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本日、10時から、そして、13時半からの2回、共同回心式が行われ、多くの信徒が参加しました。

 

まず、本間 研二神父様(イエズス・マリアの聖心会)から、講話を頂きました。
柳田神父様は、始めに主の祈りへと導かられ、祈りと共に共同回心式が始まりました。

講和の中で、本間神父様は、「回心」についてもう1度深く考えられるように私たちを導かれました。
神様に向かう、神様との関りを取り戻すということが、私たちにとってどのようなものなのか。
ゆるしの秘跡が、私たちにとってどのようなものか、もう1度考える機会を与えてくださいました。

 

 

 

講話の後、本間神父様、立花神父様(豊四季教会)、松田神父様(亀有教会)、柴田神父様(アウグスチヌス会)、フィリップ神父様が赦しの秘跡を授けてくださいました。
(赦しの秘跡については下記参照)

ゆるしの秘跡とは…

ゆるしの秘跡は、司祭のもとで、自分の犯した罪を告白し、罪のゆるしを願うことにより、神からの罪のゆるしが与えられるというしるしです。
この秘跡は、回心、悔い改め、和解、いやしの秘跡とも呼ばれています。
ゆるしの秘跡に必要な行為は、
- 痛悔(犯した罪を悔やむこと)
- 司祭への罪の告白
- 償いをはたす決意、およびその実行
です。

ゆるしの秘跡には、個別のゆるしの式と共同回心式があります。
前者は、ゆるしの秘跡を求める個人と神との出会いを重視します。それにくらべて、共同回心式は、ゆるしの秘跡の教会的な面をあらわしています。この式は、共同体の祈りの中で行われます。

共同回心式は、個人の罪だけでなく、教会共同体の連帯性について考え、共同体の上に神のゆるしを求めるので す。また、ゆるしを神に求めるだけでなく、兄弟姉妹にもゆるしを求めることを意識させてくれるもので、通常、主の降誕祭や主の復活という大きな祭日に向け ての準備として、待降節や四旬節の間に行われます。

引用元:女子パウロ会 Laudate | キリスト教マメ知識 「ゆるしの秘跡」

 

赦しの秘蹟は個別にも受けられますので、待降節の間に授かられてはどうでしょうか…




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今日は、無原罪の聖マリアの祭日です。

フランス、ルルドで聖ベルナルデッタにご出現になったマリアは、ご自分を「無原罪の御宿り」と言われました。マリアは神様の特別な恵みによって、その存在の最初からあらゆる罪から守られていたのです。
今日は、イエスの母となるように選ばれたおとめマリアが、救いの恵みを予め受け、聖アンナの胎内に宿った時から、全能の神からの唯一無比の恩恵の賜物と特典によって、原罪の汚れから完全に守らていたことを記念した祭日です。

 

 

入堂と共に祭壇、そして、無原罪のマリア像に献香します。そして、待降節に入り歌わなかった栄光の讃歌を歌い、集会祈願を唱えます。

 

 

そして、ことばの典礼が行われます。

 

 

第1朗読 創世記 3章9~15、20節
第2朗読 エフェソの信徒への手紙 1章3~6、11~12節
福音朗読 ルカによる福音書 1章26~38節

 

 

そして、お説教。

説教要旨

今日は、無原罪の聖マリアの祭日です。
教皇ピオ9世は、無原罪の宿りを1854年12月8日、これを正式に信仰箇条(キリスト者が信じるべき教え)として宣言しました。
しかし、これ以前も救い主イエス・キリストの来臨におけるマリア様の重要な役割は広く認められ、受け入られていました。
神様は、人類を愛していおられます。アダムとエヴァを通して、罪がこの世に入った時、神様は、人類を救うために御ひとり子をこの世に遣わす決心をなさいました。この御計画は、ナザレというガリラヤの小さな町の1人の乙女の努力を得て、成就しました。
神様は、この乙女が、聖霊の力によって神様の子を宿す準備として、乙女が母親の胎の中で受胎した時から全ての罪をおかさないように、なされました。マリアが、大天使聖ガブリエルのお告げを聞いた時、彼女は、神の御旨に対して、無条件にすべてを受け入れました。
「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」

今日、私たちもイエス様によって再びこの世界に救いが訪れる事を願い、私たちの生活の中で神様のみ旨に心を開くことが出来るように祈りましょう。
そして、マリア様がなさったように主が私たちのためになさった偉大な事を祝いましょう。
神様は、マリア様が母の胎内で受胎された時から、無原罪である事、御子の母として仕えることを定められたように、神様は、私たちも、洗礼を受けた時から罪から解放し、ご自身を愛するようになさいました。ですから、新しい歌を主に向かって歌いましょう。

