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皆さん、新年おめでとうございます。
2014年が皆さまにとって神の祝福と喜びに満ちた実り多い意義ある一年となりますように心からお祈りいたします。私の生まれ育ったふるさとフィリピンや日本、そして全世界に大きな災害がもたらされないことを願っています。新しい年を始めるにあたり、自分や家族、友達、私が司牧するフィリピン人共同体と松戸教会の全信徒たちを守り助けてくださるよう、神の母であり、また私たちの母でもある聖母マリアの手にゆだねます。

私たちの心を開いて毎日の生活にイエス様をお迎えすれば、きっとこの一年がより良い、より明るい未来をもたらしてくれるでしょう。そして、私たちにとって大切な新年の抱負を立てるとすると、それはマリア様を模範とすることでしょう。いろいろなことがマリア様の一生に起こっていましたが、マリア様はすべての出来事を理解したわけではありませんでした。だから、マリア様はすべてのことを心の中にしまって思いをよせていたのです。

私たちはいつも気ぜわしく急いでいるように見えます。自分のタイムスケジュールをしっかり守ろうとしているのかも知れません。でも、いつも神様のことを忘れないでください。
祈ることをやめないでください。神様を私たちが毎日していることや場所に招いてください。
そうしないと私たちはどこかに連れ去られて迷子になり、ひとりぼっちになってしまうでしょう。マリア様のように、私たちの毎日の生活に起こったことをゆっくりと時間をかけて宝物にしましょう。そしてその宝物に思いをよせましょう。なぜなら、その宝物は三度とやって来ないからです。神様がともにいてくださることは生きることの本質を意味します。
皆さんのうえにもう一度、ハッピーニューイヤー Happy New Year!

 

主任司祭 フィリップ・ボニファチオ神父




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皆さん、クリスマスおめでとう!!

毎年私たちはクリスマスを祝いますが、クリスマスは毎年違います。

それは私たちがいつも違う祝福とお恵みを幼子になった神様からいただくからです。今年も喜びと新しい気持ちでクリスマスにイエス・キリストの誕生を祝います。
それは、私たちとともにおられる神様を賛美するからです。イエス様は私たちと同じ人間になりました、私たちが「定められた神の民」になるために。

そうです、私たちは定められた神の民なのです。私たちは使命を持ってこの世に生まれ、その使命がこの世で成し遂げられたとき、造り主の元に帰って行くことを意味しています。これが私たちの定めなのです。すべての人にとって真実であると私たちは信じています。

キリストを信じることは、私たちが生きていることに根ざしたすばらしい贈り物です。
私たちは幸いに、人間の道を歩むイエス・キリストを通して神様とつながっているのだと理解てきます。福音書が語っていることは、イエス様が神と共に生きることについて語つたこと、私たちに約束されたいろいろなこと、人々に与えられた新しい生き方、これらのことが私たちに幸せをもたらしてくれるだろうということです。それは神様が私たちのすぐそばにおられることを意味します。特に私たちが洗礼を受けるとき、洗礼の秘跡を通して神様の子どもになります。ミサを祝うことで私たちは神様により近づき、イエス・キリストの復活という驚くべき不思議なできごとによってそれを可能にしてくれます。
4週間が過ぎ、私たちはクリスマスを迎える準備をして過ごしました。そしてついに、お祝いするその日がやってきました。父なる神様は私たちの祈りに応えて御子を送ってくださり、私たちと同じ人間の世界にくだってこられ、私たちにもわかる言葉で知恵の教えを語り、私たちに愛することを教えられました。
クリスマスは人間への神様の愛というすばらしいお恵みを祝うお祭りです。
神様が、頼ることもできない、自分を守ることもできない無防備な人間の赤ちゃんにお生まれになったという御言葉があります。全宇宙も包むことができない、完全に人となられた神様は、限られたところに存在する、弱々しいこわれそうな子どもになります。命そのものである神様は死ぬべき運命の人間としてお生まれになりました。すべてこれらは、私たちへの神様の愛と私たちを救いたいという神様の思いが中心にあります。すべての祝日の中でもこの祝日に、皆で喜び合いましょう、また困難な状況の中で助けの手を必要としている兄弟姉妹たちとも神様の優しさを分かち合いましょう。

幼子イエス様が私たちの心にクリスマスの願いをかなえさせてくださいますように。
クリスマスの祝福が皆様のうえにありますように、そして私たちがいただいた神様の贈り物に心から感謝します。
すべての人にメリー・クリスマス!!

