今日は、主の公現の祭日です。
本来、1月6日が主の公現の祭日ですが、日本は守るべき祭日でないので、1月2日から8日の間の日曜日に祝います。

 

「主の公現」とは…

神の栄光がキリストをとおして、すべての人に現れたことを祝う日です。
東方の三博士たちが幼子を礼拝した出来事を記念する。そこにすべての人を救う神の子の栄光の現れがある、という意味で「現れ」のお祝いです。

 

 

本日の10時半からのミサは、岡田大司教様が主司式で行われます。

入祭の際には、教会学校の3人の子どもたちが一緒に入堂し、馬小屋にそれぞれ3人の東方の三博士像を安置しました。

 

 

子どもたちが扮した東方の三博士は三博士像の安置を終えると、岡田大司教様が、祭壇・馬小屋に献香し、祝別します。

 

そして、ミサが開祭されます。

 

 

 

ことばの典礼が、始まります。

 

そして、岡田大司教様が聖書に献香し、福音朗読が行われます。

 

 

第1朗読 イザヤ書 60章1~6節
第2朗読 エフェソの信徒への手紙 3章2,3b,5~6節
福音朗読 マタイによる福音書 2章1~12節

 

そして、お説教…

説教要旨

今日は、主の公現の祭日ですね。
三賢人とか、占星術の研究をしていた三博士とか言われていますが、三人の博士が、星の導きに従って幼子イエスのところまで旅をしてきました。
彼らは、黄金、乳香、没薬という贈り物をイエスに捧げました。
これは、毎年のお話になりますが、黄金、乳香、没薬とは、どのような意味をもっているのか、そして、それはどうなったのかという事に興味が注がれますね。3人の博士は、東方からやってきました。3人の博士の名前も伝説で伝えらえています。
この3人の博士たちの長い巡礼の旅を私たちはどういう意味であるのか、今日、考えてみる価値があると思います。

集会祈願は、その日のミサの大切な意味を簡潔に伝えるものです。

すべての民の光である父よ、あなたはこの日、星の導きによって御ひとり子を諸国の民に示されました。
信仰の光によって歩むわたしたちを、あなたの顔を仰ぎ見る日まで導いてください。

こういう祈りを捧げました。
イエス・キリストの福音は、全世界に告げ知らされ、私たちの国日本、この東の千葉にまで伝えられて、およそ470年の時が経っています。今の日本の状況は、どうでしょうか?これから日本の教会は、どのようにして、イエス・キリストの福音を述べ伝えたらよいでしょうか?そういうことを1年の年の初めに一緒に考えてみましょう。
先程、松戸教会に来てから、ミサが始まるまでの少しの時間、フィリップ神父様と少しお話をしました。
日本の教会の現状は、日本には大変立派な良く養成された宣教者が送られてきましたし、今もそうだと思います。一生懸命努めてくださっています。
しかし、世界の教会の7不思議の1つかもしれませんが、日本の信徒はあまり増えない…増えないどころか、減少傾向にあります。どうしてなのだろうと、つくづく考えさせられる事実です。
もしかして、私たちの教えが、人々の心に響かないものになっているのかもしれない。あるいは、私たちの伝え方、プレゼンテーションが下手なのかもしれない。
もっとわかりやすく、人々の心に伝わるような表現や方法をみんなで考え、みんなで実行していなければいけないと思います。司祭はもちろんですが、信者全員が、自分の信仰を自分の言葉と生活で表し、伝えていくことを考えないといけないのかなと思います。
どのような事から出発すればよいのかと言えば、「私たちが何を信じているのか」「私たちの信仰のエッセンスは何なのか」というところです。
「信じる」という事は、決してやさしいことではありません。
「信じる」事を妨げるものが、現実にはたくさんあります。困難な事、たとえば、災害、戦争、犯罪、病気…神様がお造りになったこの世界にどうしてそのような、望ましくない事があるのだろうか…。しかし、それでも、私たちは、信じていきます。元気に生きていきます、と、人々に伝えていかなければなりません。

フィリップ神父様の母国、フィリピンの方々は、日本にたくさん来ていますね。ご苦労も大変多いと思います。しかし、明るいですよね。本当に明るい。自分達の国に住む私たち日本人よりも明るいですよね。本当に困難ななかで、朗らかに、助け合って生きています。他方、日本は、経済的に発展し先進国となり、夜一人で安心して歩けるような治安のよい国ですね。これは、世界中がそういうわけではなく、日本が例外的なのではないかと思います。それなのに、私たち日本人は、お互いが励まし合い、明るく元気に楽しく生きているかと言えば、そうではないと言わざるをえません。私たちが間違っているのかもしれませんね。

信仰の光とは、そんなに明るいものではありません。
暗闇の中にかすかに輝いているものかもしれません。そういうなかで、本当に私たちが信仰の喜びを生きているならば、それを見て人々は私たちの仲間になりたいと思ってくれるのかもしれません。私たちが今日も教会に集まってきたのは、信仰の光に導かれたからだと思います。私たちも信仰をと強くし、深くし、回りの多くの人々にも信仰の光を伝え、もっともっと何を信じているのか、イエス・キリストを信じるというのはどういうことなのか、神様がいらっしゃるという事をどうやって人々に伝えていくのか、「信じる」事に妨げを感じている方々に、どのように自分の信仰を伝えることが出来るでしょうか?

「信仰の光によって歩むわたしたちを、あなたの顔を仰ぎ見る日まで導いてください」
このために、私たちは信仰の分かち合いをし、励まし合っていかなければならないと思います。

 

 

 

そして、感謝の祭儀が行われます。
奉納の際に、岡田大司教様が清めの献香をされました。

 

そして、聖変化…

 

岡田大司教様、松戸教会に来て頂き、本当にありがとうございました!またのお越しをお待ちしています。

 

神の栄光がキリストにおいて現れ、すべての人におよぶ救いの光が輝きはじめていることを賛美しました。
闇の中に光がさしこむかのように馬小屋に太陽の光が注ぎ、まるでキリストの降誕によって主が私たちと共におられることが明らかにされているようでした。

主の公現、おめでとうございます!