今日のミサのなかで、罪から解放されるように招かれていることの偉大さを思い起こし、私たちの母、聖母マリアの取り次ぎを願い、祈りましょう。
父と子と聖霊のみ名によって。

 

 

感謝の典礼に入り、

奉納行列が行われ、祭壇の準備が整うと、フィリップ神父様が、献香が行われます。

 

そして、司祭・会衆への献香

 

奉献文が祈られ、聖変化、ご聖体・御血の顕示が行われます。

 

 
今日の祭日を多くの方々がともに祝いました。

 
退堂前には、サレヴェ・レジーナ(Salve regina)を歌いました。

主の御降誕はもうすぐです。
聖母の無原罪の宿りの意味をもう1度思い起こし、聖母マリアの取次を願い、祈りましょう。




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松戸教会では、毎月第1週の主日のミサのなかで、その月に誕生日を迎えられる方々の祝福を行っています。

 

今月は、本日・待降節第1主日のミサのなかでフィリップ神父様にお祈りを唱えて頂き、灌水して、祝福して頂きました。

8時のミサ

 

10時半のミサ

 

ミサに与った方々からも祝福の拍手が送られました。
12月生まれの皆さま、お誕生日おめでとうございます!




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クリスマスの4週前の日曜日から待降節が始まります。
今年は本日・12月2日(12月1日の日没)から待降節が始まり、カトリック教会の新しい1年が始まります。
毎年、待降節第1主日から朗読箇所(A年・マタイ福音書、B年・マルコ福音書、C年・ルカ福音書)が変わり、今年はC年(マルコ福音書)が朗読されます。

待降節とは…

待降節は二重の特質をもつ。それはまず、神の子の第一の来臨を追憶する降誕の祭典のための準備期間であり、また同時に、その追憶を通して、終末におけるキリストの第二の来臨の待望へと心を向ける期間でもある。この二つの理由から、待降節は愛と喜びに包まれた待望の時であることが明らかになってくる。

カトリック中央協議会 典礼解説「待降節」より

 

待降節の主日では、栄光の讃歌は歌われません。
4つの主日を通し、救い主イエス・キリストの来臨(ご降誕)、そして、再臨の準備を整え、その時を待ちます。
この2つの意味で、待降節は愛と喜びに包まれた待望の時です。

待降節は、第1主日・第2主日・第3主日・第4主日とあり、徐々にイエス・キリストの降誕を待ち望む気持ちを高めていきます。
アドベントクランツに、主日を重ねるごとに1本ずつ火を灯し、私たちの心にキリストを待ち望むことを呼びかける助けとしています。(クリスマス・ミサでは、中央に蝋燭に置かれ、火が灯します)

松戸教会公式twitterアカウントでは、主日ごとに火が灯っている蝋燭が増えていく様子を写真におさめ、投稿していきます。

 

今日は待降節第1主日ですので、入堂後すぐフィリップ神父様が、アドベントクランツの祝福をし、1本目のろうそくに火を灯します。

祭壇には、馬小屋も設置されました。
待降節の主日を重ねるごとに様々なサントン人形が足されていきます。ご降誕の際(主の降誕・クリスマス)には、飼葉桶にイエス様が安置されます。完成は、三博士が置かれる主の公現(1月6日)ですね。

 

 

ヨゼフ会のみなさんを中心に今年も飾りつけを行ってくださいました。

 

そして、典礼委員の方々が、聖母子像横の馬小屋の中や聖堂エントランスのツリーやアドヴェントクランツの飾りつけや準備を行ってくださっています。

 

 

松戸教会では、こうして、イエス様のご降誕への気持ちを少しずつ高めていきます。

クリスマスを教会で過ごそうと考えてらっしゃる方がいましたら、待降節の日曜日に教会に是非いらっしゃってください。(もちろん、未信者の方も大歓迎です)ともにクリスマスを迎える準備を致しましょう。




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毎月、第1週、小集会室で中高生の勉強会が行われています。
今月は、参加したのは2人。
学校の期末テストが近いということもあり、ちょっと寂しい感じですね。

待降節が始まった今日、クリスマスの本当の意味、そして、私たちは一体この待降節の間、どのように過ごすべきなのか…もう1度考えてみましょう。

 

