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松戸教会主任司祭      
フィリップ・ボニファチオ神父

 

「こうして今、終わりの時を迎え、私は終幕へと立ち向かう…満ちあふれた人生を生きてきた」
私は、今、このフランク・シナトラの歌を思い起こし、同じ気持ちを味わっています。

時は、またたく間に過ぎていきます。もし、私が松戸教会にいる時間を遅らせ、時を 止めることができたら、どんなに良いでしょう。しかし、異動の時が来て、次の宣教司牧を任命されました。私はそれが聖霊の働きによって、神が私に新しい使命を託されたと思っています。私の心は、愛したところを離れることで、苦しめられています。愛し、信頼し、親しく交わり、尊敬し、個人的な分かち合いをもち、気持ちよく家庭に招いてくださった皆さまのことを思うと、更に辛い思いです。

松戸教会の小教区司祭として、助任司祭として、日本人の方々と、また、外国コミュニティの方々とともに働いた9年間は、私にとって大きなチャレンジであり、実りとなり、私を変えてくれました。考え方、行動の仕方が大きく成長して、司祭のあるべき姿、宣教師としてどう働くべきかを学ぶことができました。それは、司祭は信徒を支配したり管理するのではなく、信徒が自由に発想して行動できるような空気を作ることです。信徒にアイディアを与えたり指導するのではなく、人々からすすんで学び、教えてもらうことです。司祭は、謙虚で、寛大な心をもって、ゆるし、理解する人になるべきであることも学びました。そして、羊の群れとともに、すすんで旅をする善き羊飼いになること、信仰深く祈ること、信徒とともに笑い、喜び、ジョークを分かち合い、ともにいただいたいのちを称えるべきだということも学びました。また、司祭として、神の愛を行動の中で証すること、神の言葉の内に生きる姿を見せなければなりません。病気の人、貧しい人、社会の中で低くされている人たちに心を向けなければならないことも学びました。この 9年間にわたる私の司祭生活と聖職者の仕事は、皆様の友情、協力、信頼、尊敬、愛、祈り、支援のおかげで意義あるすばらしいものになりました。
移住者、 MICHIKOTO UNITEDの仕事、聖ミカエル幼稚園で英語を教える仕事も充実さを加えるものでした。

私はフィリピン人として最初のコロンバン会司祭であり、外国人小教区司祭でしたが、69年に及ぶ松戸カトリック教会の活発な共同体を築くために一生懸命働いてこられた、たくさんの小教区司祭の中で大切に育てていただきました。皆さまがこれからも充実し繁栄し続けられることを、また司祭職の召命、シスタ一方の聖なる生活が続けられますように願い祈ります。

最後に、私が至らなかったこと、日本語を十分理解できなかったこと、皆様の気持ちを正確にくみ取れなかったこと、利己的だったこと、時には厳しかったことなど、どうぞお許しください。松戸の生活を実りある楽しいものにしてくださった皆さまに心から「どうも、ありがとう!」

 

Stephen Grelletの言葉を引用して、私のお別れのメッセージを終えます。

「私はこの世界を一度しか通過できません。だから、私にできる、仲間に示すことが できるやさしい良いことを、今やらせてください。それを後回しにしたり、なおざりに させないでください。この道を、もう一度通ることはないからです。」

 

 


 

 

Fr. Philip Ilio Bonifacio, SSC

PARISH PRIEST

As the song goes, sang by Frank Sinatra,

“And now the end is near, and so I face the final curtain……  I have lived a life that is full……”

This is what I am feeling right now.
Time is ticking very fast.  If  only  I  could  slow  it  down  or  stop  time  so  as  to prolong  my   stay in Matsudo. But time has to move  on  and  so  do  I  to  my  next Mission  Assignment.  I know it is time again to be open to the movement of the Holy Spirit and to the new mission God is unfolding before me.         My  heart   tells me that leaving a place that you  have  loved  is  difficult  to  let  go.  Much  more difficult when people of that place has loved you, trusted  you,  be  friended  you,  respected  you,  and  shared  their  personal  lives  and  have  comfortably  invited  you into their homes.

