毎月、第1週、小集会室で中高生の勉強会が行われています。

 

今日午後2時半から行われる東京教区合同堅信式が行われます。
そのため、堅信に与る予定の5名(2名が学校行事のため欠席)と、中高生1年生が集まり、堅信式の最後の準備のために集まりました。

これから堅信に与る5名も、すでに堅信に与っている1名も、もう1度、堅信という秘跡、そして、キリスト者になるとはどういうことか、考えてみましょう。

 

 


 

今月のテーマ

● 堅信に与る前に ●

 

さて、この後、午前9時半から、これから堅信に与るみんなには、ゆるしの秘跡を受けてもらいます。

7つの秘跡は、すべて覚えていますか?
洗礼・聖体・堅信・叙階・結婚・ゆるしの秘跡・病者の塗油でしたね。それぞれの意味堅信とは?)もちゃんと覚えていますよね?

秘跡とは…
私たちが見る事の出来ない神様の愛、存在を感じる事が出来る」ようになるためのものでしたね。
秘跡は、神様・キリストとの出会いそのものであり、キリストご自身が秘跡そのものです。

聖書にも、こう書かれています。

 

わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。

ヨハネによる福音書 14章11節

 

 

どうしても、神様から離れてしまう私たちに慈しみ深い神は、イエス様という原秘跡、そして、秘跡を用意して下さっています。
ゆるしの秘跡は、秘跡の中でも最も神様のいつくしみ、神様の愛を感じやすい秘跡かもしれません。

放蕩息子のたとえ話(ルカ福音書15章11-32節)を覚えていますか?
「生きている父親、存在している父親」を、弟は、「亡き者・存在しない父親」としてしまいます。2人の関係性・繋がりを、弟は、「無いもの」としてしまうのです。
しかし、苦しみの中、父親の存在を思い起こし、父親のもとに戻っていきます。
自分をある意味、殺した息子を父親は、大喜びで迎い入れます。まだ、遠くにいる息子に走って駆け寄り、自分の服と指輪を息子に着せ、祝宴を開きます。
神様は、この父親のように、私たちが自分の意志で帰ってくるのを待っています。
いつも目を凝らし、私達が帰ってきたら、遠くから走って来て、大喜びで迎い入れてくれます。

こちらから、無くしてしまった関係、存在を無いものとしてしまった人との関係、神様、イエス様との関わり、つまり、「十字架のしるし」の中にもう1度戻り、その中に入っていく。

これがゆるしの秘跡です。
ですから、これから与るゆるしの秘跡も、「後ろ向きなもの、反省し懺悔して赦しを乞う」と考えるよりは、「神様のもとに戻り、人と人とのつながりの中にもう1度戻るんだ!」という前向きで、喜びに満ちたものだと思ってもらえたらなぁと思います。

ところで、みんなには、告解の内容を考えてきてもらいました。
その際に、良心の究明をしてきましたか?
「良心の究明」とは、ただ単に「~~をしてしまいました。ごめんなさい」というのではなく、自分と向き合い「なぜこうしてしまったのだろう」と、もう1歩奥にあるモノを見つけることです。行ってしまった悪い事を考えるのではなく、自分自身の良心と向き合い、自分の中の良心に「神様の御旨にそった行いが出来ていたか」を問うのです。深層にある罪(神様から離れてしまう心)を自分自身の良心によって、そして、聖霊によって、あぶりだすのです。
良心の究明をしっかり行えば、イエス様が仰った事を守れていない自分と向き合うことで悲しみや寂しさを感じると思います。

 

では、少し告解の仕方について説明しましょう。

– 告解の行い方の説明 –

 

 

ところで、6月1日から今日まで松戸教会にファティマの聖母像が安置されています

マリア様は、すべての罪びとのためにファティマの地に現れました。
告解のなかで、償いを神父様から言われたら、是非マリア様の取り次ぎを願い、祈りましょう。

では、ゆるしの秘跡に与りに行きましょう…

 

 

さて、ゆるしの秘跡に与ってどうですか?
今日、みんなは堅信の秘跡に与ります。簡単に堅信式の流れ、そして、塗油を受ける時の所作の説明をします。

– 堅信式の説明 –

 

 

