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明日は、聖ミカエル祭バザー当日です。

各委員会・グループ準備のために、教会を訪れています。

 

ヨゼフ会の役割は、バザーの設営準備です。

 

明日使う鉄板や道具を綺麗にしたり…

 

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各委員会・グループが使う道具や売り物を運んだり…

 

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テントを設営したり…

 

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明日の聖ミカエル祭は、多くの方に来ていただきたいと思います。

準備をして、お待ちしています。

 

 




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11月4日(月・振替休日)13:30より岡田大司教様の司祭叙階40周年記念の祝賀ミサが東京カテドラル関口教会マリア大聖堂にて行われます。

 

カトリック松戸教会では、お祝いに「祈りの花束」を差し上げますので、受付事務室前にの祈りの花束用のプリントにと、そのカードの投函用の箱を用意してありますので、是非皆様の祈りの数を記入してお入れください。

 

祈りの花束(霊的花束)とは

カトリック教会では、ミサや、「ロザリオの祈り」や「主の祈り」、「アヴェ・マリアの祈り」などの祈りや、何かを少し我慢すること(たとえば、たばこやお酒などを断つこと)を決められた意向のために行い、祈りの「花」と見立て、それらを集めて、お祝いやお礼、お見舞いなどに、それらの「花」を「霊的花束」として贈る習慣があります。

個人としてだけではなく、教会として、教会に集う一人ひとりの「花」を「霊的花束」としてまとめて、お祝いやお礼に贈ることも多々あります。

 

 

 

 


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今週の教会学校は題名の通り久しぶりに「こじか」を使って授業をしました。

 

 

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まず今日の福音である、感謝するサマリア人の箇所をみんなで丸読みしていきました。

そしてもし自分が重たい病気で苦しんでいる時、イエス様にその病気を治してもらったら、イエス様に対してどうするべきかを考えてもらい、その考えを言葉や絵などで自由に表現するという課題に取り組まさせました。

 

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熱心にシスターの説明を聞いていますね!

 

 

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最後に、課題を一人づつみんなの前で発表しました。絵を描いた子や言葉を書いた子、そして絵も言葉も書いた子もいました。
表現はいろいろとありましたが、みんな共通してサマリア人のようにイエス様に感謝の気持ちを表すという思い持っているということでした!

 

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それは1983年のことでした。コロンバン会の召命指導者だったナイアル・オブライエン神父がわたしのいたラサール・バコロド高校を訪ねて来られました。当時、オブライエン神父は自宅軟禁中であり、召命の仕事でいろいろな学校に行くためには、フィデル・ラモス将軍か地元の警察署長の許可が必要でした。オブライエン神父がわたしたち高3クラスで話をされたとき、2人の警察官が一緒にいる理由がわかりました。オブライエン神父は「家を出なさい」というキリストの呼びかけについてわたしたちに話をしてくださいました。「わたしの弟子になって人々に教えに行きなさい。」その言葉に心引かれて、何人かの生徒たちが、コロンバン会の神父様たちとともに宣教師になる道を探し求めるサーチインセミナーに参加しようと決心したのですが、わたしもその中のひとりでした。

わたしは高校時代、長距離ランナーで、オブライエン神父のチームがわたしたちのところに訪ねて来られたとき、わたしの体は痩せて細かったのですが、そのときすでに、初めての宗教生活に入ってみようとわたしの心は決まっていました。オブライエン神父が指導司祭として居住していたバコロド地方刑務所で、わたしは心理テストと他の適性テストを受けました。ネグロス・オクシデンタル地方から13人がセブ市で行われた最初のコロンバン会設立プログラムに参加を許されたのは1984年の5月でした。わたしたちの送別会と送り出す記念ミサは聖霊降臨の祭日にバコロド地方刑務所の中で行われました。出席したのは囚人たちとネグロス・ナインと呼ばれる人たち、名前を挙げると、ナイアル・オブライエン(コロンバン会司祭)、ブライアン・ゴア(コロンバン会司祭)、ヴィンセント・ダンガン(教区司祭)、そして6人の在俗リーダーたち。皆、ネグロス。オクシデンタル出身のカバンカラン市長、パブロ・ソーラ氏殺害で告発されていました。それはバコロド教区フォルティチ司教とキリスト教徒共同体に対する前大統領フェルディナンド・マルコスとの闘争でした。キリスト教徒はネグロス。オクシデンタル地方の砂糖工場労働者の労働条件の改善を求めて闘っていました。

それから5年が経ち、わたしはセブのコロンバン会設立に関わり、サンカルロス大学で勉強しました。その後、マニラに行き、司祭見習いの霊的修練1年と、2年間の神学の勉強をしました。それから2年間の海外研修プログラム(OTP)で日本の和歌山県に派遣されました。1992年から1994年のことでした。この海外研修プログラムは、わたしのような若者が、新しい土地で、言葉や文化や人々とうまくやっていけるかどうか、また宣教司祭になれるかどうかの答えを見いだすための道であり、テストでありました。日本でのすばらしい2年間を終え、将来また日本に戻りたいと思いました。わたしは神学を修了するためにマニラに戻り、1995年6月24日にマニラ教区の補佐司教テオドロ・バカニ司教から助祭叙階を受けました。バカニ司教はその時病院から退院したばかりで、その日の午後、マラト・カトリック教会で助祭叙階式が行われましたが、司教は暑さで倒れそうになりました。バカニ司教が回復して助祭叙階式とミサを終えられるようにと皆で祈りました。本当に彼は元気を取り戻しました。そのあとの6ヶ月間、わたしはマラト教会で助祭として奉仕し、同時に平日は召命促進をはかるためにいろいろな学校を訪問しました。その後、1995年12月18日がやって来て、バコロド市のリデンプトリスト教会でカミロ・グレゴリオ司教から司祭叙階を受けることになりました。前バコロド教区司教のアントニオ・フォルティチ司教をはじめ、バコロドとカバンカラン教区の司祭たちと大勢の人々が出席してくださいました

振り返ってみると、ほんとうに長距離ランナーだったことがわたしを助け、長い道のりを走りきる力を与えてくれたと思います。もちろん、神様のお恵みがあったからこそ、また、家族や友人、知人、コロンバン会の家族、新しいカテキスタの仲間たち、地元教会の信徒の皆さん、海外研修プログラムで出会った日本のカトリック信者の皆さんの祈りと支え、励まし、鼓舞、助け、そして愛があったからこそ、わたしは宣教する司祭になることができたのだと思います。

しかし、第一にわたしに宣教司祭になろうと強く考えさせたのは、長年フィリピンの人々のために命を捧げてきたオブライエン神父様とコロンバン会の神父様たちの姿でした。神父様たちの刑務所での存在に私は疑問を抱き、教会の秘跡の適合性について、刑務所という場所での司祭の役割について尋ねました。わたしは神様の呼びかけに応えたいと思い、聖コロンバン宣教会に参加することで神父様たちの善行と犠牲に感謝の気持ちをお返ししたいと思いました。踏みつけられている人々に神の国を高らかに宣言したいと思いました。わたしが聖コロンバン宣教会に参加することで神様の呼びかけに応え、船出してから今年の6月で29年が経ちました。そして、このあとの29年でわたしは召命の旗を広げ、これからの世代の人たちに召命物語を読んでいってもらいたいと望んでいます。

主任司祭 フィリップ・イリオ・ボニファチオ神父




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10月10日(木)から「聖書100週間」が始まります。

申し込まれた方はお集まりください。

当日、13:30から聖堂で開式ミサを行います。