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本日、10時から、そして、13時半からの2回、共同回心式が行われ、多くの信徒が参加しました。

 

ゆるしの秘跡に与る前に、山浦義春神父様(亀有教会主任司祭)から、講話を頂きました。

 

はじめに山浦神父様のお導きで、祈りと共に始まります。

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講話要旨

今年は、いつくしみの特別聖年です。
今日は、いつくしみの特別聖年についてお話ししようと思います。
教皇フランシスコは、今年を「いつくしみの特別聖年」と定められました。そこには、教皇様の思いがあってこそ定められたのです。私たちが今大事にすべきものを今示されています。
逆に言えば、教皇様の思いが今世界には欠けているということです。

教皇様の思いについて

幸い、私たちはテレビや新聞などのメディアを通して、教皇様の活動・祈り・思いを知っています。
教皇様は、司祭・司教・教皇と常にこの「いつくしみ」「憐れみ」ということを大事にされてきたということが分かります。歴代の教皇様と比べて、今の教皇様の大きな違いは「色々な人々に会われている」という点です。教皇様は、様々な階級、様々な民族の方々、様々な場所にも赴いています。例えば、教皇様は、刑務所にも赴きました。私たちはそのような事実があるから凄いと思えますが、そのような事実を知る前にそのような行為を行えるでしょうか。刑務所で服役している方々は、マイナスのイメージが多く人々からはレッテルを張られてしまい、孤独な環境にあります。だからこそ、教皇様は、そこにいかれ、「一人ではない。側にいる」という思いを体現されました。
そのような教皇様は、最近1年間は、家庭問題について取り上げられています。
なぜでしょうか?教会では、「婚姻の無効化」がなければ、信者はキリスト者として満足の出来る生活が出来ません。その他、家庭内の信者としての生活など、教皇様は行動し、改革を行っています。
常に1信徒として生活してほしい。そういった思いで、特に「いつくしみ」を実践されています。
教皇様は「あなたは独りではない」ということを伝えようとされているのだと思います。
「わたしの近くにいる立場の人でさえ私の思いに反している人がいる」というイエスの御心の信心の一つの出来事の言葉があります。
教皇様も現代社会のなかで、私たち信徒に「そのような思いを持って行動していますか」と、問いかけています。そのような思いがあり、教皇様は「いつくしみの特別聖年」を設定されたのです。
教皇様が「どのような生活を求められているのか」ということを意識して下さい。感じて下さい。
「どうして家庭について話されているのか」「どうして立場の弱い方々の所に行かれるのか」考えてみてください。

 

 

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第2バチカン公会議について

昨年は、第2バチカン公会議閉会50周年でした。いつくしみの特別聖年が始まった12月8日に第2バチカン公会議が閉幕しました。
第2バチカン公会議で、教会は大きく変わりました。
第2バチカン公会議前は、教会は閉ざされ、司祭と信徒の関係もあまり強いとは言えない状況でした。司祭と信徒は、秘跡においてつながっていました。
公会議の後、教会は開かれ、お互いを見えるようになり、司祭と信徒は関係を強くしました。他の教派、他の宗教ともつながりを持とうとしました。
この50周年を機に、もう1度その意義を思い起こし、いつくしみの心を持ち、より一層開かれた教会となり、司祭と信徒の関係、信徒同士の結びつきを強くしようと、教皇様は「いつくしみの特別聖年」を設定しました。

 

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特別聖年について

大聖年は大きな時代の節目(最も近い大聖年は2000年)、聖年は25年周期とされます。
今回の特別聖年は、25年周期以外の年に「教皇様の意向により行われる聖年」です。
聖年は、「ローマ巡礼者に特別の赦しを与える」年です。
旧約聖書の時代、「ヨベルの年」というものがありました。ヨベルの年は50年おきに訪れます。旧約聖書レビ記第25章に基づき、田畑や家畜を休ませ、奴隷を解放し、借金を帳消しにする、全てをリセットする年でした。新約の時代となり、1300年ごろから聖年という言葉が定められ、100年、50年、33年、25年周期に定められるようになりました。

 

