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松戸教会では、毎月第1週の主日のミサのなかで、その月に誕生日を迎えられる方々の祝福を行っています。

 

今月は、本日・四旬節第5主日のミサのなかで、フィリップ神父様にお祈りを唱えて頂き、灌水して、祝福して頂きました。

午前8時からのミサ

午前10時半からのミサ

 

 

ミサに与った方々からも祝福の拍手が送られました。

4月生まれの皆さま、お誕生日おめでとうございます!




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四旬節も終わりに近づいています。まもなく私たちは、主の復活という教会典礼年の中で最大の祭日を祝います。
復活祭は私たちの主が復活されたことを思い起こす日です。

復活節の間、東方の人々は互いに『キリストは復活された』という言葉であいさつして、救い主が復活した良いニュースを伝えました。
あいさつを受けた人は、『キリストはほんとうに復活された』と答えて、イエスはもはや死者のうちにいないという知らせを確信します。イエス・キリストはほんとうに生きておられ、キリストに従うものに約束された新しいいのちを生きています。
この特別な恵みの時に、死と悪に打ち勝って復活されたキリストが、あなたがたの上にたくさんの恵みを与えてくださいますように。
あなたがたの信仰とおこないを強めてくださいますように。
そして、あなたがたにしあわせと健康、たくさんの祝福を与え、いつもあなたとあなたの近くにいる人たちを守ってくださいますように。
神をたたえるこの神聖なときにあなたがたを祝福してくださいますように。

神様があなたがたのひろい心と教会の支えに報いてくださいますように。今年の復活徹夜祭に10人の人たちが洗礼の恵みを受けます。
この新しい受洗者の皆さんを私たちキリストの家族に迎えて、神の愛の中で、また、教会の愛の中で信仰に生きていくことができるようにと祈りましょう。
私は主の復活を祝うミサのあいだ、皆さんのことを特別に思い起こします。

『キリストは復活された、ほんとうに復活された!』

 

 


 

 

EASTER – Anno Domini 2017  

 

Lent is coming to an end. Soon, we will celebrate the greatest liturgical feast of the church year which is Easter. Easter is the remembrance of Our Lord’s resurrection. During the Easter season, people in the East greet each other with the words: “Christ is Risen”, to convey the good news of our Savior’s Resurrection. The greeted person responds: “He is truly Risen”, to confirm the message that Jesus is no longer among the dead. He is really alive, having new life that He promised us all if we follow Him.

During this special time of grace, may the Risen Christ, who defeated death and evil, bestow upon you many graces. May He strengthen your faith and commitment; give you happiness, good health, many blessings, and may He always protect you and those close to you. May He bless you during this holy time. May God reward your generosity and support of our Parish.

This year’s Easter Vigil we will have 10 people to be baptized. Let us pray and welcome these newly baptized Christians into our Christian Family that they will grow in faith and in the love of God and of the Church. I will remember you all in a special way during the Easter celebrations.

CHRIST IS RISEN – HE IS TRULY RISEN”.




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本日、10時から、そして、13時半からの2回、共同回心式が行われ、多くの信徒が参加しました。

 

まず、山口道孝神父様(横浜教区)から、講話を頂きました。
山口神父様は、始めに主の祈りへと導かられ、祈りと共に共同回心式が始まりました。

 

<講話要旨>

四旬節になると告解をするように教会に呼び掛けられます。
告解は、義務だから行うのではなく、告解をすることによって「力を与えられる」または、「光を受けられるのか」と考えながらすることが大事なのだと思います。反省するだけではなく、新しく前に進むためにも、ゆるしの秘跡は非常に大切です。
自分の怠り、人を傷つけていながら、相手に対して謝罪をしていないという事もあると思います。
そういうことを全て綺麗にして頂き、今の言い方で言えば、リセットして頂きたいと思います。
しかし、いくら告解をしても、傷ついた心は消えないという方もいらっしゃると思います。
それは信じるか信じないかという事だと思います。
司祭から「赦された」と言われた時に、みなさん自身が、それを受け入れられなけば、本当の意味で赦された事にはならないと思います。
出来れば、今日は、告解された後、全てすっきりしてご復活に向かう準備が出来ればと思います。

