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本日、神のいつくしみの主日より、第9代主任司祭として、アシジのフランシスコ 伊藤淳神父様が、清瀬教会から異動され、着任されました。

 

 

ミサ後、伊藤神父様の歓迎会が行われました。

司牧評議会委員長より、はじめの言葉と神父様のご紹介があり、改めて、伊藤神父様からご挨拶をいただきました。

 

神父様に、たくさんの信徒が早速ご挨拶!

 

MCCICは、記念撮影!

 

伊藤神父様のプロフィールはこちらになります。

 

 

新しい主任司祭を迎え、松戸教会は、また大きな成長をとげることが出来ると思います。
これからどうぞよろしくお願いいたします!




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新しく赴任した神父様の歓迎会パーティーでした。担当地区の皆様、パーティー係の皆様のご協力で無事終えました。

 



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2019年度の教会学校が始まりました。まず御聖堂で始業式がありました。

初聖体のお勉強組は時間の関係で始業式には出ていないせいか、人数が少なくてちょっぴりさびしいですね。
昨年度までは、たくさんのリーダーたちがみんなと一緒にお勉強したり遊んだりしてくれていましたが、お仕事の都合などで教会に来ることが難しくなりました。その為、今年度は松戸教会のカテキスタの方々を中心に教会学校を進めていくことになります。

 

松戸教会に転任された新しい神父様にご挨拶頂きました。教会学校の新しい校長先生です!
伊藤神父様の好物はラーメンとシュークリームだそうですよ。これからたくさんお話できるといいですね。

 

新年度版の新しい教会学校のしおりが配られました。なくさずに教会学校に来るときにはいつも持ってきてくださいね。中には当たり前だけど、とっても大切な事が書いてあります。

 

順番が最後になってしまいましたが、いつもの様に【教会学校・はじめの祈り】でスタートです。

 

 

幼稚園に移動して授業を始めます。

 

「この間の日曜日は何をお祝いしたでしょう?」

「・・・」

「お祝いして、パーティーしたよね?」

「・・・」

「しゅのふっかつ・・・」

そうだよね。良かった。大丈夫、みんな自信持って答えてね。

いま私達は復活節を生きています。その前は四旬節でしたね。

いばらの冠をかぶせられて重い十字架を背負って歩かされた上にその十字架に付けられ、むごい死に方をしたイエス様が息を引き取った時、突然真っ暗闇になり、神殿の垂れ幕が落ちるほど大地は激しく揺れました。お墓におさめられたはずのイエス様がいないことに気付いたマグダラのマリアは、ビックリして大変悲しみました。そこで天使から「ここにはいません」と教えられ、復活されたイエス様にお会いした喜びを弟子たちに知らせに行きます。しかし弟子たちはなかなか信じられないでいます。それどころか、家にカギを閉めて怖がっていました。そこへイエス様がスーと現れ真ん中に立たれ「あなたがたに平和があるように」とおっしゃいました。

こう言われたイエス様をみんなどう思いますか?弟子の中にはイエス様なんて知らないって言った人もいました。イエス様がつらい仕打ちを受けていた時逃げて行ってしまった弟子たちに対して、「お前たちは私を裏切ったね?」とは言いませんでした。

この話を後から聞いた弟子のトマスは、その手に釘のあとを見てそこにこの指をいれ、脇の傷にこの手を入れてみなければ信じないと言いました。このトマスの気持ちも、すごくわかるよね?

数日後にトマスと他の弟子の前に再び現れたイエス様は、トマスに向かい自分の体に指を入れ確かめるように言います。そして「信じないものではなく信じる者になりなさい」と言いました。

トマスは「私の主、私の神よ」と答えます。イエス様は「私を見たから信じたのか。見ないのに信じる者は幸いであると」おっしゃいました。

弱さを認めて、私のもとにいらっしゃいというのがイエス様のみ心です。

どんなことがあっても私達を招かれています。

みんなはご飯の時誰に呼ばれる?お母さんかな?御ミサの時はイエス様の食卓にみんなが呼ばれ招かれています。
そう私達はみんな、イエス様が招いている大きな家族です。ではこれから御ミサに与りましょう。

 

♬今日の聖歌練習 かみさまのあいは

 

教会学校は、常時、子どもたちの入学を受け入れています。
もちろん、洗礼を受けいていなくても参加することが出来ます!

ぜひ、教会学校に参加してみてください!




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本日、午前10時から、4月20日の復活の聖なる徹夜祭で洗礼を受けられ、松戸教会の新たな兄弟姉妹になられた方々のためのオリエンテーションが行われました。

はじめに本日着任されたばかりの伊藤神父様からお話をいただき、受洗のお祝いと「洗礼はスタートですから、これから共同体にどんどん参加していただけたらとおもいます。あくまで…無理なく…」という言葉をいただきました。

その後、司牧評議会委員長、ヨゼフ会会長、マリア会会長、青年の代表が、少しでも不安なく信者として小教区共同体での生活をスタート出来るようにご案内させて頂きました。

もちろん、今回のオリエンテーションだけでは、十分にお伝えする事が出来なかったと思います。
分からない事などありましたら、遠慮くなく、代父母の方々、今日案内させて頂いた司牧評議会委員長、ヨゼフ会会長、マリア会会長、青年の代表などに直接伺って頂ければと思います。




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松戸教会主任司祭      
フィリップ・ボニファチオ神父

 

「こうして今、終わりの時を迎え、私は終幕へと立ち向かう…満ちあふれた人生を生きてきた」
私は、今、このフランク・シナトラの歌を思い起こし、同じ気持ちを味わっています。