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本来ならば、ローマに行かねば免償を受けられませんが、教皇様はなるべく多くの方に免償を授けたいというお考えで、司教区に巡礼指定教会を定め、そこに行けば免償が与えられるとされました。また、指定巡礼教会に行けない病気の方々、体の不自由な方々も、特定の祈り、黙想等をすれば免償が与えられるとされました。
そこまでされて、様々な方が神のいつくしみを感じ、免償を受けられるようにしました。神様がいつでも私たちに手を差し伸べている事を実感してほしいとお考えなのです。
私たちは、その御手を払いのけ、生活しています。もう1度、神様の御手を握り、神様のいつくしみに気づいてください。
この「慈しみ」「憐れみ」という言葉は、福音書にしか使われない言葉です。
父である神、そして、イエス様が、私たちを想う時に使われる言葉です。神様の愛が伴う言葉です。例えば、放蕩息子の父の心、1頭の羊を探しに行った羊飼いの心に使われています。
いつくしみは、「はらわたする」という言葉で訳されます。私がこの言葉を想像した時に、「母親が出産する時の苦しみ、痛み」を想像します。自分の体がちぎれそうになっても我が子を想う気持ち、そういう気持ちが「いつくしみ」かもしれません。
まわりの人たちに、私たちは「いつくしみ」を捧げていますか?同情ではなく、いつくしみを捧げています。自分の体がねじれるくらいの痛みを共に感じ、苦しんでいる人たちのためにいますか?
同時に私たちもそのような想いを周りの人達から、そして、神様から受けていることを忘れていませんか?

教皇様はそれを示すために、今、先頭を歩いています。
「父なる神様のいつくしみを感じていますか?」私たちは問われています。
そういう思いを感じ、回心し、まわりの人たちに神様のしるしとなるよう…それが出来るように、力を与えて頂けるように、祈り、ゆるしの秘跡に与りましょう。

 

 

講話を頂いた後、山浦神父様、フィリップ神父様が赦しの秘跡を授けてくださいました。
(赦しの秘跡については下記参照)

 

ゆるしの秘跡とは…

ゆるしの秘跡は、司祭のもとで、自分の犯した罪を告白し、罪のゆるしを願うことにより、神からの罪のゆるしが与えられるというしるしです。
この秘跡は、回心、悔い改め、和解、いやしの秘跡とも呼ばれています。
ゆるしの秘跡に必要な行為は、
- 痛悔(犯した罪を悔やむこと)
- 司祭への罪の告白
- 償いをはたす決意、およびその実行
です。

ゆるしの秘跡には、個別のゆるしの式と共同回心式があります。
前者は、ゆるしの秘跡を求める個人と神との出会いを重視します。それにくらべて、共同回心式は、ゆるしの秘跡の教会的な面をあらわしています。この式は、共同体の祈りの中で行われます。

共同回心式は、個人の罪だけでなく、教会共同体の連帯性について考え、共同体の上に神のゆるしを求めるので す。また、ゆるしを神に求めるだけでなく、兄弟姉妹にもゆるしを求めることを意識させてくれるもので、通常、主の降誕祭や主の復活という大きな祭日に向け ての準備として、待降節や四旬節の間に行われます。

引用元:女子パウロ会 Laudate | キリスト教マメ知識 「ゆるしの秘跡」

 

 

 

 

今日の共同回心式は、いつくしみの特別聖年ということもあり、東葛飾宣教協力体合同で行われ、13時半からの共同回心式の後、午後3時からミサが行われました。

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ミサの後には、地下ホールで懇親会が行われました。

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赦しの秘蹟は個別にも受けられますので、四旬節の間に授かられてはどうでしょうか…




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主任司祭より教皇フランシスコの言葉が贈られます。

 

親愛なる信徒の皆さん
常にいつくしみと祈りをもって司祭の近くにいなさい
司祭たちがいつも神様の心に従って牧する羊飼いであるように。
そして、神様が司祭に召し出そうとしている人たちのために祈りなさい。
彼らが謙遜と喜びをもって神様の呼びかけに応えることができますように。

親愛なる司祭の皆さん
父である神が油を注いでくださった聖なる霊をわたしたちの中で新たにしてくださるように。
わたしたちの心の中に新しい霊を送り、この塗油が皆にも広がるように、
特にいちばん探し求めて感謝する一般信徒の端にいる人たちにまで広がるように。
人々が自分たちを主の弟子であると感じとることができるように。
司祭たちのことばと行動を通して油注がれた者、救い主イエスがもたらした喜びの油を人々が受けることができますように。

 


 

From Parish Priest “Words of Pope Francis”

 

Dear lay faithful, be close to your priests with affection and with your prayers, that they may be always be shepherds according to God’s heart. And pray for those whom God is calling to be priests that they may respond to this call with humility and joy.

Dear priests, may God the Father renew in us the Spirit of holiness with whom we have been anointed. May he renew his spirit in our hearts so that this anointing may spread to everyone, especially to those “outskirts” where our lay faithful people most look for it and most appreciate it. May our people sense that we are the Lord’s disciples; and may they receive through our words and deeds the oil of gladness which Jesus, the Anointed One, came to bring us.