最後に、堅信に与るみんなにお話をしましょう。

春期集中講座でもお話しましたが、今日、合同堅信式で最後に大司教様から「派遣の祝福」を受けた瞬間から、みんなはキリスト者として「福音宣教」の旅に出なければなりません。
1人のキリスト者として、「神の国」が始まったことを世の中に告げ知らせなければなりません。
キリストとは、油注がれた者という意味ですね。つまり、みんなも「キリスト」になるんですから。

神の国が始まる知らせは、みんなにとっても、大きな喜びであり、人々にとっても大きな喜びです。
世界が神の愛に満ち、神の愛のなかで、誰もが自分らしく、自由に生きられるからです。
それをみんなは、キリスト者として、油注がれた者として、人々に伝えなければなりません。

その力は、今日、聖霊によって、授けられます。
聖霊から、カリスマや7つの賜物を受け、どうそれを人のため、社会のため、教会のために使うのか…それは、一人ひとりに託されています。

みんなは、どうそれを使いますか?

 

私たちは、「私は在る」という神を信仰しています。

どうかそれを心の奥底から信じてください。それはとても難しいことかもしれません。
時には、迷う事もあるかもしれません。

それでも、イエス様が仰ったように「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、」神を信じてください。
神様は存在します。神様は、唯一無比の存在で、完璧な存在です。出来ない事は何1つありません。
そんな力強い存在である神が「在る」という事がどれほど私たちの救いになるでしょうか?

同時に、それは自分自身にも当てはまります。
みんなは、神が造ったたった1人の、唯一無比の存在です。どうか「自分の存在」を大事にしてください。
神を信じるならば、その神によって造られた、ありのままの自分を愛せるはずです。
見栄や肩書、そういうものは要りません。みんなには、それをはるかに上回るものが、既に与えれれています。そして、今日、更にそれを強めるものを頂けます。

そして、それは、自分以外の人間にも当てはまります。
神が造ったたった1人の、唯一無比の存在は、自分だけではありません。1人ひとりが、そうなのです。「隣人を自分のように愛し」てください。
隣人の「存在」とは、神の愛、そのものです。
必要だから与えられています。誰かの存在を無視することは、すなわち、神の愛を無視する事です。

皆一つの体となるために(使徒パウロのコリントの教会への手紙Ⅰ 12章13節)」私たちは洗礼を受け、今日更に聖霊を受けます。
教会という共同体は、1つのキリストの体として、みんなの、すでに亡くなってしまったひいひいおじいちゃんやひいひいおばあちゃんも含めた、時間軸すら存在しない「父と子と聖霊の交わり」の中に私たちは迎え入れられ、ともに、神の国を目指します。
誰が欠けても、それはなしえません。たとえ、憎むべきような人でもです。必要でない人などこの世にいません。
だから、まず、神を信じ、その神によって造られた(余計なものを脱ぎ捨てた)自分を愛し、そして、それと同じように、自分以外の人も愛してください。

「存在を無視する事」は、それを殺す事に等しいのです。
それは、最もしてはいけない事ですよね。だから、神を強く、より強く信頼してください。
唯一無比の存在で、完璧の神様は、確かに存在します。

 

そして、祈ることを忘れないでください。1日10分でいいです。テレビも携帯も切り、静かに一人で祈ってください。

ビル・ゲイツって知っていますか?知っての通り、マイクロソフトの創業者で、世界で一番のお金持ちです。
彼は、1日に必ず何もしない、誰とも交流しない時間というものを作るそうです。それによって、これからすべき事を考えるそうです。

これから、みんなは、人生において、様々な決断をしなくてはいけません。
神様によって造られた本当の自分と向き合い、認め、聖霊に力を強めてくれるように願えば、ゲッセマネでイエス様がされたように…「自分を捨て、本当の自分を得る」ことが出来ると思います。

 

もちろん、みんなは、まだまだ知っておくべきことがたくさんあります。
だから、月1回の中高生の勉強会には是非参加し続けてくださいね。

 

さて、では、最後に主の祈りを唱えて、ミサに向かいましょう。
今日のミサは、マリア様が共に、私達と祈ってくださいます!

 


 

 

来月も、7月2日、午前9時15分から中高生の勉強会を行います。
来月は、「教会」について、一緒に勉強しましょう。