 

 

主任司祭 フィリップ・ボニファチオ 神父




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それは1983年のことでした。コロンバン会の召命指導者だったナイアル・オブライエン神父がわたしのいたラサール・バコロド高校を訪ねて来られました。当時、オブライエン神父は自宅軟禁中であり、召命の仕事でいろいろな学校に行くためには、フィデル・ラモス将軍か地元の警察署長の許可が必要でした。オブライエン神父がわたしたち高3クラスで話をされたとき、2人の警察官が一緒にいる理由がわかりました。オブライエン神父は「家を出なさい」というキリストの呼びかけについてわたしたちに話をしてくださいました。「わたしの弟子になって人々に教えに行きなさい。」その言葉に心引かれて、何人かの生徒たちが、コロンバン会の神父様たちとともに宣教師になる道を探し求めるサーチインセミナーに参加しようと決心したのですが、わたしもその中のひとりでした。

わたしは高校時代、長距離ランナーで、オブライエン神父のチームがわたしたちのところに訪ねて来られたとき、わたしの体は痩せて細かったのですが、そのときすでに、初めての宗教生活に入ってみようとわたしの心は決まっていました。オブライエン神父が指導司祭として居住していたバコロド地方刑務所で、わたしは心理テストと他の適性テストを受けました。ネグロス・オクシデンタル地方から13人がセブ市で行われた最初のコロンバン会設立プログラムに参加を許されたのは1984年の5月でした。わたしたちの送別会と送り出す記念ミサは聖霊降臨の祭日にバコロド地方刑務所の中で行われました。出席したのは囚人たちとネグロス・ナインと呼ばれる人たち、名前を挙げると、ナイアル・オブライエン(コロンバン会司祭)、ブライアン・ゴア(コロンバン会司祭)、ヴィンセント・ダンガン(教区司祭)、そして6人の在俗リーダーたち。皆、ネグロス。オクシデンタル出身のカバンカラン市長、パブロ・ソーラ氏殺害で告発されていました。それはバコロド教区フォルティチ司教とキリスト教徒共同体に対する前大統領フェルディナンド・マルコスとの闘争でした。キリスト教徒はネグロス。オクシデンタル地方の砂糖工場労働者の労働条件の改善を求めて闘っていました。

それから5年が経ち、わたしはセブのコロンバン会設立に関わり、サンカルロス大学で勉強しました。その後、マニラに行き、司祭見習いの霊的修練1年と、2年間の神学の勉強をしました。それから2年間の海外研修プログラム(OTP)で日本の和歌山県に派遣されました。1992年から1994年のことでした。この海外研修プログラムは、わたしのような若者が、新しい土地で、言葉や文化や人々とうまくやっていけるかどうか、また宣教司祭になれるかどうかの答えを見いだすための道であり、テストでありました。日本でのすばらしい2年間を終え、将来また日本に戻りたいと思いました。わたしは神学を修了するためにマニラに戻り、1995年6月24日にマニラ教区の補佐司教テオドロ・バカニ司教から助祭叙階を受けました。バカニ司教はその時病院から退院したばかりで、その日の午後、マラト・カトリック教会で助祭叙階式が行われましたが、司教は暑さで倒れそうになりました。バカニ司教が回復して助祭叙階式とミサを終えられるようにと皆で祈りました。本当に彼は元気を取り戻しました。そのあとの6ヶ月間、わたしはマラト教会で助祭として奉仕し、同時に平日は召命促進をはかるためにいろいろな学校を訪問しました。その後、1995年12月18日がやって来て、バコロド市のリデンプトリスト教会でカミロ・グレゴリオ司教から司祭叙階を受けることになりました。前バコロド教区司教のアントニオ・フォルティチ司教をはじめ、バコロドとカバンカラン教区の司祭たちと大勢の人々が出席してくださいました

振り返ってみると、ほんとうに長距離ランナーだったことがわたしを助け、長い道のりを走りきる力を与えてくれたと思います。もちろん、神様のお恵みがあったからこそ、また、家族や友人、知人、コロンバン会の家族、新しいカテキスタの仲間たち、地元教会の信徒の皆さん、海外研修プログラムで出会った日本のカトリック信者の皆さんの祈りと支え、励まし、鼓舞、助け、そして愛があったからこそ、わたしは宣教する司祭になることができたのだと思います。

しかし、第一にわたしに宣教司祭になろうと強く考えさせたのは、長年フィリピンの人々のために命を捧げてきたオブライエン神父様とコロンバン会の神父様たちの姿でした。神父様たちの刑務所での存在に私は疑問を抱き、教会の秘跡の適合性について、刑務所という場所での司祭の役割について尋ねました。わたしは神様の呼びかけに応えたいと思い、聖コロンバン宣教会に参加することで神父様たちの善行と犠牲に感謝の気持ちをお返ししたいと思いました。踏みつけられている人々に神の国を高らかに宣言したいと思いました。わたしが聖コロンバン宣教会に参加することで神様の呼びかけに応え、船出してから今年の6月で29年が経ちました。そして、このあとの29年でわたしは召命の旗を広げ、これからの世代の人たちに召命物語を読んでいってもらいたいと望んでいます。

