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ヨゼフ会主催の勉強会がマリア会の髙田神父様をお招きして、下記の日程で行われます。今回は「典礼」について勉強していきます。多くの皆様のご参加をお待ちしております。

シリーズ ミサ典礼について考える
第一回テーマ ミサ典礼を見直そう
日時 11月10日(土) 15時から18時まで
場所 カトリック松戸教会 地下ホール
講師 髙田裕和神父様(マリア会)



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青年有志たちで作っている同人誌「野ばら」の第16号が発刊されました。

「野ばら」は、2016年5月に創刊され、以来、1か月おき(奇数月)に発刊しています。
「野ばら」というタイトルは、この同人誌の発起人がつけたもので、マリア様をイメージしたものだそうです。

この同人誌の中で、青年達は、カトリック文学に挑戦しています。自分の信仰を内省し、祈りのように、書き上げています。

 

宮原助祭にもプレゼント!

 

各号には、それぞれテーマを設け、執筆しています。
第16号は、「晩秋・冬・死者の日・待降節・降誕」をテーマに、詩や散文が収録されています。

 

PDF版も無料で配布しています。バックナンバーも取り揃えています。(リンク先よりダウンロードが出来ます)

 

 

野ばらの巻末には、連絡用メールアドレスなどを載せていますので、感想等を、御寄せ頂けたら幸いです




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松戸教会では、毎月第1週の主日のミサのなかで、その月に誕生日を迎えられる方々の祝福を行っています。

 

今月は、本日・年間第31主日のミサのなかでフィリップ神父様にお祈りを唱えて頂き、灌水して、祝福して頂きました。

8時のミサ

 

10時半のミサ

ミサに与った方々からも祝福の拍手が送られました。
11月生まれの皆さま、お誕生日おめでとうございます!




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11月は、死者の月です。
カトリック松戸教会では、11月2日(死者の日)11月3日(墓参)が行い、亡くなった方に祈りを捧げました。

 

年間第31主日のミサで、記念唱の際に、宮原助祭によって故人のお名前が読み上げられ、会衆とともに祈ります。

目にみえない世界に入ったすべての人との連帯を意識し、つながりの中にある自分を改めて想い、祈りを捧げました。




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毎月、第1週、小集会室で中高生の勉強会が行われています。
今月は、参加したのは3人。

今月で、典礼歴が終わりますね。
教会の1年にふさわしい内容にしたいと思い、今月の内容は、「神の国」です。

キリスト者として、そして、自分とは?自分の人生とは?
少しゆっくり考えるきっかけになればと思います。

 


 

今月のテーマ

● 神 の 国 ●

 

 

さて、もうすぐ教会の1年が終わります。
教会の1年の終わりには、必ず毎年1つのことを私たちは、思い起こします。

それは、キリストの再臨です。
キリストがもう1度来られる時、私たちは最後の審判を受け、王であるキリストが治める神の国の住人となれるかが問われます。
キリストは神の国の王であり、私たちの真の王です。それをお祝いするのが、1年の最後の主日となる「王であるキリスト」です。
最後の主日である王であるキリストを含め、年間第32主日、年間第33主日の3回の主日は、「終末主日」と言われ、世の終わり つまり、イエス様がもう1度来られる時のことを思い起こさせます。終末的思想は、イエス様の生きていた時代に満ちていました。バビロン捕囚から後、聖書が語る(当時はもちろん新約聖書はなく、旧約聖書を聖書と呼んでいたわけですが)黙示的な世界、そして、今起こっている現実(バビロン捕囚からユダヤ人は、バビロニア、マケドニア、ローマと支配され続けてきた)からの逃避(したくなる気持ちもわかりますよね。。。)していた部分もあったかもしれませんね。世の中が終わり、キリストが降りて来られて、この哀れな現実の世界が終わり、自分達を救ってくれる……自分たちがダビデの時代のような豊かな生活を送れる…そのように思っていました。律法を守った生活を送ることで、神様がもう1度あの「出エジプト」の時のように自分たちを救ってくれると思っていたのです。

