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クリスマスの4週前の日曜日から待降節が始まります。今年は12月1日から待降節が始まりました。カトリック教会の暦では、待降節から1年が始まります。

 

待降節とは…

待降節は二重の特質をもつ。それはまず、神の子の第一の来臨を追憶する降誕の祭典のための準備期間であり、また同時に、その追憶を通して、終末におけるキリストの第二の来臨の待望へと心を向ける期間でもある。この二つの理由から、待降節は愛と喜びに包まれた待望の時であることが明らかになってくる。

カトリック中央協議会 典礼解説「待降節」より

 

 

待降節は、第1主日・第2主日・第3主日・第4主日とあり、徐々にイエス・キリストの降誕を待ち望む気持ちを高めていきます。

アドベントクランツは、主日を重ねるごとに1本ずつ火を灯り、私たちの心にキリストを待ち望むことを呼びかける助けとなっています。(クリスマス・ミサでは、中央にある赤い蝋燭に火が灯ります)松戸教会公式twitterアカウントでは、主日ごとに火が灯っている蝋燭が増えていく様子を写真におさめ、投稿していきます。

 

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クリスマスを教会で過ごそうと考えてらっしゃる方がいましたら、待降節の日曜日に教会に是非いらっしゃってください。(もちろん、未信者の方も大歓迎です)ともにクリスマスを迎える準備を致しましょう。

 

 

今年から、祭壇の馬小屋が新しくなりました。
天使の顔が美しいですね。

 

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本日・年間第33主日、名誉教皇ベネディクト16世が開催を宣言された信仰年を残すところ1週間となりました。

カトリック松戸教会では、信仰年行事として様々な企画を催してきました。

 

 

その締めくくりとして森司教様をお迎えして、「信仰年を締めくくるにあたって」というテーマのもと講演会を開きました。

 

 

 

講演会の前に、10時半からのミサを森司教様に司式して頂きました。

 

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第1朗読 マラキ書 3章19~20a節
第2朗読 テサロニケの信徒への手紙二 3章7節~12節
福音朗読 ルカによる福音書 21章5~19節

 

 

 

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ミサ後、森司教様から講話を頂きました。

(以下講話内容)

 

信仰年に当たり、もう1度、歴史を振りかえり、「教会」というものを見直してほしい。「エクレシア(古代教会)」はどのようなものだったのか、知る必要がある。それがどのようなものだったのかは、聖書の中にある。

 

この町に一人の罪深い女がいた。イエスがファリサイ派の人の家に入って食事の席に着いておられるのを知り、香油の入った石膏の壺を持ってきて、後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った。

ルカによる福音書 7章37-38節

 

当時、ファリサイ派の人たちは、有名人を食事に招き、講演会のような形で人を集め、自らの権威や人気を高めようとしていた。

その人々が集まる中に入ってきて、イエス様の足元にまで近寄ってきた「罪深き女性」、この女性はどのような人だったのだろうか?この女性について考えてみたい。

  1. この時代の罪深い女性という場合、「娼婦」であったと考えられる。しかし、自ら進んでそのような道にすすむことはないだろう。つまり、彼女は、娼婦にならざるを得ないような環境にあり、厳しい生活を送っていたのだろう。そして、罪深さゆえ、人々からは蔑視されていた。言葉には出さなくても、態度にはあらわれるものである。
    そういったなかで、彼女は「社会での自分の居場所を無くしていまっていた
  2. 彼女は、「娼婦」という仕事のなかで、人々の二面性、たとえば、客となる男性が自分と相対した時と普段社会の中で生活している時の言動の違いを見てしまうだろう。そして、その客達(もしくは、男性)への社会の受け止めが(例えば、社会的な地位などによって)良ければ良いほど自分の見て知ってしまったものとのギャップを感じてしまう。彼女は、社会の深層にある二面性のようなものを見てしまい、「社会への信頼が揺らいでしまう
  3. 罪深い女性にも、やはり(十戒”姦淫してはならない”に背ているので、当時の倫理観からすれば)自分のしている仕事に対する自責の念があり、たとえ、表層には現れなくても、深層の中で自己を否定していまい、「自己に対する信頼感も失ってしまっている

 

そういった「居場所も社会や自分に対する信頼も無くした」女性が、ファリサイ派の人の家で人々の中にいるイエス様を見た時に感じた魅力に引き寄せられ、イエス様に対して「信頼感」を抱き、つい引き寄せられてしまう。イエス様は、一目見ただけでそういったものを感じさせる人だったのだ。罪深き女性は、イエス様に「自分の居場所」をみつけたのではないだろうか。

そういったモノに引き寄せられ集まって出来ていったのが「エクレシア」であり、教えがあったから集まってきたのではないのではないだろうか。

 

 

