今日も元気にみんな集まりました!
「教会学校・はじめの祈り」でスタートです。

今日は宮原助祭の授業です!
どうぞ、よろしくお願いします。

みんなに質問!
みんなじぶんの心はどんな形していますか!?
考えてみてください。

ハート形?星?まる?
じゃあリーダーの心の形はどんな形でしょうか?

心の形はみえないですね。
私達は目に見えないものを大切にするように神様に教えられています。

最近泣いているお友達みた人はいますか?
自分が泣いちゃったって人もいるかな?

泣いてる人をみたら、何故泣いているのかなって考えさせられますね。

助祭も泣いている人をみました。
テレビで見たのですが、野球の試合で負けたチームも勝ったチームも泣いてました。

次の質問です。助祭の心は何色でしょうか!?
周りのお友達の心は何色かな??
服の色はわかりますけど…心は??
想像してみてください。

お友達の色はいいなーって思う色でしたか?
それとも…?

さて、透明色っていう色はありますか?
あると思う人!…ないと思う人のほうが多いですね。
じゃあ…鏡の色って何色だろうね??

毎週日曜日、神様のことをいつもより考えますね。
では、神様の色って何色かな?
神様って色があるかな?

神様色っていう色がもしあったら、
きっとそれが神様の色ですね。
神様に色がもしあったら、神様のことよくわかるかもね。
でも目に見える形での色がないから見ることができないですね…。

さて、イエス様もときどき泣いていますね。
何回か涙を流したということが聖書にも書いてあります。
そして、周りの人が泣いていたらその人のそばに行っていますね。

イエス様の涙の色は何色でしょう…。
みんなの涙の色は何色??
みんな「透明」と答えてくれました。

しかし、イエス様は見た目は透明に見える涙をただの水とは考えません。
スポーツで負けても勝っても涙を流すけれど、その涙は違いますね。

悲しい涙は悲しい色してるかもしれませんね。
嬉しい涙は嬉しい色かもしれません。

イエス様は人が泣いている時その涙の色をよく見つめてそばにいきます。
涙を流していなくても、その人が苦しかったり悲しかったりしたら、そばにいきます。
そして、優しさを与えます。
イエス様は、私たちには真似できない方法で優しくします。

「私を食べなさい」

イエス様は自分を食べ物として与えて優しくしました。
そこらへんにあるものを与えるのではなく、自分自身を悲しい人苦しい人に与えたのです。
そのへんの食べ物とは比べ物にならないくらいいいものです。

泣いてる人のそばに行って「私を食べなさい」と私たちが言っても、イエス様の言葉を真似しているだけですね。
イエス様は本当に食べさせてくれました。
私達は、ミサで毎週イエス様を食べますね。
そうして、私たちを通してイエス様がはたらいてくれるように、祈らないといけないですね。

悲しくて泣いてしまう時があっても、自分の涙の色わからないね。
でも、イエス様が涙の色をみてくださって、一緒にいてくださいます。
涙の色を感じ取ってやさしくするイエス様…
私たちも同じようにできるように祈っていかなくてはいけないです。

私たちがイエスさまの心の色、涙の色を決めつけてはいけません!
でもイエス様の色は一番いい色だなーと思う色です。
イエス様が与える優しさ「私を食べなさい」は、真似できないけど、2つ目の方法があります!
イエス様は祈りを教えてくれました。
なんの祈り??「主の祈り」ですね!
イエス様が、弟子たちに教えてくれたお祈りです。
覚えていますか?

そして、お祈りは主の祈りだけではないですね。
教会は10月を何の月とよんでいますか?
「ロザリオの月」と呼びます。
日本だけではなく世界中の人が10月を「ロザリオの月」として、ロザリオの祈りをしています。
ロザリオの祈りは、「主の祈り」「詠唱」「アヴェ・マリアの祈り」ですね。
世界中の人と心をひとつにして祈れるといいですね。

イエス様は泣いている人悲しんでいる人のところにいきます。
でも大人気だったからいろんな人がイエス様のところにきました。

イエス様はまた、別の方法でも優しさを与えてくれました。
今日の福音「マルコによる福音」10章13〜16節を読んでみましょう。

イエス様の元にはいろんな人が集まってきました。
奇跡を起こす人だと有名だったから見てみたいと思い集まってきたのです。
集まりすぎてイエス様はなにも出来なくなってしまったりもしました。
満員電車みたいに人が押し寄せてきたかもしれません。
お母さん・お父さんたちは、自分の子供たちをイエス様の近くにいかせたいと思いました。
弟子たちは「ちょっと集まりすぎだよ。」と叱ってしまいました。もしかしたら「子供はまだ早い!」と言ったかもしれないですね。
でもイエス様は、子供達を抱き上げて、手を置いて祝福しました。

抱き上げるというのは神様からの優しさのしるしですね。
こどもたちだからこそだね。

手を置いた…というのを教会では「按手」と言います。
ミサの中でも行われるね。
洗礼や堅信の時もそうだけど、祝福を与えるときに按手します。
按手は神様の祝福のしるしです!
助祭が按手するときも、助祭からの祝福のしるしじゃないです。
神様からの祝福のしるしです。
神父様、大司教様…誰がやっても神様からの祝福ということには変わりがないのです!

「私を食べなさい」
お祈り
按手

どれもイエス様の優しさです。
聖体拝領のときはみんなはイエス様を食べるから祝福(按手)はないけど、
ミサの最後にみんな祝福されますね。(派遣の祝福)

では、最後に、ロザリオの月なので、マリアさまの御像のところに行って
「主の祈り」「アヴェ・マリアの祈り」「詠唱」を唱えて教会学校を終わりましょう!

宮原助祭、ありがとうございました!
来週も元気に集まってね!!