神の国とは、自分たち「神様から選ばれた、神様と契約を結んだ民である自分達」が、「自分達らしく」「自由に」「豊かに」暮せる国であると思っていたのです。だから、神様との契約をあらわす「十戒」は、何より大事とされ、それをより細かく規定した律法を守ることが大事だったのですね。
でも、「自分達らしく」「自由に」「豊かに」のとらえ方が、違いますね。
それはピラトとの問答によく表れています。

 

ピラト「お前がユダヤ人の王なのか」
イエス様「わたしの国は、この世には属していない」

ヨハネによる福音書 18章35-36節

 

イエス様の仰った「わたしの国は、この世には属していない」は、イエス様が王となる国は「この世に根拠をおいていない」という意味です。

根拠…その説明が次のイエス様の言葉によって示されます。

 

わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く

ヨハネによる福音書 18章 37節

 

では、「真理」とはなんでしょう?
「真理を証しするために来られた」ということは、イエス様の生き方、言葉によってそれが示されているということです。
イエス様の生き方、言葉…そうですね。
それは、まさに「十字架上の死」によって示されているのです。

そして、前から話している通り、十字架上の死は「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された(ヨハネによる福音書3章16節)」の言葉とおり、神様の私たちへの愛を示されています。
つまり、イエス様が、証した真理とは、「神様の愛」なんですね。「神様の愛に属する人」こそ神の国の住人ということになります。
そう、神の国は、「神様の愛によって支配された国」なんですね。
イエス様が、「もし、わたしの国がこの世に属していれば、わたしがユダヤ人に引き渡されないように、部下が戦ったことだろう」と否定されているように、神の国は力によって支配されるものではありません。

さて、では、キリスト者として、「神の国」の完成に務める私たちはどうすればよいのでしょうか?
どうすれば、私たちは、神の愛に属することができるのでしょうか?

イエス様は、「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい(マタイによる福音書 16章 24節) 」とその答えを仰っています。それは、ラクダを針の穴に通すくらい難しいことかもしれません。
私たちが全てを捧げ、何も持っていないものになった時、ようやく通れるものです。

最後の審判の時に、「羊」と「山羊」に分けられますよね。
山羊は、野生の動物ですから、1人で生きていける強い力を持っています。羊は、山羊が家畜化され、牧者なしには、そして、群れの中にいなければ生きていけません。
神の国に入れるのは「羊」ですね。

羊のように神様がいなければ生きていけないくらい、小さな自分になり、神の愛を受け取り、その愛に応えていく。
その応えこそが、みんなの背負う十字架です。神のみ旨です。

みんなが背負う十字架は、なんですか?

背負う十字架から逃げていませんか?
神様の愛に気づくことから、逃げていませんか?

神様から、みんな、それぞれ大きなタレントを頂いています。
そこに大きな答えがあるはずです。

したいことではなく、すべきことをしてください。
「隣人を自分のように愛すこと」が私たちにイエス様が残された大きな掟です。
目の前にいる困った人に、本当は、もっと与えられるのに、怠っていませんか?目の前にある正義から外れた世界を放置していませんか?
堅信の勉強会の時に、「怠りも罪」ということは伝えましたね。
みんな、それぞれ、もっと出来るはずです。多くの気づきがあるはずです。
神様を心から信頼して、神様の愛を真正面から受け取ってください。

イエス様は、私たちの大きな模範です。イエス様が、100%神様の愛に満たされ、どのようになさったか、みんなはもう知っています。

堅信を受けたものとして、教会の1年の終わりにもう1度私たちが目指すべき世界について考えてみてください。
そして、私たちが何をすべきか、何を背負いイエス様に従うのか、考えてみてください。

それでは、私たちの王である「イエス・キリスト」に賛美と感謝をささげながら、主の祈りを唱えて終わりにしましょう。

 


 

次回の勉強会は、12月2日です。
来月は、少し違う角度から、クリスマスについて一緒に考えてみましょう。

筆記用具をもって、集まってください。