 


 

今月のテーマ

● 私たちに贈られたもの ●

 

 

さて、今日から待降節が始まります。
待降節、英語で言うと、ADVENT。そのまま直訳すれば「到来」という意味ですね。
教会学校では、「イエス様のご降誕を待ち望む期間」とみんなには伝えました。そして、中高生会では、「イエス様のご降誕再臨を待ち望む期間」ともう1歩踏み込んで今まで話してきましたね。

イエス様のご降誕は、私たちにとって、どのような意味を持ちますか?
それは、なぜ、イエス様が私たちのもとにご降誕されるかということが答えになります。
イエス様のご降誕は、神様のみ旨を果たすために行われました。神様のみ旨は、いつもただ1つです。それは「私たちすべてのものを神の国に招くため」ですね。イエス様も当然「私たちすべてのものを神の国に招くため」にご降誕されました。
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。ヨハネ福音書3章16節)」とありますね。
つまり、イエス様のご降誕は、「私たちにまさに神様の愛が示された時」ということが出来ます。

神様は愛(ヨハネの手紙一4章16節)ですから、イエス様の「到来」は、まさに神様が示されたことになりますよね。
余談ですが、堅信を受けたメンバーは勉強しましたが、秘跡とは「目に見えない神様が目に見える形で現わされたしるし」ですから、まさにイエス様こそ「秘跡のなかの秘跡」ですよね。だから、原秘跡(Original Sacrament)とよんでいます。この「原」は原罪(original sin)の「原」と同じですね。

さて、では、最初の質問の答え、「イエス様のご降誕は、私たちにとって、どのような意味を持つか」という答えが分かりましたか?
全知全能の天地の創造主である神様の愛」が示されたことが、みんなにとってどういう意味を持ちますか?
その答えは、各々違うと思います。それを「大いなる喜び」と、答えてしまうのは簡単です。でも、みんなのなかでは、それはどのようなことですか?
それは、同じように神様の愛が示された「イエス様の受難・死・復活」にも同じことが言えます。
みんなにとって、イエス様の受難・死・復活は、神様の愛は、どのような意味を持ちますか?
難しい言葉で言えば、受肉の神秘(イエス様のご降誕)十字架の神秘(イエス様の受難・死・復活)は、同じです。
ともに、私たちにイエス様を通して、神様がその愛を示してくださったものです。
神様の愛が、つまり、神様が、みんなにはどのような意味を持ちますか?どのような存在ですか?

 

これは、同時に、私たち自身にも当てはまります。
私たちは、何のために生まれてきたのでしょうか?

私たちは、それぞれ神様によって「きわめてよい」(創世記1:31)として造られました。
私たちは、神様のものです。
神様は、常に私たちに愛を示し、神の国へと招かれます。私たちを常に神様と、神様の愛のうちにいる人々への交わりへと招いています。
それが、みんなにとって、どういう意味を持ちますか?

イエス様はおっしゃいました。

『わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。』

ルカによる福音書9:23

そして、こうもおっしゃっています。

『自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない。 』

ルカによる福音書14:27

 

「十字架」とは、なんでしょう。
イエス様にとって、十字架とは、まさに自らの受難そのものですね。そして、その苦しみは、私たちへの神様の愛の現れですね。つまり、イエス様に与えられた「神様のみ旨」そのものです。
つまり、十字架を背負うとは、神様のみ旨に従うことに他なりません。そして、私たちそれぞれが、神のみ旨に従うものでなければ、キリスト者ではないとイエス様はおっしゃっています。

マリア様は、それをしっかりと果されました。

「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」

この言葉を最後の最後までマリア様は、自分の息子が、十字架の刑に処されるのを最後まで見届け、全うされました。
マリア様は、無原罪としてお生まれになり、その力を初めから与えられていました。

みんなも同じです。
神様のみ旨を果たすため、極めてよきものとして、造られたみんなには、その力は初めから与えられています。

すでに、みんなには、神様の愛が充分に与えられています。それを受けて、みんながどう感じるのか、どう考えるのか、どう行動するのか…。
みんなにとって、神様の愛とは、どういう意味を持つのか。
神の国が、どのような価値があるのか?
それぞれ、クリスマスまで考えてみてください。

 

それでは、最後にマリア様の取次ぎを願い、アヴェ・マリアのお祈りをして終わりにしましょう。

 


 

次回の勉強会は、1月6日です。

筆記用具をもって、集まってください。