|  |  |  |

カトリック教会では、クリスマス(降誕祭)の4つ前の日曜日から、クリスマスを準備する期間に入り、この期間を「待降節(アドベント -Advent-)」と呼んでいます。

 

松戸教会では、毎年待降節・降誕節の時期は、教会をイルミネーションで飾りつけをし、聖母子像のところには馬小屋を飾ります。

今年は明日・12月1日(日)から待降節となりますので…本日、13時頃に集合をし、飾り付けをしました。

 

地下ホールの前のヒマラヤ杉。

結構な高さがあるので…脚立を使って飾りつけをします。

 

IMG_0879

 

教会入口。

去年まであったモミの木は悪くなってしまい抜いてしまったので…新しいモミの木を植え、飾りつけです。

 

IMG_0881

 

聖堂外壁の十字架も飾りつけです。

 

IMG_0882

 

教会入口から入ってすぐにある聖母子像横には、馬小屋を置きます。

 

IMG_0884

 

約2時間半かけて…飾り付け終了。

 

今日の夜から約1か月間、イルミネーションが輝いています。

お近くにお住まいの方は、是非見に来てください。お待ちしています。

 




 |  |  |  |

本日・年間第33主日、名誉教皇ベネディクト16世が開催を宣言された信仰年を残すところ1週間となりました。

カトリック松戸教会では、信仰年行事として様々な企画を催してきました。

 

 

その締めくくりとして森司教様をお迎えして、「信仰年を締めくくるにあたって」というテーマのもと講演会を開きました。

 

 

 

講演会の前に、10時半からのミサを森司教様に司式して頂きました。

 

IMG_7590

 

IMG_7591

 

IMG_7594

 

第1朗読 マラキ書 3章19~20a節
第2朗読 テサロニケの信徒への手紙二 3章7節~12節
福音朗読 ルカによる福音書 21章5~19節

 

 

 

IMG_7607

 

ミサ後、森司教様から講話を頂きました。

(以下講話内容)

 

信仰年に当たり、もう1度、歴史を振りかえり、「教会」というものを見直してほしい。「エクレシア(古代教会)」はどのようなものだったのか、知る必要がある。それがどのようなものだったのかは、聖書の中にある。

 

この町に一人の罪深い女がいた。イエスがファリサイ派の人の家に入って食事の席に着いておられるのを知り、香油の入った石膏の壺を持ってきて、後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った。

ルカによる福音書 7章37-38節

 

当時、ファリサイ派の人たちは、有名人を食事に招き、講演会のような形で人を集め、自らの権威や人気を高めようとしていた。

その人々が集まる中に入ってきて、イエス様の足元にまで近寄ってきた「罪深き女性」、この女性はどのような人だったのだろうか?この女性について考えてみたい。

  1. この時代の罪深い女性という場合、「娼婦」であったと考えられる。しかし、自ら進んでそのような道にすすむことはないだろう。つまり、彼女は、娼婦にならざるを得ないような環境にあり、厳しい生活を送っていたのだろう。そして、罪深さゆえ、人々からは蔑視されていた。言葉には出さなくても、態度にはあらわれるものである。
    そういったなかで、彼女は「社会での自分の居場所を無くしていまっていた
  2. 彼女は、「娼婦」という仕事のなかで、人々の二面性、たとえば、客となる男性が自分と相対した時と普段社会の中で生活している時の言動の違いを見てしまうだろう。そして、その客達(もしくは、男性)への社会の受け止めが(例えば、社会的な地位などによって)良ければ良いほど自分の見て知ってしまったものとのギャップを感じてしまう。彼女は、社会の深層にある二面性のようなものを見てしまい、「社会への信頼が揺らいでしまう
  3. 罪深い女性にも、やはり(十戒”姦淫してはならない”に背ているので、当時の倫理観からすれば)自分のしている仕事に対する自責の念があり、たとえ、表層には現れなくても、深層の中で自己を否定していまい、「自己に対する信頼感も失ってしまっている

 