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我々、今の教会はそのようなエクレシアから変遷してしまっていないだろうか。教会は「教え」を持ちすぎて、「教え」を通して、イエス様に出会うようになってきてしまった。カトリック教会が日本の中で広まらないのは、「教え」、カテキズムが塀になって入ってきているのを阻害しているからではないだろうか。本来は、先の罪深き女性がイエス様に感じたような「心の響きあい」こそ大事にすべきものである。

例えば、心に傷を負い、教会を洗礼を受けたいと訪ねてきた人がいた。教会の受付で洗礼希望者は入門講座に通ってくださいと言われ、入門講座に通い始 めると、カテキズムなどを習うことになった。何を言っているのか難しくて分からない。まわりの人たちも黙って聞いているので質問してよいものかわからな い。そうしているうちに心の傷は癒さないままだんだん教会から離れていってしまう。

例えば、罪を犯し、懲役刑を受け、刑期を終えた人が、教会を訪ねてきた。その人は、教会の人に「自分は罪を犯し刑務所に入っていた。社会的に疎外感を感じている」と言って、心の拠り所として教会を訪ねてきたと言ってきた。しかし、教会の人は言葉には出さないが、また、態度には出さないように努めるが、なんとなく雰囲気として偏見の目を向けてしまう。そして、それはいつのまにかいろんな人に広まってしまい、結局、その人は教会でも疎外感を感じ、離れて行ってしまう。

このように、たとえ悪意がなくても、教え・戒律によって、外に弾かれてしまう人たちは大勢いる。

エクレシアという言葉の中には、「教え」という意味は全くない。人と人とが出会って、キリストの魅力にひき寄せられて、イエズスさまから希望をくみ取る、そういう人々の共同体である。「教え」とは全く無関係な愛の共同体、それが教会の原点、原型である。

 

フランシスコ教皇様は、「教会は裁かない」と仰った。それは、イエス様が忌むべきものとしているからだ。それはマルコによる福音書に以下の様にあることでもわかる。

 

丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである。

マルコによる福音書2章17節

 

「教え通りに生き、正しいことをし、一生懸命に生きている人を褒めてくれる神様」と「(例え、罪を犯しても、やはり、受け入れ、赦してくれる)命のつながり・関係の中での神様」、どちらがイエス様の言う神様だろうか。イエス様は神様を「アッバ(お父さん)」と呼んだ。お父さんは(例え、罪を犯しても、やはり、受け入れ、赦してくれる)命のつながり・関係の中で一緒に生きてくれるのではないだろうか。親はどんなことがあっても子供を見捨てはしない。それは「放蕩息子のたとえ」(ルカによる福音書 15章11-32節)でもわかる。

教会の原型であるエクレシアは、決して知的な人間や教養のある人間の集まりではない。このような「人間のつながり・関り」のなかで存在するモノであり、そのなかで、そういう「繋がりや関わり」に感謝する心こそ「信仰」なのである。

 




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本日、年間32主日の10時半からのミサのなかで「七五三の祝福」が行われました。

 

フィリップ神父様が、七五三を迎える子どもたちを前にお祈りを唱えられました。

 

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お祈りの後、フィリップ神父様がこどもたちを祝福しました。

 

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教会から(フィリップ神父様が祝別してくださった)記念品とおメダイをプレゼントしました。

 

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今日のミサに来てくださった方々からも祝福の拍手が贈られました。

 

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今日はいつもよりちょっとおめかしして、ミサに与りました。

七五三を迎えた4人の子どもたちの健やかなご成長を心よりお祈り申し上げます。

 

 

 

ミサ後、みんなで記念撮影。

 

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10月4日(金)は、アシジの聖フランシスコの記念日です。

 

カトリック松戸教会では、あらゆる人々を愛し、動物・自然を愛して生命の尊さと平和を説いたアシジの聖フランシスコに倣い、初金ミサの後、動物たち(ペット)の祝福を行いました。

初めての試みであり、また、平日の午前中ということもあり、どのくらいの方々がいらっしゃるかわかりませんでしたが、天候が不安定で時々小雨が降る中、続々と集まってきました。

 

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集まってきた方々にフィリップ神父様からご挨拶があり、その後、アシジの聖フランシスコがどのような方だったのか、簡単な説明がありました。

 

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そして、アシジの聖フランシスコの祈り「太陽の賛美」と「主の祈り」を全員で唱えました。

 

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太陽の賛歌

いと高き全能のめぐみの主よ、賛美の歌と栄光・栄誉とすべての感謝は、御身に帰す
ただいと高き御身のみ、これらすべては御身にささげられ、なんびとも御身のみ名を呼びまつるに価せず、賛美を受け給え、わが主よ、すべての被造物より、ことに兄弟なる太陽よりの賛美を。

