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3月3日(日)に司祭叙階された森一幸神父様を八王子教会からお迎えして、初ミサが捧げられました。

(3月3日東京教区司祭叙階式の様子)

 

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今日は、世界召命祈願の日ということもあり、自らが司祭になった理由、思いなどを説教でお話しされました。

 

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松戸教会では、月に一度、その月に誕生を迎える人を神父様がミサのなかで祝福してくださいます。今日は、森神父様が祝福してくださいました。

 

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ミサ終了後、神父様を囲んで祝賀の催しを開いて、楽しいひと時を過ごすことが出来ました。

 

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ロザリオを祝別して頂く信徒

 

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祝福して頂く信徒たち

 

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森神父様には、神学生の頃より、教会学校などでご奉仕頂くなど大変お世話になりました。

これからの活躍をお祈りしています。

 

 

 

(*注意)信徒の顔はプライバシーを考慮して修正をしています。



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今日は、8時からのミサを清川神父様(カトリック中央協議会)に司式して頂き、10時半からのミサを大山神父様(カトリック神学院)に司式して頂きました。

 

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ミサのお知らせの中で、清川神父様から、カトリック新聞購読の薦めがありました。現在、こちらから(カトリック新聞オンライン)オンライン版が無料で読めます。オンライン版を読んで、興味の持たれた方は、ぜひ購読をよろしくお願い致します。

カトリック新聞購読申込み

 

第1朗読 使徒言行録 5章27b~32、40b~41節
第2朗読 ヨハネの黙示録 5章11-14節
福音朗読 ヨハネによる福音書 21章1-19節

 

 

 

ミサ後、地下ホールで大山神父様による2回目の「信仰年」勉強会を開かれました。今回は復活節という事もあり、「信仰と復活」をテーマに約1時間にわたって講話を頂きました。

 

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大山神父様は、時にはユーモアを交えて、わかりやすく、お話しくださいました。
(以下、講話内容)

現代における「平和で豊かで自由がある」日本は、信仰を持ち続けるのが非常に難しく、言い換えれば、優しく迫害に合っているような状況にある。このような「平和で豊かで自由がある」状況では、神を必要としないからである。そのため、教会はゆっくりと廃れていっている。
だから、我々信者は「一人ひとりが教会」である意識を持ち、その使命を果たしていかなければならない。その使命とは、後世・我々の子孫にこの信仰を伝えることである。

では、伝えるべき信仰とは、どのようなものなのだろうか?

神を愛し、神を愛している自分を愛し、そして、自分と同じように隣人を愛す

心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい。

ルカによる福音書 10章27節

 

例えば、周りの人に感謝の気持ちを伝える。そうすると初めは「変な人」と思われるかもしれないが、相手は悪い気持ちにはならない。そして、それを続けていれば相手の自分に対する行動も変わるだろう。そして、それは周りの環境すら変えていき、自分にとっても、まわりにとっても良い結果をもたらすことになるのではないか。そこには喜びが生まれる。
我々が伝えるべきモノとはその「喜びと感謝」である。

カトリック教会は時としてさまざまな批判や中傷に合う。教会の長い歴史の中で様々な時代を乗り越えてきた。しかし、「普遍」である教会は変わらない。だから、信仰は自由である。

それによって、我々は、様々な人を許容することが出来る。お互いに感謝することによって、フレキシブルに他の個性を生かすことが出来る。

そのように教会の1番の教えとは「苦・死を乗り越える力」であり、「今を生きる力」である。

我々は、「誕生」「現在」「死」まで常に神と関わって、生きている。また、生きていく中で様々な「関わり」をもっていく。たとえ、あなたが死をむかえてもおそらく言動の記憶は周りの人々に残るのではないか?たとえ、あなたのご両親が亡くなっても、亡くなられていても、その記憶はあなたのなかに残っているのではないだろうか?また、あなたが今したことは何かに影響を及ぼさないことはない。その影響は、子孫にもつながるものである。つまり、命とは「関わり」であり、「関わりは永遠」である。

しかし、我々は、日々の生活のなかで様々な誘惑や困難に出会う。また、誕生から死まで常に持っている「神との関わり」から忘れてしまうこともある。

 

そして、キリストが復活されなかったのなら、私たちの宣教は実質のないものになり、あなたがたの信仰も実質のないものになるのです。

使徒パウロのコリントの信徒への手紙一

 

我々信仰をもっているものは、「ご復活」という事実をとおして、神との関わりを思い出すことが出来る。そして、日々の中で復活して神に戻ることができる。

つまり、信仰とは、神という「見えない存在と関わる力」である。

その力があれば、先ほど言った「喜びと感謝」が生まれるのではないだろうか?ゆえに信仰には意味がある。

 

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次回の大山神父様の「信仰年」勉強会は、6月23日(日)に予定しています。

 

 

(*注意)信徒の顔はプライバシーを考慮して修正をしています。



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主のご復活おめでとうざいます。

今日から復活節が始まります。

 

松戸教会では、8時からと10時半からの2回、ミサが行われました。
10時半からのミサでは、聖堂に入りきれないほどの信徒が訪れ、ミサを祝いました。

 

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説教の中で、神父様は「真実が見えなくなることはあるかもしれない。正義が見えなくなることはあるかもしれない。正しいことが見えなくなることはあるかもしれない。しかし、それは太陽が雲に隠れて見えなくなっても存在するように確かにあります。我々は、イエス様の復活を通して、それを信じることができる。イエス様は死に打ち勝ち、悪に打ち勝ち、栄光のうちに復活されたことを我々は知っているのだから」とおっしゃいました。