さて、「怠り」「謝罪」のなかに、今まで伝統的に「教会における罪」とされていたことがあると思います。
たとえば、「主日のミサに与りませんでした」とか「毎日の祈りが心を込めて出来ませんでした」とか、そういう習慣をちゃんと出来なかったというだけで良いのでしょうか。
反省の中には、一人ひとりの私たちの生活自体のなかにある、「思いやりのなさ」とか「世界に貧しい人がたくさんいるのにその人たちの事は、考えないで毎日を過ごしている」とか、そういったことも思い出して頂けたらと思います。
フィリップ神父様の聖コロンバン会のマカーティン神父様という方がいらっしゃいますが、「黙想会のなかで環境問題について話したのが全く意味がなかった。その後、私が話したことについて、告解をしてきた人は誰もいなかった。みんなオーソドックスな、いつも通りの告解しか受けなかった…」と仰っていました。
それは、我々のメンタリティのなかに、「教会用の罪」と「実生活の中の罪」を分けているからかもしれません。でも、それで良いのでしょうか?
神様は、それでよいと思いでしょうか?

 

 

私は、叙階する前から海外や日本国内でボランティアをしてきました。叙階後も、小教区で土曜日・日曜日にミサを上げる一方、その活動を続けています。
なぜそのような事をやり始めたかというと、(小さなチャンタラという絵本として出版しましたが)、私は学生時代に国連のボランティアスタッフとして、タイに行きました。(タイとカンボジアの国境の戦場のタイ側)。
1979年~80年、ポルポト政権が倒れて、カンボジアにベトナム軍が進駐し始めて内戦がひどくなった時、着の身着のまま、難民がタイまで逃げてきました。私が向かった場所には、難民25000人が、収容されていました。その中には、孤児院があり、650人の孤児がそこにいました。私の担当は、その子供達のうち、13歳~15歳の男のグループ30人位でした。
その中には、逃げてきたばかりで、これから足を切断しないといけない子や、目の中に爆弾の破片が入っていて、(私がいる間に、そのうち)2人の子は、目をくりぬかなければいけない状況でした。(片方の子は、両目をそれで失いました。)
食事の時になると、大きなテントのなかで、みんなで筵のうえで、給食のように係の人が配り、みんなで食事をするという感じでした。
私が最初にそのなかで任された仕事は、青年男女5、6人でハタキを叩いて、大量のハエをご飯につかないようにするというものでした。
みんな逃げてきたばかりでゆっくりしか食べることが出来ないので、あっという間にハエが食事についてしまい、弱い子は、口の中までハエが集ってしまう状況だったのです。
そのハエはどこから来るのだろうと…ゴミ捨て場ではないかと思い、ゴミ捨て場を見に行きました。見に行くと…私は、思わず、フリーズしてしまいました。
切断した足や手が、私の背より高く積んで、まだ燃やしてもいない状況でした。
なぜ、私がこのような話をしたかというと、そういう状況にある人々の事を忘れてはいないかという事です。あるいは、日本は第2次世界大戦後、確かに経済成長し豊かになりました。しかし、世界のどこかにはまだ戦争を続けている地域があることを忘れてはいないかということです。

チャンタラちゃんの話に戻ります。
チャンタラちゃんは、口もきけない、笑う事も出来ない子でした。
彼女は、食事になると自分のお皿をもって、テントの下から抜けてどこかに行っていました。でも、職員は650人の子どもたちに対して、十数人しかいないので、放っておくことしか出来ませんでした。でも、あまりにひどいので、職員が押さえつけて、シャワーを無理矢理浴びさせたりとかしても、やっぱり、声も出さない。
おかしいなと思って、25000人いる家族が生活している所の掲示板に「彼女の事を知っている人はいませんか?」と張り出しました。そうしたら、その日のうちに、「自分がここに連れてきた」という男性が来ました。彼に、彼女に何が起こったのかと尋ねると、こういう話でした。