そういった「居場所も社会や自分に対する信頼も無くした」女性が、ファリサイ派の人の家で人々の中にいるイエス様を見た時に感じた魅力に引き寄せられ、イエス様に対して「信頼感」を抱き、つい引き寄せられてしまう。イエス様は、一目見ただけでそういったものを感じさせる人だったのだ。罪深き女性は、イエス様に「自分の居場所」をみつけたのではないだろうか。

そういったモノに引き寄せられ集まって出来ていったのが「エクレシア」であり、教えがあったから集まってきたのではないのではないだろうか。

 

 

IMG_7612

 

我々、今の教会はそのようなエクレシアから変遷してしまっていないだろうか。教会は「教え」を持ちすぎて、「教え」を通して、イエス様に出会うようになってきてしまった。カトリック教会が日本の中で広まらないのは、「教え」、カテキズムが塀になって入ってきているのを阻害しているからではないだろうか。本来は、先の罪深き女性がイエス様に感じたような「心の響きあい」こそ大事にすべきものである。

例えば、心に傷を負い、教会を洗礼を受けたいと訪ねてきた人がいた。教会の受付で洗礼希望者は入門講座に通ってくださいと言われ、入門講座に通い始 めると、カテキズムなどを習うことになった。何を言っているのか難しくて分からない。まわりの人たちも黙って聞いているので質問してよいものかわからな い。そうしているうちに心の傷は癒さないままだんだん教会から離れていってしまう。

例えば、罪を犯し、懲役刑を受け、刑期を終えた人が、教会を訪ねてきた。その人は、教会の人に「自分は罪を犯し刑務所に入っていた。社会的に疎外感を感じている」と言って、心の拠り所として教会を訪ねてきたと言ってきた。しかし、教会の人は言葉には出さないが、また、態度には出さないように努めるが、なんとなく雰囲気として偏見の目を向けてしまう。そして、それはいつのまにかいろんな人に広まってしまい、結局、その人は教会でも疎外感を感じ、離れて行ってしまう。

このように、たとえ悪意がなくても、教え・戒律によって、外に弾かれてしまう人たちは大勢いる。

エクレシアという言葉の中には、「教え」という意味は全くない。人と人とが出会って、キリストの魅力にひき寄せられて、イエズスさまから希望をくみ取る、そういう人々の共同体である。「教え」とは全く無関係な愛の共同体、それが教会の原点、原型である。

 

フランシスコ教皇様は、「教会は裁かない」と仰った。それは、イエス様が忌むべきものとしているからだ。それはマルコによる福音書に以下の様にあることでもわかる。

 

丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである。

マルコによる福音書2章17節

 

「教え通りに生き、正しいことをし、一生懸命に生きている人を褒めてくれる神様」と「(例え、罪を犯しても、やはり、受け入れ、赦してくれる)命のつながり・関係の中での神様」、どちらがイエス様の言う神様だろうか。イエス様は神様を「アッバ(お父さん)」と呼んだ。お父さんは(例え、罪を犯しても、やはり、受け入れ、赦してくれる)命のつながり・関係の中で一緒に生きてくれるのではないだろうか。親はどんなことがあっても子供を見捨てはしない。それは「放蕩息子のたとえ」(ルカによる福音書 15章11-32節)でもわかる。

教会の原型であるエクレシアは、決して知的な人間や教養のある人間の集まりではない。このような「人間のつながり・関り」のなかで存在するモノであり、そのなかで、そういう「繋がりや関わり」に感謝する心こそ「信仰」なのである。

 




 |  |  |  |

本日の教会学校は来週、典礼歴最後の主日である「王であるキリスト」の説明に始まり、

その後はクリスマスに歌う聖歌の練習をみんなでしました。

クリスマスにはきっとすばらしい歌声を聞かせてくれることでしょう!