そして、10時半のミサでは、昨晩洗礼を授かった方の2人のお子さんが幼児洗礼を受けられました。これで、松戸教会は受洗者15人とプロテスタントからの移籍の方2人と計17人を新たな家族として迎えることが出来ました。

 

第1朗読 使徒言行録 10章34a、37~43節
第2朗読 使徒パウロのコロサイの信徒への手紙 3章1~4節
福音朗読 ヨハネによる福音書 20章1節~9節

 

 

(*注意)信徒の顔はプライバシーを考慮して修正をしています。



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1年の典礼の中で最も盛大で、中心的な祭儀「復活の聖なる徹夜祭」を迎えました。

 

典礼が始まる前に、洗礼を受ける方々が神父様やシスターと予行練習をしているのを見ると改めて今日なのだなと実感します。

 

 

あいにく小雨が降っていましたが、多くの方が集まりました。

 

19時になると、ルルドの前にろうそくをもって信徒が集まり、「光の祭儀」が始まります。

神父様が復活ろうそくを祝福され、火を祝福します。そして、その火で復活ろうそくに火を灯します。

 

 

 

そして、「キリストの光」を歌いながら、神父様を先頭に入堂します。参列者たちは入口で各自持っている蝋燭に火をもらい、灯りをともして主の帰りを待つことをあらわします。

 

 

神父様が蝋燭台に復活蝋燭をたて、参列者全員が入堂すると「復活賛歌」を全員で歌います。

 

 

 

 

復活賛歌を歌い終わると、今度は1年の教会の暦の中でも最も豊かな「ことばの典礼」が始まります。(朗読箇所は下記参照)福音書を朗読する前には四旬節に入って歌わなくなっていた「アレルヤ唱」を久々に歌いました。

 

 

 

 

そして、いよいよ「洗礼の儀」です。

松戸教会では、今日13人の方々が洗礼を受けられました。洗礼志願者が紹介され、「諸聖人の連呼」を参列者全員で歌います。参列者も、洗礼志願者が信仰宣言などを唱え洗礼を授けられるのを、後ろから見ながら自らの洗礼式を思い起こし、キリスト者として生きる決意を新たにしました。

 

 

 

 

今年は東京大司教区の堅信式がすぐあるため、堅信の儀を行ないませんでしたが、もちろん、初聖体拝領はされます。その顔には緊張と喜びが満ち溢れていました。

 

 

 

ご聖体拝領後、(お知らせの時間に)松戸教会の新たな家族になられた受洗者13人と先日プロテスタントからカトリックに移籍された2人の方がが改めて紹介され、受洗を祝う拍手が聖堂に響きました。そして、受洗者の笑顔と信徒一同の喜びのうちに復活徹夜祭のミサを終えました。

 

 

第1朗読 創世記 1章1節・26節~31a節
第2朗読 出エジプト記 14章15節~第15章1a節
第3朗読 エゼキエルの預言 36章16~17a・18~28節
第4朗読 使徒パウロのローマの信徒への手紙 6章3~11節
福音朗読 ルカによる福音書 24章1節~12節

 

 

(*注意)信徒の顔はプライバシーを考慮して修正をしています。



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今日は聖金曜日です。
「ミサ」を捧げず、イエスの死を思う「主の受難の祭儀」が行われます。
全体は「言葉の典礼」「十字架の崇敬」「交わりの儀」の3つの部分で構成で行われます。

 

祭壇は、昨晩の「主の晩餐の夕べのミサ」の時に裸にしたまま、十字架も蝋燭も置かず、祭壇にも布をかけません。

 

 

入場されると、司祭は祭壇にひれ伏してしばらく沈黙のうちに祈られます。

 

 

福音書の朗読(「ヨハネによる主イエス・キリストの受難」)は、キリスト(神父様)、エバンジェリスト(語り手)、ピラト(朗読者)や群衆(会衆)などに分かれてキリストの審判の場面から受難の模様が朗読されます。

 

 

 

受難の朗読後、神父様の説教があり、その後、「盛式共同祈願」を行いました。
教会・教皇様・教会に仕える全ての人・洗礼志願者・キリストを信じる全ての人々・キリストを信じない人々・神を信じない人々・困難に直面する人々のためにそれぞれ祈りました。

 

 

「ことばの典礼」が終わると、司祭、侍者はいったん退堂され、「十字架の礼拝」が始まり、聖堂を去った司祭と侍者が、紫の布に覆われた十字架を捧げて聖堂に入ってきます。途中、三度、「見よ、キリストの十字架、世の救い、ともにあがめたたえよう」と歌われ、おおわれた布を徐々にはずしていきます。

 

 

 

 

 

顕示が終わると、十字架が祭壇の前を置き、司祭・奉仕者・会衆の順に行列して十字架の前に進み、深い礼をして崇敬を表します。その間、「十字架賛歌」「とがめの交唱」を歌います。

 

 

 

 

十字架の礼拝を終えると、司祭、侍者はまた一度退堂し、「交わりの儀」が始まります。

ご聖体が入堂し、祭壇に置かれます。主日のミサとは違い、司祭が主の祈りに招くと、主の祈りの副文と応唱を唱えた後、すぐに拝領前の信仰告白を唱え、拝領が始まります。

 

 

 

 

聖体拝領の後、司祭が集まった会衆のために祈願を唱え、退場し、典礼は終わります。

 

明日はいよいよ復活徹夜祭です。

 

 

第1朗読 イザヤ書 52章13節~53章12節
第2朗読 ヘブライ人の信徒への手紙 4章14~16節・5章7-9節
受難の朗読 ヨハネによる福音書 18章1節~19章42節

 

 

(*注意)信徒の顔はプライバシーを考慮して修正をしています。