彼女とその家族(両親と兄姉たち)は逃げている中、クメール人少年兵士に見つかり捕まってしまい、まず、お父さんとお兄さんたちが羽交い絞めにされ銃剣で刺され殺され、次に姉たちが銃剣で刺され殺され、最後に、チャンタラちゃんを抱いているお母さんからチャンタラちゃんを奪い取り、お母さんに銃剣を刺しました。お母さんにはそれだけではなく、更に銃剣でお腹を割き、少年兵の1人が手をその中に入れ、お母さんの内臓を出して、チャンタラちゃんの口の中に入れたんです。その後、一人だけ放置されていたチャンタラちゃんを近くで隠れていたその男性が助けて、ここまで連れて来たのだとそうです。
チャンタラちゃんは、そういう事があり、口もきけなず、笑う事もない子になってしまいました。

その話を聞き、ちょうど1か月くらいたち、とても暑い日でした。
私がマラリアにかかり、熱があってハンモックで寝ていました。
ふと、目をあけると、チャンタラちゃんが私のおなかで、いっしょに寝ていました。目が合うと、慌ててどこかに行ってしまいました。
でも、次の日、(難民キャンプに車で通っていたのですが)車を降りると、たくさんの人の中から、チャンタラが走って私の方にやって来て、まるで映画のように、ハグしあいました。目が合うと、初めて彼女はそこで笑いました。そして、小さな手で私の指をつかんで、一緒に難民キャンプへの中へと歩いて、向かいました。
それから3日ぐらいして、彼女は声を出すようになり、やがて、同じ年くらいの子たちとご飯を食べるようになり、少しずつ回復していきました。
私だけではなく、スタッフや周りの大人みんなが、見守って心を寄せたことによって、チャンタラちゃんはもう1度「生き返ることが出来た」のだと思います。

私達も自分より弱い人、自分より大変そうな人のために祈る事、(お節介にならない程度に)手伝う事…そういう事が、とても重要なのではないかと思います。
特に、教皇フランシスコは、教会の一人ひとり、みんなが、あるいは、教会が、社会の最前線の野戦病院になりなさいと仰っています。
どういう意味でしょうか?
それは、「自分だけがこういうことが出来なかった」とか「自分はこのような罪を犯しました」とか反省しているだけでは足りない。我々一人ひとりが世界の、社会の一員であることをどれだけ認識しているかという事だと思います。

SNSでたくさんの人達にシェアされているあることばがあります。(原文は英語)

私たちはいつも自分が手に入れたいと思うものを手に入れることが出来ないかもしれない。
でも、考えてみてください。
世界中には、今私たちが持っている物すら一生手に入れることが出来ない人がどれほどいるか…

 

そういうことを思った時、私たちはこのままでよいのでしょうか?
ご存知の方も多いと思いますが、「人間にとって大切な基本な4つの関係」というものがあります。

  1. 相手との関係
    関係が崩れているならば、謝罪する、和解する…そうやって人との関係を大切にする
  2. 自然との関係
    共有財産である自然との関係を整えていく
  3. 自分との関係
    動物のなかで人間だけが出来る事と言われていますが、自分の闇、自分のアイディンティを見つめ、自分と和解し、前向きな気持ちになり、前に進む力とする。
  4. 神様との関係
    祈り等を通して、神様との関係を見つめ直す事で、自分がすべきことが分かる。

 

四旬節中というのは、こういった事を、ゆっくり考えたり反省したりするには最適です。でも、反省してそれで終わりなら意味がありません。そして、反省してもまだ傷が癒えないならば意味がありません。
主のご復活の際に、新しくなるという事を自覚することが出来るようになれば良いと思います。
先週の四旬節第4主日は、祭服は紫ではなく、ピンクのものを着たりすることもあります。
紫を着て喪に服しているようですが、少しずつ復活の光が見えてきているということを表すために、ピンクの祭服を着る司祭がいらっしゃるのだと思います。

私たちは、ただ真面目な顔をして祈っているふりをして、節制をしているふりをして、四旬節を過ごすのではなく、むしろ、復活祭の光に向かって「これから頑張っていこう」と気持ちで過ごしましょう。

