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本日、午後2時から聖週間のための青年の侍者会が行われました。
聖週間、そして、復活祭で侍者を務める5人のメンバーを中心に、侍者としての練習を行いました。

 

まずは、自分の役割の確認をします。
今年は、受難の主日、聖木曜日の主の晩餐の夕べのミサ、聖金曜日の主の受難の祭儀、そして、復活の聖なる徹夜祭、復活の主日にそれぞれヨゼフ会の方々と侍者の奉仕を行います。
ミサ、祭儀の意味を確認し、昨年のミサ、祭儀の流れを確認しながら、行う奉仕の練習をします。
今回、始めて聖週間で侍者を務めるメンバーに行ったことがあるメンバーが所作を伝えたり、式次第のなかでどのような役割があり、どのように動くのかをお互い確認しました。
また、教会学校のリーダーを務める青年達は、子どもたちの役目も同時に確認します。

 

 

また、今回は、香炉の扱いの練習も行いました。
清めや聖変化の際での香炉の扱い方の練習も行いました。
経験のある青年が、所作やタイミングを伝え、全員が行えるように練習しました。

 

いよいよ来週からは、聖週間が始まります。
青年達も聖週間の準備に勤しんでいるようです。




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3月24日土曜日、復活祭前の教会の大掃除が行われました。皆様、お疲れ様でした。
お台所の食器棚は以外に大変でしたが笑顔で乗りきりました。
地下ホールはテーブル大移動しながら床掃除に加え、窓拭きもでした。
ヨゼフ会と合同でお聖堂担当の松戸地区、雑巾を絞る手にも力が入りました。
各担当場所を終えたら人手不足の場所のお手伝いも行いながら1時間ほどで終了しました。
後片付けまで済ませ、翌日受難の主日から聖週間となります。




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毎年、聖週間直前の土曜日、松戸教会では、大掃除を行い、聖週間を迎える準備を整えます。

ヨゼフ会は、聖堂などの普段手が届かない様々な箇所や力仕事などの担当です。

 

四旬節の大掃除では、昨年8月にワックスがけをしたこともあり、聖堂やエントランスホールや地下ホールでの力仕事や高い所を綺麗にするのみです。

 

まず、全員集まり、役割分担を行います。

 

そして、各々、担当の箇所で大掃除に参加しました。

今年も、多くの方に集まって頂き、短い時間で終わらせることが出来ました。来年もよろしくお願い致します。




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本日、四旬節の大掃除が行われました。
松戸教会では、毎年、聖週間前に大掃除を行い、主のご復活の準備を整えています。

 

午前10時に地下ホールに集合し、前もって定められた分担を確認し、ヨゼフ会、各地区それぞれ担当の場所に分かれ、毎週各地区ごとに行う掃除では行えないような箇所も丹念に行います。

 

 

台所や…

 

ルルドや聖堂の外も…

 

事務室も…

 

地下ホールの外も……

 

もちろん、聖堂も…

内陣は、典礼委員のみなさんが…

 

幼稚園では、聖祭具磨きを、普段侍者をしている教会学校の子ども達や青年達が磨きます。
磨いた後の聖器物はどれも輝いています。侍者をしている子どもたちや青年も自分たちで磨くことによって、より祭壇奉仕への思いも強くなったと思います。

 

多くの所属信徒が大掃除に参加し、聖週間の準備を行いました。

明日からは、「聖週間」が始まります。この1週間は、典礼暦の頂点です。
信者は、「過越」を共にし、イエス様のご復活を迎えます。




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今日は、四旬節最後の主日である受難の主日(枝の主日)です。
松戸教会では、午前8時、そして、午前10時半からミサが行われました。

受難の主日(枝の主日)は、信者がそれぞれに枝を持ち、行列をして受難の道に入ったことを思い出す典礼です。(ユダヤ人の)過越祭に合わせ、主イエスがエルサレムに入ったことをを記念して行われます。
その際、多くの群集が、子ロバにまたがって入城するイエス様を群集が衣服や枝を持ち、歓呼を持って迎えます。(しかし、その数日後、その群衆は、イエス様を「十字架につけろ!」と叫びます。)
今日から、典礼暦の頂点である聖週間が始まります。

 

教会入口で、用意された枝を受け取り、聖堂へと向かいます。

 

 

 

 

