毎月、第1週、小集会室で中高生の勉強会が行われています。
今月は、参加したのは5人。

今年度、最後の勉強会です。
今年度は、ずっとキリスト者として生きるということをテーマに話してきましたね。今月は、そのまとめです。

みんなにとって教会に来るという意味、「信仰」を持つという意味について考えてみましょう。

 


 

今月のテーマ

● からし種一粒ほどの信仰があれば ●

 

さて…みんなは、からし種ってどのくらいの大きさか知っていますか?
聖書学者のなかで色々議論はあるようですが、1mmにも満たないサイズだそうです。砂とかそういうレベルですね。置いておくことすら出来ないですよね。そんなサイズだったら。置いたら、もうわからなくなりますよね。

イエス様は、ある時、信仰の薄い弟子たちに向かって、こう言いました。

 

イエスは言われた。「信仰が薄いからだ。はっきり言っておく。もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、『ここから、あそこに移れ』と命じても、そのとおりになる。あなたがたにできないことは何もない。」 

マタイによる福音書 17章 20節

 

こーーーーんな小さな信仰があれば、「出来ない事は何もない」と、仰ったんですね。
逆に言えば、出来ないことだらけの私たちは、「からし種1粒ほどの信仰もない」ことになりますよね。
でも、信仰心があれば、急に頭がよくなって、フェルマー・ワイルズの定理が理解できるようになったり、100M を9秒で走れるようになったりするかな?
出来ないよね。。。
つまり、イエス様は、そういうことを言っているんじゃないってことだよね。

 

では、「出来ない事は何もない」とは、どういう意味でしょうか?
「信仰があれば」と仰っていますから、「信仰」の意味が分かれば、その答えもわかりますね。
「信仰」とは、なんでしょうか?
神様を信じること?そうですね。

では、信じることとは、どういうことでしょうか?
難しく考えることはないです。「信じる」とは、関わりを持つということですよね。神様を知る。神様を信じる。神様と仲良くなる。みんながお父さんやお母さんを信じるのと同じように神様を信じ、お父さんやお母さんのような「関わり」をもつことです。
神様と関わりを持つということは、今までの勉強でも学んだとおり、神様のみ旨のなかにいきるということですね。
私たちは、イエス様を知っています。イエス様がどうなされたのかを見れば、それがどういうことだか分かると思います。そして、私たちはマリア様も知っています。マリア様を知っていれば、「神様と関わりを持つ」「神様を信じる」ということが分かると思います。

私たちは、本当に小さな存在です。
すぐ神様から離れてしまい、罪をおかします。本当に本当に小さな存在です。
それに気づいた時、神様がいないと生きられない!と思うと思います。バルティマイや重い皮膚病の人たちは、イエス様しかいない!イエス様がいないと生きられない!と思い、「主よ、哀れんでください」と懇願しました。だから、イエス様は、その人達に「あなたの信仰があなたを救った」と、仰ったんです。神様に不可能なことはないと、心の底から信頼し、神様を求めた時、神様は、きっとみんなと強い関わりを持ち、救ってくださいます。

 

 

求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。 

マタイによる福音書7章7-8節

 

神様は、関わりを持ったみんな達を見捨てることはありません。だから、祈り続け、求め続けてください。
そして、その神様は、「天地の創造主」であり、「全知全能」の方ですね。だから、神様との関わりが「からし種」ほどあれば「出来ないことは何1つない」んです。

ダビデの話を覚えていますか?
イスラエルの12部族を統一し、イスラエルを初めて統一国家にした王様です。
彼の人生は本当に華々しいものでした。途中までは。。。
しかし、彼は途中で大きな罪を犯しました。
部下の奥さんを奪い、子どもを作ってしまい、それがバレないようにするために、その部下を戦争の一番激しい所に送り、殺してしまったんです。
十戒のなかの何個もの罪を犯してしまったんです。

しかし、彼はいまだにユダヤ人から尊敬を集めています。伝説の王となっています。
なぜでしょうか?

その後、王様であり、知恵もあり、戦争も強く、見た目も美しいダビデだったにもかかわらず、「神様がいないと生きていけない!」というところまで彼は回心したからです。
彼は自分がどんなに罪深く、どんなに汚く、どんなに貧しい人間かということを悟り、神様ともう1度関係を持ちたい、神様のみ旨の中でもう1度生きたいと心の奥底から願ったんですね。
その思い、祈りは、詩篇に込められています。彼の人生は、その前後で全く違うものとなります。
人間の目で見ればダビデの栄光は、その前にあったかもしれません。でも、今も彼が尊敬を集める王であるのは、回心したことによるものです。

私たちは、ダビデのような罪を犯さないかもしれません。
でも、私たちも、躓きます。罪を犯します。そして、本当にその罪が私たちを本当に小さな存在と気づかせてくれると思います。その時、神様との関係なくしては生きていけない!と思えると思います。
マリア様は、初めからそれをご存じで、初めから神様がいないと生きていられない!と思っていたんです。それが表れているのが、「私は主の婢です」という受胎告知への返事です。

私たちがこれからの人生を生きる時、絶対、神様!となる時が来ます!
その時、神様を深く信頼し、神様によって生きるようになるか、それとも、自分の中だけで生きるか…。

みんなはどっちを選びますか?
「からし種ほどの信仰があれば、できないことは何一つない」

もう1度、キリスト者として、自分にとって、神様が…イエス様が…自分にとってどういう存在なのか、考えてみましょう。

それでは、最後に主の祈りを唱えて終わりにします。

 


 

今年度の勉強会は今月で終わりです。

次回は、3月25日から29日までの春季特別講座ですね!
とても難しい内容になると思いますが、みんな頑張りましょう!