2人(第1朗読者;語り手、第2朗読者:その他の登場人物)と会衆全員(群衆)で行います。

 

受難朗読のなかで、会衆全員で「十字架につけろ」と言います。
そして、私たちが、罪のないイエス・キリストを十字架へと導いたことを思い起こします。

 

イエス様が亡くなられる箇所では、頭を下げて、しばらく沈黙のうちに祈ります。

 

 

 

第1朗読 イザヤの預言 50章4-7節
第2朗読 使徒パウロのフィリピの教会への手紙 2章6~11節
受難朗読 マルコによる主イエス・キリストの受難 15章1~39節

 

 

 

 

説教要旨

今日は受難の主日です。
百人隊長が「本当に、この人は神の子だった(マルコ15章39節)」と、言います。
今日の受難の主日のメッセージは、マルコ福音書から読まれました。
福音書には、イエス様が多くの人を癒された事が記されていますが、イエス様はいつも人々に「この事を誰にも話してはならない」と仰られます。
悪霊に取りつかれた人から悪霊を除き、苦しんでいる人たちを解放したイエス様は、なぜ秘密にされるのでしょうか?
そして、なぜ、聖マルコは、聖書学者たちが「キリストの秘密」としていることを、公にされたのでしょうか?
それは、誰もが受難を経験するまでは、癒しの事、救いの事を理解できないからです。
アダムは、御父を背きましたが、イエス・キリストに従って十字架につけられることを受け入れられます。
イエス様は、犠牲的愛をもって、憎しみと死に打ち勝つために十字架につけられました。
それまで十字架上のイエスを軽蔑していた百人隊長は、その姿を見て、あふれ出る愛を感じた時、本当に、この人は神の子だったと言いました。それは、十字架上のイエスの犠牲的愛を目の前で見て、神様の不思議な愛を理解したからです。
十字架上の出来事を考えると、イエス様がどのような方であるかを知り、最早何の疑いもなく、すべての御業を説明する事が出来ます。
また、私たちが、何者であるかという事を隠す必要もありません。私たちは、キリスト者です。私たちは、キリストと同じようにすべての人を愛するように、また、犠牲的愛を行うために産まれています。私たちは自分を無にして、溢れる程の神様の愛を体験する事が必要です。私たちは、十字架を首にかけたり耳につけたりしています。それは宝石に勝るものです。2000年前にゴルゴタで起こったことを思い起こすためにだけ、十字架をかけているものではありません。神様の愛は隠されたものではなく、すべての人に宣べ伝えるために十字架を身につけるのです。

この聖週間の間に、過越の聖なる三日間(聖木曜日、聖金曜日、復活の聖なる徹夜祭)の祈りに是非参加してください。
受難や死がなければ復活はありません。受難・死を迎える今週、主イエス様と一緒に旅をしましょう。私たちが正しい命、すなわち、復活を体験できるように祈りましょう。

父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。

 

 

 

そして、聖変化…

 

 
最後に派遣の祝福が、行われます。
私たちが主イエス・キリストの受難・死・復活を共に過ごせるように祈り、ミサは閉祭します。

 

 

いよいよ聖週間が始まりました。
聖週間の祭儀に出来るだけ参加し、キリストの過越の神秘に感謝しましょう。