主任司祭 フィリップ・イリオ・ボニファチオ神父




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皆さん、ご復活おめでとうございます。復活祭の喜びが信仰年をとおして、私たちの力と励ましとなりますように。

あるロシアの詩人がかつて言いました。「愛に将来性がなければ、それは愛とは言えない。」イエスのご受難をとおして、イエスが私たちに明らかにされたことは、御父と私たちへの愛でした。ご復活が表しているのは、イエスの愛は、将来性のある愛であり、その将来性とは、永遠の命だということです。イエスの復活は、神の愛は死より強いということを表しています。神は御子であるイエスを愛しておられるので、神はイエスが死に留まっていることをお許しになりません。神はイエスを死より復活させ、そうすることにより、罪と死に打ち勝つのです。

イエスは、ご自分のために死んだのではなく、わたしたちのために死んだのです。イエスはご自分のためだけではなく、私たちのために再び復活されます。イエスを信じて、イエスと共に罪に死んだ者もイエスと共に復活し、永遠に生きることができるよう、イエスは死者のうちから復活されます。神とイエスは私たちを愛しておられるので、私たちに愛の聖霊をお与えになり、罪と死を私たちのために克服されました。

復活されたイエスは、弟子達に現れました。弟子達と一緒にいることからイエスを遠ざけるものは何もありません。死や閉ざされたドア、また、落胆している弟子達の心すら、イエスを弟子達から遠ざけることはできませんでした。復活されたイエスは、約束されたように、この世の終わりまで、いつも私たちと共におられるということを思い出しましょう。復活されたイエスは、私たちが最も深い暗闇に包まれる時でも、わたしたちが、いつか、面とむかってイエスにお会いすることができる時まで、私たちと共に歩んでくださいます。イエスの復活をとおして、私たちの毎日の生活は、力を得て、罪と死を乗り越えることができるということを再確認しましょう。ですから、今日の枝の祝日が宣言しているように、喜びましょう。「この日は主がつくられた日です。喜び、感謝しましょう。」神は私たちを罪から救い出す約束を成し遂げられました。詩編の作者と共に感謝し、祝い喜びましょう。

皆さん、ご復活おめでとうございます

 

松戸教会主任 フィリップ・ボニファチオ神父




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新しい年、2013年を迎えるにあたり、教会は神の母そして教会の母としてマリアを敬い、讃えます。イエスに向かつて歩む、信仰の旅路にある私たちは、イエスの誕生にまつわる三つのエピソードを黙想するよう、福音書はすすめています。

まず、羊飼いたちは、輝く星の光に気がつき、導かれます。そして、飼い葉桶の中に眠る幼子イエスを見ると、その幼子についてのメッセージを知らせます。このように、メシアとしてのイエスに出会い、礼拝し、賛美し、受け入れることのできた羊飼いたちは、神を崇め、神を讃えることになるのです。
羊飼いたちの語る話を聞いて人々は、その話に驚きました。彼らがその後 幼子イエスに会うために出か:サて行つたか否か、わかりませんが、私たらは、この良き知らせを他の人々と分かち合うよう、呼ばれています。
マリアは、起こったこと、全てを心に留められます。彼女は、忍耐強く、神のみ旨である、救いの計画が明らかになるのを待ち、受け入れます。マリアは、できごとをことごとく心に留め、思いめぐらします。彼女のこのような心の在り方は、神の偉大な働きを可能にしたのです。愛をもつて、マリアは神のみ旨とご計画に従います。

新しい年を目の前にして、私たちも神のご計画に心の目を開きましょう。できごとが理解できない時、あるいは、望むことが得られない時、神のみ旨を受け入れ、神は私たちを愛しておられること、私たちにとつて最善であることのみを望んでおられることを、確信を持って信じることができるよう、祈りましょう。愛と忍耐をとおして、徐々に展開される神のご計画に心を開きましょう。新しい年を始めるにあたり、イスラエルの人々に与えられたモーゼの祝福が、皆様の上に豊かに注がれますように。
主が皆様を祝福し、正しい道に導いてくださいますように!
主が皆様の上に御顔を照らし、恵みを豊かに与えてくださいますように!
主のまなざしに包まれ、神の測り知れない平和に満たされますように!

アーメン

全能なる神が皆様に豊かな祝福をお与えくださいますように。
父と子と聖霊のみ名によつて。アーメン

皆さん あけましておめでとうございます。

 

松戸教会主任  フィリップ ボニファチオ神父