Nine years of working in Matsudo as an Assistant Priest and as a Parish Priest both for Japanese and the foreign communities has really challenged and changed me. It also developed and sharpened my way of thinking and acting. Being a foreigner I have learned a lot about Japanese culture and on how to do things.

Being in Matsudo this long, I learned how to be your priest and how to be a missionary. It is letting people exercise their freedom and initiative rather than controlling. It is seeking people where they are rather than waiting for them to come. It is not just teaching and pouring ideas on people but learning and willing to be taught by them. I learned that to be a priest of the   people one is to be gentle, forgiving, humble and understanding. One is to be prayerful and holy, one is to be a good shepherd willing to journey with his flock and ready to go an extra mile. I learned also that to be a priest of the people is to share laughter,              joy, jokes and celebrate life together. I learned also that to be a priest is to manifest God’s love in his actions and live what he preaches. I learned also that as a priest we have to take care of the sick and those who are poor and lowly in the society. My priesthood and ministry over these 9 years have been meaningful and complete because of your friendship, cooperation, trust, respect, love, prayers and support. My work with the migrants, MICHIKOTO UNITED and teaching English in the Kindergarten of St. Michael also added to that fulfillment.

Being the first Filipino Columban and a foreign Parish Priest, I am honored to be among the many Parish Priests who have labored so hard to form this vibrant and active Community of Matsudo Catholic Church over the span of 69 years. I pray that you will continue to be fruitful and prosper and encourage vocation to the priesthood and to the Religious Life for Sisters.

 

Lastly,     I am asking for your forgiveness and my apology for my shortcomings, for not mastering your language, my being insensitive to your needs, for being selfish, and hard on you at times. My apology. To all of you who made my stay in Matsudo a fruitful and enjoyable one, I say, “Thank you very much.”

Let me end my farewell message with this quote, “I expect to pass through this world but once. Any good, therefore, that I can do or any kindness I can show to any fellow creature, let me do it now. Let me not defer  nor  neglect  it for I shall not pass this way again.” —- by: Stephen Grellet

 




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ご復活おめでとうございます。

前日は復活の卵作り、復活祭当日のパーティーは、9年間お世話になった神父様への感謝も込めて準備しました。

 




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親愛なる兄弟姉妹の皆さん、

主のご復活、おめでとうございます! 皆さん一人ひとりに、大きな喜びと希望をもって、復活祭おめでとう!と心から願います。復活祭は、イエスが死のふちからよみがえり、ご復活を通して希望が始まることを祝うときです。

復活祭は「希望の日」と言うことができます。イエスはファリサイ派の偽善者とローマの圧政に立ち向かいました。イエスの愛を伝えることは特権階級の宗教家と政治家にはタブーとされることでした。私たちはいつも生と死のたたかいの中にいました。イエスは死刑を宣告され、神を冒涜したという罪で処刑されました。イエスの死と共に、弟子たちは闇に呑み込まれるように、その場から逃げることを選びました。新しい世界への希望は十字架の上で握りつぶされたかのように思われました。失望が続くもっとも長い夜でした。しかし、主のご復活でその失望は希望の喜びに変わりました。キリスト教の信仰がその朝、愛と希望の知らせを持って誕生しました。一介の漁師たちが、聖霊によって力を与えられ、世界中に新しく愛を伝え始め、ついにキリスト教会を建ち上げたのです。キリストは約束したとおり三日目に死者のうちから復活なさいました。その日、人類の歴史が変わりました。その不思議なできごとの神秘性が私たちに希望を与えてくれます。私たちを癒し、力づけてくれる希望を喜び祝います。