時は、またたく間に過ぎていきます。もし、私が松戸教会にいる時間を遅らせ、時を 止めることができたら、どんなに良いでしょう。しかし、異動の時が来て、次の宣教司牧を任命されました。私はそれが聖霊の働きによって、神が私に新しい使命を託されたと思っています。私の心は、愛したところを離れることで、苦しめられています。愛し、信頼し、親しく交わり、尊敬し、個人的な分かち合いをもち、気持ちよく家庭に招いてくださった皆さまのことを思うと、更に辛い思いです。

松戸教会の小教区司祭として、助任司祭として、日本人の方々と、また、外国コミュニティの方々とともに働いた9年間は、私にとって大きなチャレンジであり、実りとなり、私を変えてくれました。考え方、行動の仕方が大きく成長して、司祭のあるべき姿、宣教師としてどう働くべきかを学ぶことができました。それは、司祭は信徒を支配したり管理するのではなく、信徒が自由に発想して行動できるような空気を作ることです。信徒にアイディアを与えたり指導するのではなく、人々からすすんで学び、教えてもらうことです。司祭は、謙虚で、寛大な心をもって、ゆるし、理解する人になるべきであることも学びました。そして、羊の群れとともに、すすんで旅をする善き羊飼いになること、信仰深く祈ること、信徒とともに笑い、喜び、ジョークを分かち合い、ともにいただいたいのちを称えるべきだということも学びました。また、司祭として、神の愛を行動の中で証すること、神の言葉の内に生きる姿を見せなければなりません。病気の人、貧しい人、社会の中で低くされている人たちに心を向けなければならないことも学びました。この 9年間にわたる私の司祭生活と聖職者の仕事は、皆様の友情、協力、信頼、尊敬、愛、祈り、支援のおかげで意義あるすばらしいものになりました。
移住者、 MICHIKOTO UNITEDの仕事、聖ミカエル幼稚園で英語を教える仕事も充実さを加えるものでした。

私はフィリピン人として最初のコロンバン会司祭であり、外国人小教区司祭でしたが、69年に及ぶ松戸カトリック教会の活発な共同体を築くために一生懸命働いてこられた、たくさんの小教区司祭の中で大切に育てていただきました。皆さまがこれからも充実し繁栄し続けられることを、また司祭職の召命、シスタ一方の聖なる生活が続けられますように願い祈ります。

最後に、私が至らなかったこと、日本語を十分理解できなかったこと、皆様の気持ちを正確にくみ取れなかったこと、利己的だったこと、時には厳しかったことなど、どうぞお許しください。松戸の生活を実りある楽しいものにしてくださった皆さまに心から「どうも、ありがとう!」

 

Stephen Grelletの言葉を引用して、私のお別れのメッセージを終えます。

「私はこの世界を一度しか通過できません。だから、私にできる、仲間に示すことが できるやさしい良いことを、今やらせてください。それを後回しにしたり、なおざりに させないでください。この道を、もう一度通ることはないからです。」

 

 


 

 

Fr. Philip Ilio Bonifacio, SSC

PARISH PRIEST

As the song goes, sang by Frank Sinatra,

“And now the end is near, and so I face the final curtain……  I have lived a life that is full……”

This is what I am feeling right now.
Time is ticking very fast.  If  only  I  could  slow  it  down  or  stop  time  so  as  to prolong  my   stay in Matsudo. But time has to move  on  and  so  do  I  to  my  next Mission  Assignment.  I know it is time again to be open to the movement of the Holy Spirit and to the new mission God is unfolding before me.         My  heart   tells me that leaving a place that you  have  loved  is  difficult  to  let  go.  Much  more difficult when people of that place has loved you, trusted  you,  be  friended  you,  respected  you,  and  shared  their  personal  lives  and  have  comfortably  invited  you into their homes.

Nine years of working in Matsudo as an Assistant Priest and as a Parish Priest both for Japanese and the foreign communities has really challenged and changed me. It also developed and sharpened my way of thinking and acting. Being a foreigner I have learned a lot about Japanese culture and on how to do things.

Being in Matsudo this long, I learned how to be your priest and how to be a missionary. It is letting people exercise their freedom and initiative rather than controlling. It is seeking people where they are rather than waiting for them to come. It is not just teaching and pouring ideas on people but learning and willing to be taught by them. I learned that to be a priest of the   people one is to be gentle, forgiving, humble and understanding. One is to be prayerful and holy, one is to be a good shepherd willing to journey with his flock and ready to go an extra mile. I learned also that to be a priest of the people is to share laughter,              joy, jokes and celebrate life together. I learned also that to be a priest is to manifest God’s love in his actions and live what he preaches. I learned also that as a priest we have to take care of the sick and those who are poor and lowly in the society. My priesthood and ministry over these 9 years have been meaningful and complete because of your friendship, cooperation, trust, respect, love, prayers and support. My work with the migrants, MICHIKOTO UNITED and teaching English in the Kindergarten of St. Michael also added to that fulfillment.

Being the first Filipino Columban and a foreign Parish Priest, I am honored to be among the many Parish Priests who have labored so hard to form this vibrant and active Community of Matsudo Catholic Church over the span of 69 years. I pray that you will continue to be fruitful and prosper and encourage vocation to the priesthood and to the Religious Life for Sisters.

 

Lastly,     I am asking for your forgiveness and my apology for my shortcomings, for not mastering your language, my being insensitive to your needs, for being selfish, and hard on you at times. My apology. To all of you who made my stay in Matsudo a fruitful and enjoyable one, I say, “Thank you very much.”

Let me end my farewell message with this quote, “I expect to pass through this world but once. Any good, therefore, that I can do or any kindness I can show to any fellow creature, let me do it now. Let me not defer  nor  neglect  it for I shall not pass this way again.” —- by: Stephen Grellet