この兄弟はひるをつくり、御身はこれによりて、われらを照し給う、いと高き主よ、この兄弟こそは、偉大なる輝きをもって御身にうるわしき光を返しまつる。

主よ、姉妹なる月と星のために賛美せられさせ給え、御身は天上にこれらの姉妹をつくりて、光に高貴と美とを与えたまえり。

賛美を受け給え、わが主よ、兄弟なる風のために、空気と雲と晴れたる空とすべての天候のために、御身はこれらの兄弟たちによりて、すべての御身の創造物をささえ給う。

賛美をうけ給え、わが主よ、姉妹なる水のために、この姉妹こそ有益・謙遜・高貴・純潔なり、賛美をうけ給え、わが主よ、兄弟なる火のために、この兄弟によりて御身は夜を照らしたもう。

かれこそ、美なり快なり健なり力なり、

賛美をうけ給え、わが主よ、姉妹にして母なる大地のために、かの女こそわれらをささえ、われらを守り、種々なる果実・花・草をうみいだすなり、

賛美と祝福とをうけ給え、わが主よ、謙虚なる奉仕をうけ給え、

賛美をうけ給え,主よ、兄弟なる関係の死によりて、死は何人もまぬかれず、大罪の中に死するものに、悲みあれ、御身の聖旨にそえる者は幸いなるかな、

なぜならそは第二の死にて朽ちざるべし

主に賛美を

主に謝し仕え

大いなる謙虚もて

 

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祈りをすますと、神父様が集まった方々、そして、ペット(もちろん、聖ミカエル幼稚園のオカメインコのピーちゃんと亀2匹にも)たちに祝福を行いました。

 

 

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最後に、ルルドに移動して記念撮影。

 

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集合写真を撮った後は、個別に記念撮影…。

しかし、なかなかカメラの方をみんな向いてくれないのが…難点でした。

 

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 (注)プライバシーに配慮して顔には修正が加えてあります。

 

いつもとは少し違う雰囲気でしたが、集まった方々の笑顔であふれた行事になったと思います。

多くの方にとってペットも大事な家族の一員なのだなと改めて感じさせられました。




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昨日、9月29日は、松戸教会の守護聖人「大天使聖ミカエル」の祝日でした。

10:30より大天使聖ミカエルを祝い、幸田 和生司教様の司式で国際ミサを行いました。

 

カトリック松戸教会では、20日から9日間に渡って、信徒たちでノヴェナを行い、この日を迎えました。また、この日に合わせ、MCCIC(Matsudo Catholic Church International Community)の方々が弾幕を用意してくださり、聖堂入口に貼られました。

 

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普段は、第2週の英語ミサや第4週のタガログ語ミサに与っている松戸教会所属の外国人の方々もインターナショナルミサということで、10時を過ぎる頃になると、大勢集まってきました。

 

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入堂後、初めの祈りの前に、松戸教会の新しい聖母像を幸田司教様が祝別をしてくださいました。

 

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多くの外国人がそれぞれの国の民族衣装を着て参列しました。もちろん、日本人の方で和装していらっしゃる方も多数いました。

 

 

 

 

幸田司教様は、前日の28日(土)が聖トマス西と15殉教者の記念日であることにも触れられ、その中の1人「聖ロレンソ・ルイス」は、フィリピンで初めて列聖された人であると、ご紹介されました。

そして、大天使聖ガブリエル、大天使聖ラファエル、そして、大天使聖ミカエルについてそれぞれ説明してくださり、初めの祈りへと導かれました。

 

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福音朗読後、説教がありました。

 

 

 

第1朗読 アモス書 6章1a、4~7節
第2朗読 テモテへの手紙一 6章11~16節
福音朗読 ルカによる福音書 16章19~31節

 

 

 

参加してくださった外国人の各国の代表の方が、それぞれの国・民族の言葉で世界平和を願って共同祈願を唱えました。

 

韓国語(大韓民国)による共同祈願

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イボ語(ナイジェリア)による共同祈願

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イボ語(ナイジェリア)による共同祈願

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英語(リベリア)による共同祈願

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英語(フィリピン)による共同祈願

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セブアノ語(フィリピン)による共同祈願

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タガログ語(フィリピン)による共同祈願

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奉納の歌・拝領の歌は、フィリピン人信徒の方々が、歌いました。オルガンによる伴奏はなく、カラオケで歌います。(日本語の)いつもの主日のミサと違う雰囲気でした。

 

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聖体拝領後に、記念の聖ミカエル像のメダイと御絵が一人一人に渡されました。

 

 

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(注)プライバシーを考慮して、信徒の顔には修正を入れています。

 

 

 

今回の国際ミサには、お御堂から溢れるほどの方々が参加しました。

また、新たに設置されるマリア様や大天使聖ミカエルのお像と記念撮影をされている方々もたくさんいらっしゃいました。

 

 

閉祭後、地下ホールにて祝賀パーティが行われました。