 

最後には少し時間が余ったので、フルーツバスケットをしました。

このフルーツバスケットの時間が今日一番子供たちが楽しそうでした(笑)

1384787669267

 

 

1384787721020

 

1384787740842

 




 |  |  |  |

11月15日(金)から16日(土)の2日間、松戸教会としては5回目の、そして、東葛飾宣教協力体として亀有教会豊四季教会・松戸教会の3教会合同では、初めての「東北支援ボランティア活動」に行ってまいりました。
今回のボランティアには、亀有教会から1名、豊四季教会から6名(渡辺神父様もご同行してくださいました)そして、松戸教会から10名の計17名の参加がありました。

 

8時に松戸教会に集合し、聖堂でフィリップ神父様から派遣の祝福を受けて出発しました。

 

IMG_7359

 

そして、約4時間後、カトリック二本松教会に到着しました。

 

IMG_0033  IMG_7366

 

到着後、早速カトリック二本松教会の集会室をお借りて炊き出しの準備をしました。その間、男性陣は現地の仮設住宅に行き、テント張りなどの準備をしました。

 

IMG_7365

 

準備終了後、17:00に宿泊施設(男女共生センター)へチェックインし…明日のために休息しました……

 

 

 

 

明朝の朝食後、カトリック二本松教会の聖堂で豊四季教会主任司祭の渡邊神父様から派遣の祝福を受けて男性陣設営隊が出発しました。

 

IMG_7383

 

男性陣は、設営準備。

 

IMG_0058

 

IMG_0059

 

残った女性陣は、おにぎりなどを準備。

 

IMG_0051

 

 

 

今回伺ったのは、東電福島第一原発の北側に位置する福島県双葉郡浪江町からの避難者のための石神第一応急仮設住宅でした。石神第一応急仮設住宅では、36世帯(70人)の方々が未だ仮設住宅で生活を送っている現状です。

 

IMG_7387

 

 


大きな地図で見る

 

 

10時に石神第一仮設住宅に全員集合し準備開始しました。

仮設住宅に住んでいらっしゃる方々に少しでも喜んでも頂こうと参加者全員で腕を振るいました。

 

IMG_0068

 

IMG_0069

 

IMG_7406

 

 

 

そして、11時より自治会長にご挨拶を頂き、いよいよスタートです。

 

IMG_7424

 

まずは、おにぎり、焼きそば、ウインナー、焼き鳥、豚汁、チジミなど…炊き出しを食べていただきました。

 

IMG_7427

 

IMG_7431

 

 

この後、様々なことをして住民の方々と楽しい時間を過ごせました。

脳梗塞予防体操や手話ダンスや…

 

IMG_7447

 

 

 

肩ほぐし体操…

 

IMG_7459

 

 

 

肩がほぐれた後は、豊四季教会の信徒の方が中心になってデンデン虫々かたつむりの歌を歌いながら手を使った遊び。

 

IMG_7473

 

 

 

みんなで森のくまさんを輪唱しながら…

 

IMG_7494

 

 

 

豊四季教会の信徒の方による手品!

 

IMG_7503

 

 

歌を披露したり…

 

IMG_7516

 

 

 

松戸教会のマリア会と亀有教会の信徒の方で前日覚えた「ふるさと浪江」も披露しました。

 

IMG_7519

 

 

 

「ふるさと浪江」おどり隊会の方々が踊りの披露してくださいました。

 

IMG_0084

 

 

 

 

みんなで盆踊りを踊ったり…

 

IMG_7551

 

 

 

最後に参加者全員で記念撮影をしました。

 

IMG_7582

 

 

 

今回初めての東葛飾宣教協力体合同(亀有教会・豊四季教会・松戸教会)で福島のほうに伺うことが出来ました。

石神第一応急仮設住宅の皆様の少しでも笑顔の種になれましたら幸いです。これからも活動を続けていきたいと思っています。

 

 




 |  |  |  |

本日、年間32主日の10時半からのミサのなかで「七五三の祝福」が行われました。

 

フィリップ神父様が、七五三を迎える子どもたちを前にお祈りを唱えられました。

 

DSC00643

 

お祈りの後、フィリップ神父様がこどもたちを祝福しました。

 

DSC00648

 

教会から(フィリップ神父様が祝別してくださった)記念品とおメダイをプレゼントしました。

 

DSC00650

 

DSC00656

 

今日のミサに来てくださった方々からも祝福の拍手が贈られました。

 

DSC00658

 

今日はいつもよりちょっとおめかしして、ミサに与りました。

七五三を迎えた4人の子どもたちの健やかなご成長を心よりお祈り申し上げます。

 

 

 

ミサ後、みんなで記念撮影。

 

DSC00665