本日、「主の晩餐の夕べのミサ」が行われました。
聖木曜日の夕刻に行われるこのミサでは、キリストが聖体を制定し、自らの記念としてこれを行うように命じた「最後の晩餐」を直接記念します。

 

聖木曜日の夕刻にささげられるこのミサの直前で四旬節が終わり、「過越の聖なる3日間」が始まります。
イエス様の「受難・死・復活」を一年のうちで最も荘厳に記念する過越の聖なる3日間」は、典礼暦年全体の頂点に位置づけられています。

 

 

 

今日のミサは、寺西 英夫神父様(東京教区本部協力司祭)主司式で行われました。
久々に栄光の讃歌を歌い、寺西神父様が集会祈願を唱えました。

 

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第1朗読と第2朗読の箇所も「過越の食事」についての箇所が朗読されます。

 

第1朗読では、エジプトの奴隷状態から脱出する夜の事を前もってモーセとアーロンが告げられる箇所が朗読されました。
神様は、過越の際、どのような食事をとるか、どのようにするべきか、細かく告げてくださり、ユダヤ人は、エジプトを脱出することが出来ます。
神様は、「傷のない1歳の雄の子羊」を屠り、その「血を子羊を食べる家の入口の2本の柱と鴨居に塗り」、肉を火で焼いて食べろと仰ります。また、「酵母を入れないパン」を苦菜を添えて食べろと伝えます。

この出来事を「過越」と呼び、ユダヤ人は、この出来事を記念して、毎年、過越祭を祝います。

 

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第2朗読では、使徒パウロが、コリントの教会の信徒に「主の晩餐」の意味を解き明かした箇所が朗読されました。

コリント教会では、主の晩餐を祝いながら、仲間割れがあり、貧しい人への配慮に欠けているという問題がありました。そこで、聖パウロは、もう1度「最後の晩餐」でイエス様が使徒たちに仰った言葉を引用され、ミサの意味を伝えます。

 

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そして、福音朗読。

福音朗読では、過越祭の前日に行われた「最後の晩餐」の箇所が朗読されます。(マタイ・マルコ・ルカ福音書では、最後の晩餐は過越の食事であったと伝えていますが、ヨハネ福音書では、過越祭の前日のことになっています)

この最後の晩餐の中、イエス様は、弟子たちの足を洗い、遜ること、そして、互いに愛し合う事の大事さを身をもって示されます。

 

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そして、寺西神父様のお説教が行われました。

 

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説教要旨

毎年、主の晩餐の夕べのミサでは、ヨハネによる福音書13章の箇所が選ばれています。

過越祭の前のことである。イエスは、この世から父の下へ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。(ヨハネによる福音書13章1節)

このような大変荘厳な、そして、意味深い言葉でこの13章は始まります。
イエス様は「死」を、「父の下へ移る」と表現されています。私たちは、イエス様が父のひとり子として父である神様の下からいらしたことを信じています。それは、私たちも同じように父である神様のもとから来ています。創世記の始まりに人類は、父の一声によって始まったとあります。ですから、私たちにとっても「死」は、「父の下へ移る」時、本当の故郷に帰る時なのです。その帰り道には、イエス様がちゃんと足跡を残してくださっています。
イエス様が、「父の下へ移る」ことを悟った時に、何をなされたかといえば、「世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。」ヨハネはそのように記しています。
原文では、「終局まで愛した」とあります。世にいる間、人々を、弟子を愛し続けておられましたが、最期の時が来た時は、「この上なく」「愛し抜かれた」のです。

そして、弟子たちと最後の食事をとります。
最後の食事の中で、イエス様は、ご聖体の秘跡をお定めになりました。
ですから、このミサは、「主の晩餐の夕べのミサ」と名付けられ、その最初のミサを記念するミサとなりました。

ところで、ヨハネ福音書では、他の福音書では記されている「これは、あなた方のためのわたしのからである。私の記念としてこのように行いなさい」というミサについての箇所が記されていません。その代わりのように、イエス様が弟子たちの足を洗ったと記されています。
「足を洗う」とは、当時、イスラエルなどのパレスチナ地方では、裸足にサンダルを履いて移動していましたから、来客があった際、その家の主人が貴重な水を使い賓客の足を洗う「御もてなし」でした。
福音書を記したヨハネは、他の福音記者が記した「ご聖体の秘跡」と「足を洗うという行為」が表と裏のように同じことだと捉えていたようです。イエスが生涯をかけて示した父なる神様の愛がどれほど深いか、イエスはただただそれを人々に告げるために、言葉だけではなく行いも示されました。

そして、今夜、父である神の愛が、究極的な最後を結ぶ。それが、パンと葡萄酒の中に自分を残す事であり、弟子たちの足を洗う事です。
今夜、私たちはこの後、「ご聖体を頂く」、「弟子の足を洗った」というその2つのことをこのミサのなかで同時に記念します。

素晴らしいモノを頂いたら、少し運動しないと体に良くありません。美味しいモノばかり食べて、何もしなかったら、病気になってしまいます。
神様から頂いた命もそうです。溢れるほどの愛を頂いた私たちは、それで終わりにしないで、人々にそれを返していく、奉仕をしていく、「足を洗った」互いに愛し合う心は、色々な形で表すことが出来るでしょう。イエス様は、貧しい人や苦しんでいる人たちのお世話をしました。「神様はあなた方を見捨てていない。見捨てるどころか、誰よりも先に愛して救う」と約束され、現実に病を治し、癒し、一緒に食事をとりました。そうして、具体的な愛の模範を示されました。
私たちもイエス様の模範に従い、奉仕に励むようにしたいと思います。

 

 

 

第1朗読 出エジプト記 12章1~8節,11-14節
第2朗読 コリントの教会への手紙 11章23~26節
福音朗読 ヨハネによる福音書 13章1~15節

 

 

 

 

 

お説教の後、今日、朗読された福音書のなかでもあったように、イエス・キリストが最後の晩餐の夜、自ら弟子たちの足を洗うことにより、ご自分が「仕えられるためではなく、仕えるために来た」ことをお示しになったことを記念し、洗足式が行われました。

(12使徒、イスラエル12部族からちなんで)松戸教会の8つの地区から各1名ずつ、MCCICから2名、青年から1名、中高生から1名の12人の信徒が代表して、フィリップ神父様に足を洗っていただきました。

 

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その後、聖体拝領が行われました。
同じ1つのパンを分け合うことを通して、キリストとの一致を深く味わいます。こうして、ミサが一致の秘跡であり、キリスト者の生活の中心であることが明らかにされます。

 

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聖体拝領後、祭壇上のご聖体に献香し、ご聖体を別の場所に移動します。

 

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そして、ご聖体を仮祭壇に移し、献香してから聖体を仮の聖櫃におさめます。

 

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最後に信徒たちは、左右に分かれ、詩編55と詩編27を唱和して祈ります。

 

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その後、その場で閉祭の歌を歌い、閉祭となりました。

 

 

 

ミサ後、仮祭壇の前でお祈りされている信徒の方が大勢いました。

 

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祭壇上のすべてのものを取り除き、裸の状態にされます。聖体ランプも灯っていません。
キリストの受難と死が始まったのです。

 

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明日は、聖金曜日「主の受難」の祭儀です。