告解の際には、全てを神様に捧げて、すっきりして、新しくなりましょう。そして、みなさんが、良い状態でご復活を迎えることが出来る事が出来ればと思います。

 

 

 

 

講話の後、山口神父様、渡邊神父様(豊四季教会)、山浦神父様(亀有教会)、赤岩神父様(市川教会)、フィリップ神父様が赦しの秘跡を授けてくださいました。
(赦しの秘跡については下記参照)

 

ゆるしの秘跡とは…

ゆるしの秘跡は、司祭のもとで、自分の犯した罪を告白し、罪のゆるしを願うことにより、神からの罪のゆるしが与えられるというしるしです。
この秘跡は、回心、悔い改め、和解、いやしの秘跡とも呼ばれています。
ゆるしの秘跡に必要な行為は、
- 痛悔(犯した罪を悔やむこと)
- 司祭への罪の告白
- 償いをはたす決意、およびその実行
です。

ゆるしの秘跡には、個別のゆるしの式と共同回心式があります。
前者は、ゆるしの秘跡を求める個人と神との出会いを重視します。それにくらべて、共同回心式は、ゆるしの秘跡の教会的な面をあらわしています。この式は、共同体の祈りの中で行われます。

共同回心式は、個人の罪だけでなく、教会共同体の連帯性について考え、共同体の上に神のゆるしを求めるので す。また、ゆるしを神に求めるだけでなく、兄弟姉妹にもゆるしを求めることを意識させてくれるもので、通常、主の降誕祭や主の復活という大きな祭日に向け ての準備として、待降節や四旬節の間に行われます。

引用元:女子パウロ会 Laudate | キリスト教マメ知識 「ゆるしの秘跡」

 

 

赦しの秘蹟は個別にも受けられますので、四旬節の間に授かられてはどうでしょうか…




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4月27日(木)10:00より、聖堂で聖体礼拝会の会のミサと聖体賛美式が行われます。

The Benediction is administered from 10:00 on April 27.

 

聖体礼拝の会は、今月35周年を迎えます。そのため、ミサは、35周年記念ミサとなります。
聖体賛美式後、お祝いの会が行われます。

 

聖体礼拝の会は、以下のように行われます。

多くの方の参加をお待ちしています。




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1日 共同回心式[10:00,13:30]
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朝祷会[7:00]
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2日 四旬節第5主日
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司牧評議会[12:00]
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聖歌練習[9:00]
軽食「シャローム」[11:30]
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6日 山谷おにぎりの会[9:00]
聖歌練習[10:30]
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7日 初金ミサ[18:50]
十字架の道行[10:00/18:15]
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8日 大掃除
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9日 受難の主日(枝の主日)
英語ミサ[13:00]
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ヨゼフ会例会[9:00]
マリア会地区連絡会[9:15]
教会学校スタッフ会議[12:30]
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福島産野菜・フルーツ・特産品の即売会[8:00]
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13日 聖木曜日(主の晩餐の夕べのミサ)[19:00]
聖香油のミサ[10:30]
於 東京カテドラル聖マリア大聖堂
*
14日 聖金曜日(主の受難)[19:00]
十字架の道行[15:00]
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15日 聖土曜日
復活の聖なる徹夜祭
*
16日 復活の主日
国際ミサ[10:30]
ミサ後、復活祭パーティ
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聖歌練習[9:00]
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23日 復活節第2主日・神のいつくしみの主日
タガログ語ミサ[15:00]
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教会学校入学式・始業式[9:30]
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27日 聖体礼拝の会[10:00]
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30日  復活節第3主日

 

 

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  • 4月3日から7日まで、フィリップ神父様は、お留守にされます。そのため、4日から6日までの朝ミサ、初金の朝のミサはお休みになります。

 

 

  • 毎週水曜日に行われているフィリップ神父様による勉強会「『福音の喜び』を味わう」は、春休みとなります。5月10日から再開となります。

 

  • 毎週木曜日に行われているフィリップ神父様による聖書講座「主日のミサの聖書朗読」は、春休みとなります。5月11日から再開となります。