さらに、私たちが生きる世界にはたくさんの希望を必要とします。この世は希望が奇跡を起こしてくれることを待ち望んでいます。ご復活のその日、弟子や婦人たちは墓に行ってみると、キリストが葬られていた場所から石が取りのけられているのを見ました。キリストのご復活は私たちの心の中にある石を取り除くことを意味します。つまり、ご復活の不思議なできごとが、この世に生きる一人ひとりの魂に癒しと平和と和解をもたらすように、私たちの心を動かすのです。これこそ、今日の世界に生きる教会が語り伝えて行かなければならない使命なのです。今日生きていることを、この復活祭ミサで喜び祝いましょう。さあ、いっしょに行動に参加して、人が作り出した墓に閉じ込めて出られなくしている石を取りのけましょう。

平和が始まり、さらに前進しますように。私たちの生きる社会や世界が、希望のない世界から平和と繁栄の世界に引き上げられ、「約束の地」になりますように。

ハッピー・イースター!

 


 

 

Easter 2019 Message

 

Dear brothers and sisters,

 

Happy Easter to you all!  With great joy and hope I wish each one of you, a happy Easter!  Easter celebrates the rising of Jesus from darkness of death into dawn of hope through resurrection.

Easter is a day of Hope.  Jesus stood against the hypocrisy of the

Pharisees and the oppression of the Roman Power.  His message of love was a taboo for the Religious and political elites.  Our struggle has always been between death and life. Jesus was condemned to death and murdered as a criminal because, for people he blasphemed God.  With his death, darkness seemed to engulfed his disciples and chose to flee from the scene.  Hope of a new world seemed to have been strangled on the cross.  It was the longest night of despair.  But Resurrection turned that despair into a celebration of hope. Christianity was born on that morning with the message of love and hope.   The simple fishermen were empowered through the Spirit to start a new worldwide wave of love that culminated in establishing the Christian Church.  Christ rose from the dead on the third day as he promised.  Human history changed that day.  Hope is the secret of that wonder. We celebrate that hope that heals and empowers us.

And our world needs a lot of hope.  This world waits for the miracle of Hope. On the day of resurrection, the disciples and women went to the grave but found the stones removed from where Christ was buried.   Easter is about removing the stones in our hearts and lives. Therefore, let the wonder of Easter, touch every human soul in this world so as to bring healing, peace and reconciliation. This is the prophetic mission of the church in today’s world. We celebrate life today in this Easter!  Come let us together join the march to roll out the stones that have entrapped people in man-made graves.

Let Peace break forth in the dawn.  Let our society and the world be raised from hopelessness into Peace and prosperity and become the Promise Land. 

 

Happy Easter!

 

 

主任司祭 Parish Pries

フィリップ・ボニファニチオ神父

Fr. Philip Ilio Bonifacio, SSC




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いよいよ本日、1年の典礼の中で最も盛大で、中心的な祭儀「復活の聖なる徹夜祭」が行われます。

それに先駆け、午後5時半よりフィリップ神父様、典礼委員と一緒に、奉仕者が集まり、打合せを行いました。 典礼の流れを確認し、滞りなく祭儀が行われるように、詳細に自分の役割を確認し、本番に備えました。

 

今年の 復活の聖なる徹夜祭の祭壇奉仕は、青年たちが行います。
青年たちだけで行うのは、本当に久しぶりです。今回の青年たちのなかには、初めて復活の聖なる徹夜祭で奉仕を行うメンバーもいますので、入念にリハーサルを行いました。

いよいよ復活の聖なる徹夜祭が始まります。
受洗される方々にとって、思い出に残るような素晴らしいミサになるようにしっかりとした奉仕が出来るように頑張りましょう。




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午後7時から聖金曜日「主の受難」の祭儀が行われました。
キリストの受難と死は過ぎ越しの途上の出来事なので、「主の過ぎ越し」を記念するミサは伝統的に行いません。
しかし、昨日の「主の晩餐(ばんさん)の夕べ」で聖別されたご聖体をいただき、
キリストとの一致のうちに、復活への希望を新たにします。

 

