本日、11月2日は、死者の日とされ、亡くなったすべてのキリスト者を記念します。

わたしたちは生者と死者を問わず万人との連帯関係にあり、その連帯関係は聖徒の交わりを土台としています。「聖徒の交わり」とは、「聖なるものの分かち合い」と「聖なる人々の交わり」という意味を持ち、聖徒たちの交わりが、まさに教会なのです。すべての罪はこの交わりを損なうものです。
教会はキリスト教の初期の時代から、死者の記念を深い敬愛の心をもって尊び、死者のための祈願をもささげてきました。死者のためのわたしたちの祈りは、死者を助けるだけでなく、死者がわたしたちのために執り成すのを有効にすることができるのです。

引用 死者の日 カトリック中央協議会

 

 

松戸教会では、午前10時半から、豊四季教会の渡邊 泰男神父様司式でミサが行われました。

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第1朗読…

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福音朗読

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そして、説教

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説教要旨

主の道、主を信じるということで、私たちにとって一番重要なのは、主は「復活」されたということです。
12使徒たちは、長きにわたり、主に仕えますが、ご受難・十字架上での死を知った時、復活を信じていませんでした。彼らが、復活した主に出会うことにより、「真実」が見えていき、やがて、キリストの道を歩むように、多くの殉教者を出していきます。私達も復活された主に出会うことにより、新たな一歩を踏み出すことが出来ます。
すべてにおいて、イエスは、福音そのものであり、イエスの生き方、御言葉に絶大なる信頼をおき、人間の知恵では考え付かないようなことが、主によってなされます。
そこに私達は招かれ、現実の生活の中で、キリストの存在を知る事ができると思います。
主は、貧しく抑圧された側につき、そして、その人達にしたことは、『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。(マタイによる福音書25章40節)』とあるように私達もキリストに出会う時、それは、私達が思い浮かべるようなキリストの姿ではないということを見定めておかないと、どこか違った生き方になるのではないでしょうか。
本当に私たちがどん底を味わっている時、主は私達を力づけ、私達を新しくしてくださいます。
そして、多くの亡くなられた方が、諸聖人の交わりの中に迎えいれられ、私たち一人ひとりが神から与えられたミッションを全うするよう祈り導かれていると思います。
私たちにとって、神は、父であり御子であり聖霊です。
聖パウロは明確にその事を私たちに告げています。
死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。(使徒パウロのローマの信徒への手紙8章38~39節)」
私達もどのような境遇に置かれてもキリストの道を歩んでいるということを、しっかりと身に納め、聖パウロがおっしゃっているように、復活の命に希望をかけ、派遣されているこの現実のなかで、主との出会いを感じ、身をもって、永遠の命を悟る恵みを与えられるように、多くの亡くなれた方々、諸聖人の取り次ぎを願い、それぞれが与えられたタレントを十分に活かし、主イエスが、愛して下さったように、どのような人でも大切に出来ることができるように願い、永遠の命に招かれている喜びをもって、この地上の命全うできることができるように、一緒に願ってまいりましょう。

 

 

第1朗読 ローマの信徒への手紙 8章31b~35、37~39節
福音朗読 ヨハネによる福音書 6章37~40節

 

 

記念唱のなかでは、多くの亡くなられた方々への祈りが行われ、心を合わせて祈りを捧げました。

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