今日も、「教会学校始めの祈り」でスタートです。それでは、🎶神さまといつもいっしょ🎶を歌いましょう。発声練習からします。口を縦に開けて元気に~!歌っていると、遅れてお友達が増えてきました。遅刻しないように頑張ってきてね。

 
今日は、神様にあやまる、ごめんなさいという事についてお話しします。
聖書の一番初めにある本の題名は何だったかな?
 
……そうせいき。
そうですね。創世記には神様がこの世界をどのようにお創りになったかが書かれています。
この創世記の中で、神様は”ひと”を創られたとあります。その人の名前は?
 
……アダムとエバ。
そう、アダムとエバでした。

神さまはアダムとエバをどこかに置かれました、どこだったかしら。

……エデンの園?

そうですね、エデンの園です。神様はエデンの園を耕し守るために、二人をそこに置きました。そこにはたくさんの果物や木の実がありましたが、真ん中には2本の大きな木を植えられました。何という木でしたか。

……「善悪の知識を知る木」

よく覚えていたね。そうです。もう一本は「いのちの木」です。神様はどの木からでも採って食べて良いとおっしゃったけど、「善悪の知識の木」の実だけは食べてはいけない、食べると必ず死んでしまうと二人にお命じになりました。でーも?どうしたんだっけ?

……へびがエバをだまして、エバは取って食べちゃう。それでアダムにも食べさせちゃう。

そうでしたね。よっぽどおいしそうに見えたのね。おいしそうな木の実を見たエバの心には神さまは消えていたのね、きっと。木の実だけが心にあったのね。

木の実を食べてしまった二人にどんなことが起こったかな?

……はだかでいることが急に恥ずかしくなった。

そうでしたね。ここでちよっと考えてみよう。どうしてそれまでは、はだかであることを恥ずかしく思わなかったのでしょう。

……?

神様はこの世界を、たとえば「ひかりあれ」と言われると光が現れたように、言葉で作られましたが、人間はどうだった?

……土でつくられた。

そうですね。不思議ですね。神様は「わたしに似た、人よ、生まれでよ」とおっしゃって、”ひと”を創ることもできたはずですが、人間だけは言葉ではなかったのです。土の塵でつくられました。さて、神様は創られた人間を見て、何ておっしゃったかな?「極めて良かった」とおっしゃいました。神様が良かった、すばらしいと認めておられるのだから、アダムとエバは恥ずかしいと思うことはなかったのです。神様に創られた私達一人ひとりも、神様にとって極めてすばらしい存在なのですよ。

さて、言いつけを守らなかったことについて神様から問われると、アダムは「女が(エバの事)与えたので食べました」と言い、エバは「ヘビがだましたので食べました」と言いました。みんなはこれを聞いてどう思う?

……言いわけをしてる。

そうだね、言いわけだね。アダムはエバの、エバはヘビのせいにして神様に謝ることをしていませんね。ごめんなさいと言っていません。二人はエデンの園から追放されることになってしまいました。しかしその時、神さまは皮で作った衣を着せて与えました。かわいそうに思われたのでしょうね。

時は流れ、神様から離れた人間たちの心を取り戻すためこの世にお生まれになった方は誰でしたか?

……イエス様。

イエス様は私達を思う神様の心はどんなものかを伝えるためにお話をたくさんされました。

今日はその中の「放蕩息子のたとえ」を話します。ルカの福音書15章です。

放蕩とは自分の思うままに遊びほうける事です。どんなお話かというと。

二人の息子を持つ父親がいました。ある時、下の息子(弟)が自分のもらう財産を今すぐに下さいと父に言います。弟はお金をもらうとさっさと遠い国へ行き、働きもせず遊んで暮らしました。あっという間にお金が無くなり、そこに飢饉が起こりました。飢饉というのは、日照りが続き雨が降らず作物が実らないことですね。食べるものにも困り果てました。ある人のもとで豚を世話する仕事をしましたが、豚にやる餌(イナゴ豆)でさえも食べたいと思うほどいつも空腹でした。みんなならそんな時どうするかな?

……食べ物を分けてあげる。

……神様にお願いする。

そうね、神様にお願いするよね。

では、この弟はどうだったでしょう。我に返って、お父さんのことを思い出します。私は天に対してもお父さんに対しても罪をおかしました。もう息子の資格はないから使用人として家においてもらおう…帰ってお父さんに謝ろう。そう思って家に向かいました。

お父さんはどうしたと思う?

……自分から出て行って息子を抱きしめた。

そうなのね。息子の姿を遠くから先に見つけた父親は、走り寄って抱きしめました。勝手な行いをして財産を使い果たした息子が帰ってくるのを、ずーっとお父さんは待っていました。

弟は「わたしは天に対してもお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません」と言いました。でも、お父さんは息子を憐れんで、きれいな服に着替えさせ、息子の印として指輪をさせ、子牛を屠り、息子が帰ってきたことをみんなで喜んで迎えるために宴会を開きました。お父さんはその時こう言います。

「この息子は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかった。だから喜び祝うのだと。」

私達は時々間違ったことをしてしまいます。アダムとエバのように、放蕩息子のように悪い方に心を奪われて、神様の方を見ていないことがあります。そんな時は「ごめんなさい」と神様のもとに戻りましょう。神様はお喜びになります。わたしたちがいつも神様の所に帰ることを神様は待っておられます。神様の愛は、この放蕩息子の父親のように大きくて深いというイエス様の例え話です。

さて、この父親には二人息子がいましたね。もう一人の息子である兄は、弟がいない間も真面目に父親の手伝いをしていました。畑から帰ってきたら弟のために宴会が始まっています。この兄はどうしたでしょう?みんながこの兄だったとしたら、どう思う?

……弟が帰ってきて嬉しいと思う。

……お父さんから離れて無駄遣いして、わるいことをしたのに何でお祝いしてるの?

二つの反対の気持ちが出てきましたね。さあ、聖書ではどう書かれているか。このたとえ話の後半に書かれています。おうちに帰ってお父さんやお母さんと、どうなったか読んでみてください。お兄さんはどんな態度をとったか、父親はお兄さんに何と言ったか。

聖書はとても面白いですよ。これから聖書を読んでみるといいですよ。

 

最後にもう一度「神さまといつもいっしょ」を歌って、「主の祈り」をして終わります。

来週また元気に会いましょう!

教会学校の時間に、保護者会が行われました。シスターお二人も出席していただき、ありがとうございました!