午前10時半からのミサでは、まず、「枝の式」が行われます。
信徒は、外の駐車場で、フィリップ神父様を待ち、交唱を歌い、神父様をお迎えします。

 

 

 

 

そして、枝の式が始まり、枝を持った会衆を祝福する祈りが唱えられます。

 

 

 

祈りが唱えられた後、フィリップ神父様が枝(棕櫚の葉)を祝福をします。

 

 

 

 

 

そして、入城の福音朗読が行われます。

 

福音朗読 マルコによる福音書 11章1~10節

 

 

 

 

福音朗読後、枝の行列を行いました。
「ダビテの子」を歌いながら、下の広場からスローブを登り、入堂します。

 

行列が、聖堂に入ると、今度は「聖なる町に」を歌います。

 

そして、集会祈願を唱え、ミサが開祭します。

 

 

 

そして、ことばの典礼が行われます。

 

 

詠唱は、今日は少し長めのものが歌われ、受難朗読が始まります。
ご受難の朗読(福音朗読)は、神父様(イエス様)と朗読者2人(第1朗読者;語り手、第2朗読者:その他の登場人物)と会衆全員(群衆)で行います。

 

受難朗読のなかで、会衆全員で「十字架につけろ」と言います。
そして、私たちが、罪のないイエス・キリストを十字架へと導いたことを思い起こします。

 

イエス様が亡くなられる箇所では、頭を下げて、しばらく沈黙のうちに祈ります。

 

 

 

第1朗読 イザヤの預言 50章4-7節
第2朗読 使徒パウロのフィリピの教会への手紙 2章6~11節
受難朗読 マルコによる主イエス・キリストの受難 15章1~39節

 

 

 

 

説教要旨

今日は受難の主日です。
百人隊長が「本当に、この人は神の子だった(マルコ15章39節)」と、言います。
今日の受難の主日のメッセージは、マルコ福音書から読まれました。
福音書には、イエス様が多くの人を癒された事が記されていますが、イエス様はいつも人々に「この事を誰にも話してはならない」と仰られます。
悪霊に取りつかれた人から悪霊を除き、苦しんでいる人たちを解放したイエス様は、なぜ秘密にされるのでしょうか?
そして、なぜ、聖マルコは、聖書学者たちが「キリストの秘密」としていることを、公にされたのでしょうか?
それは、誰もが受難を経験するまでは、癒しの事、救いの事を理解できないからです。
アダムは、御父を背きましたが、イエス・キリストに従って十字架につけられることを受け入れられます。
イエス様は、犠牲的愛をもって、憎しみと死に打ち勝つために十字架につけられました。
それまで十字架上のイエスを軽蔑していた百人隊長は、その姿を見て、あふれ出る愛を感じた時、本当に、この人は神の子だったと言いました。それは、十字架上のイエスの犠牲的愛を目の前で見て、神様の不思議な愛を理解したからです。
十字架上の出来事を考えると、イエス様がどのような方であるかを知り、最早何の疑いもなく、すべての御業を説明する事が出来ます。
また、私たちが、何者であるかという事を隠す必要もありません。私たちは、キリスト者です。私たちは、キリストと同じようにすべての人を愛するように、また、犠牲的愛を行うために産まれています。私たちは自分を無にして、溢れる程の神様の愛を体験する事が必要です。私たちは、十字架を首にかけたり耳につけたりしています。それは宝石に勝るものです。2000年前にゴルゴタで起こったことを思い起こすためにだけ、十字架をかけているものではありません。神様の愛は隠されたものではなく、すべての人に宣べ伝えるために十字架を身につけるのです。

この聖週間の間に、過越の聖なる三日間(聖木曜日、聖金曜日、復活の聖なる徹夜祭)の祈りに是非参加してください。
受難や死がなければ復活はありません。受難・死を迎える今週、主イエス様と一緒に旅をしましょう。私たちが正しい命、すなわち、復活を体験できるように祈りましょう。

父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。

 

 

 

そして、聖変化…

 

 
最後に派遣の祝福が、行われます。
私たちが主イエス・キリストの受難・死・復活を共に過ごせるように祈り、ミサは閉祭します。

 

 

いよいよ聖週間が始まりました。
聖週間の祭儀に出来るだけ参加し、キリストの過越の神秘に感謝しましょう。