本日、10時から、そして、13時半からの2回、共同回心式が行われ、多くの信徒が参加しました。

 

まず、大山悟神父様(日本カトリック神学院)から、講話を頂きました。
大山神父様は、始めに主の祈りへと導かられ、祈りと共に共同回心式が始まりました。

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講話要旨

待降節に入りました。
明日は、待降節第2主日です。待降節第2主日の典礼の中心点は、「悔い改め」です。
第1主日は、「終わりの日が来ること。それを注意深く待ち続ける事」ということでした。(カトリック教会では)待降節と共に新年を迎えますから、「終わりが来て、新しくなる」ということでした。

待降節と四旬節は、どちらも「悔い改め」をテーマとしていますが、その意味合いが違います。
四旬節は、「イエス・キリストの受難・死」を通して「永遠の命」を与るというものでした。
待降節は、古いもの、古い価値観を捨てる「新しい命」「物事を新しい視点で見る」というのが1つのテーマです。
イエス様を迎えるために、新しい気持ちとなるということは、つまり、「幼子イエスを抱きかかえる」霊性、これが待降節の霊性です。それは、「お父さんやお母さんが、子どもに対する愛情を取り戻す」事です。何故なら、それが全ての愛情の原点だからです。
イエス様は小さいな者、か弱き者として、この世に来られました。
私達が、少しでも手を離せば、死んでしまう存在です。一生懸命関わり、暖かさを伝えければならない。
人間が本来持っている愛の姿に戻りましょう。

では、古い自分、古い価値観とはどういうことでしょうか。
それは、「自分を中心にし、自分が物事の正否を決め、自分の価値観で生きている」ことです。
人間が生きる力の源になるのは、「欲望」でしょう。「欲望」がなければ、生きる活力を失ってしまうでしょう。例えば、食べ物を得る、お金を得る、住むところを得る、着る服を得る…。我々人間は、そうして安定を望みます。そうして、我々は所有することが出来、生きていくことが出来ます。しかし、そのなかで、欲望は競争を生み、優劣が出来、優劣は差別を生み、差別は戦いを生んでしまいます。やがて、お互いを否定しあい、殺し合いが始まります。私達は、通常、そのように生きているわけです。

人間は、生まれた瞬間から、そのような世界に投げ込まれてしまいますから、気付かないうちに「幼子イエスを抱きかかえるような愛を持った」私達の本来の姿から歪められてしまいます。
そして、それは、他の人に影響を与え、他の人も、お互いにお互いを本来の姿から歪めさせてしまいます。
本来の姿とは、「神は御自分にかたどって人を創造された。(創世記1章27節)」のですから、神の御姿にあります。神とは、「存在を肯定する存在」です。神さまは、まさに、存在を与える力です。
だから、私達は、本来は「自分・相手を肯定する存在」なのです。神様がそうされるように、お互いを愛する力を私たちは持っているのです。
しかし、しばしば私たちはそれを忘れてしまっています。

待降節は、それを思い出す機会を私たちに与えてくれます。
待降節のなかで、主日ごとに馬小屋が完成していきます。そして、クリスマスには、神の子が赤子として生まれます。その御姿を見る事で、私たちは、今までの姿を捨て、今までの価値観とは全く逆のモノを思い起こすことが出来ます。強い意志をもって、自己中心的な自分を捨て変えることが出来ます。そして、今までとは全く逆の価値観のなかに戻ることが出来ます。根本的に自分を変えることが出来ます。
それを行うのがゆるしの秘跡です。

 

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今から皆さんは、ゆるしの秘跡に与りますが、大切なことがあります。
みなさんは、告解し、罪を告白しますが、告解をしてスッキリするだけで、何も変わらない事があるかもしれません。
忘れないでほしい事は、「神のいつくしみを感じる」ということです。「神の存在を感じる」という事です。

神様へのアプローチの仕方として、「命の三原理」というものを皆様に覚えて頂ければと思います。
それは、「生きている。生かされる。つながる」です。
私たちは、常に生かされています。自分の力だけでは生きていけません。常に、生かされ、まわりの人に活かされ、そして、繋がっています。その力の源に神がいます。
日常生活の中で、常に「生きている。生かされる。つながる」という事を意識して、神様から引き離しているモノを取り除き、本来の姿に戻りましょう。
良心の究明をし、具体的にその要因を見つけ、「神の恵み」を感じて、ゆるしの秘跡を受けてください。
そうすれば、必ず生かしてくださいます。必ず力をくださいます。
「生かされている」という事をもう1度見つめ直し、ゆるしの秘跡に与りましょう。

 

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講話の後、大山神父様、渡邊神父様(豊四季教会)、フィリップ神父様が赦しの秘跡を授けてくださいました。
(赦しの秘跡については下記参照)

 

ゆるしの秘跡とは…

ゆるしの秘跡は、司祭のもとで、自分の犯した罪を告白し、罪のゆるしを願うことにより、神からの罪のゆるしが与えられるというしるしです。
この秘跡は、回心、悔い改め、和解、いやしの秘跡とも呼ばれています。
ゆるしの秘跡に必要な行為は、
- 痛悔(犯した罪を悔やむこと)
- 司祭への罪の告白
- 償いをはたす決意、およびその実行
です。

ゆるしの秘跡には、個別のゆるしの式と共同回心式があります。
前者は、ゆるしの秘跡を求める個人と神との出会いを重視します。それにくらべて、共同回心式は、ゆるしの秘跡の教会的な面をあらわしています。この式は、共同体の祈りの中で行われます。

共同回心式は、個人の罪だけでなく、教会共同体の連帯性について考え、共同体の上に神のゆるしを求めるので す。また、ゆるしを神に求めるだけでなく、兄弟姉妹にもゆるしを求めることを意識させてくれるもので、通常、主の降誕祭や主の復活という大きな祭日に向け ての準備として、待降節や四旬節の間に行われます。

引用元:女子パウロ会 Laudate | キリスト教マメ知識 「ゆるしの秘跡」

 

 

赦しの秘蹟は個別にも受けられますので、待降節の間に授かられてはどうでしょうか…