主の受難の金曜日には、過越の聖なる断食が行われます
聖金曜日の典礼祭儀は、普段とは違い、通常のように祭壇布をかけず、ろうそくもおかず、入祭の歌も歌いません。ここにキリストの死のかたどりをみます。
祭儀は「言葉の典礼」「十字架の崇敬」「交わりの儀」の3つの部分で構成されています。「主の受難」の祭儀では、パンとぶどう酒は聖別されません。
聖金曜日に行われるこの祭儀のなかで、救いの歴史におけるキリストの受難と死の意義を思い起こし、復活への希望のうちに十字架の勝利を賛美します。
祭儀は入際の歌は歌わず沈黙のうちに始まります。
司祭は赤い祭服をつけて静かに入堂し、会衆席に向かっていつものように「祈りましょう」の招きもなく、祭壇の前で伏臥(うつ伏せになり)して、しばらく沈黙の祈りの後に集会祈願にはいります。

祈りの後、祈願が唱えられます。

 

第1朗読と第2朗読の箇所は、「主のご受難・死」についての箇所が朗読されます。

第1朗読 イザヤ書 52章13節~53章12節
第2朗読 ヘブライ人への手紙4章14~16節、5章7~9節

次いで、受難朗読が行われます。自らを父に奉献して実際に唯一の祭司となられた方の受難が(ヨハネ 18章1~19節,42節)が、読まれるときに頂点に達します。
受難朗読のなかで、会衆はそろって「殺せ。殺せ。十字架につけろ。」と答えます。
私たち全てが、罪のないイエス・キリストを十字架へと導いたことを思い起こします。
イエス様が亡くなられた箇所では、頭を下げ、沈黙のうちに祈ります。

 

第1朗読 イザヤ書 52章13節~53章12節
第2朗読 ヘブライ人への手紙 4章14~16節、5章7~9節
受難の朗読 ヨハネによる主イエス・キリストの受難 18章1節~19章42節

 

 

司祭の短い説教が行われました。
説教の後、1年の典礼のなかで、もっとも豊かな盛式共同祈願が行われます。

イエス様がすべての人のために命を捧げてくださったことを思いながら、
「教会のために」「教皇のために」「教会に仕える全ての人のために」「洗礼志願者のために」「キリスト者の一致のために」「キリストを信じない人々のために」「神を信じない人々のために」「困難に直面する人々のために」それぞれ祈ります。
普段の共同祈願とは違い、一つ一つの意向に従って信徒の代表が先唱し、しばらく、沈黙のうちに祈ります。

 

十字架の顕示と礼拝

「盛式共同祈願」が終わると、司祭は、いったん退堂し、「十字架の顕示」が始まります。
司祭は、紫の布に覆われた十字架を捧げて入堂してきます。
途中、三度、「見よ、キリストの十字架、世の救い」と司祭が歌い、会衆は、「ともにあがめたたえよう」と答え、十字架のおおわれた布を徐々にはずしていきます。

顕示が終わると、十字架が祭壇の前に置かれ、司祭・奉仕者・会衆の順に行列して十字架の前に進み、深い礼をして崇敬を表す「十字架の礼拝」を行います。

 

行列の間、聖歌奉仕グループの方々を中心に
「十字架賛歌」 「とがめの交唱」 「十字架讃歌」を歌います。
十字架の礼拝を終えると、「交わりの儀」が始まります。
祭壇が用意され、司祭は聖体安置所から聖体を運び、祭壇に置き
一同を主の祈りに招きます。

通常のミサとは違い、司祭が、主の祈りの副文と応唱を唱えた後、すぐに拝領前の信仰告白を唱え、拝領が始まります。

 

拝領祈願が唱えられた後、司祭は、派遣の祝福と閉祭の挨拶の代わりに、会衆のための祈願を唱えました。
祈願の後に閉祭の歌もなく、一同沈黙のうちに退堂し、聖金曜日「主の受難」の典礼は終わります。

いよいよ明日はキリスト教の最大の主日、「復活の聖なる徹夜祭」です。
信者は、静かに祈りの夜を過ごします。