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12月24日、6時からシリル・ヴェリヤト神父様(イエズス会)の主司式で「子どもの奉仕するミサ」が行われました。

 

普段は、大人の方々がされている奉仕を教会学校の子どもたちやリーダーがするのです。(松戸教会では、1学期は子どもたちの初聖体が行われるキリストの聖体のミサ。2学期はクリスマス。3学期は教会学校の卒業式・修了式後の3月に「子供の奉仕するミサ」を行います)

 

 

神父様が入堂される前に、先唱を担当するリーダーが、聖堂でのマナーの呼びかけをしました。

 

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いよいよクリスマスミサが始まります。

 

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入堂後、シリル・ヴェリヤト神父様が馬小屋、祭壇に献香し、祝別しました。

 

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栄光の讃歌では、鈴が鳴りびきます。

復活祭やクリスマスなど特別な祭日のみに行われます。

 

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そして… 第1朗読

実は、日本に来てまだ1年くらいしか経っていない6年生がやってくれました。

旧約聖書は、大人でも難しい言葉があり、とても難しいのですが…上手に朗読出来ました。本当にたくさん、練習してくれたのですね。

侍者も普段から奉仕をしてくれているので一番安心して見てられました。

 

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第2朗読。

さすが6年生。しっかり朗読出来ましたね。

侍者も実質初めて行うことになりましたが、本当に初めてかというくらい上手に出来ました。

 

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福音朗読。

アレルヤ唱の後、聖書に献香し、シリル・ヴェリヤト神父様の福音朗読。

朗読の後、いつも忘れちゃうお辞儀も今日はちゃんと出来ました。

 

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お説教では、子どもの奉仕するミサということでシリル・ヴェリヤト神父様が、「子供たちに向けてのお説教」をしてくださいました。

聖劇に登場する東方の3人の博士のお話には、実は別の話が合って、4人目の博士がいたというお話です。

「実は、4人の博士がイエス様のご降誕を祝うためにベツレヘムの星を目指して旅をしていたのですが…1人の博士は(博士の)国で問題が起こり、どうしても戻らなくてはいけなくなりました。その問題の解決には、結局30年ちかくの時間が必要でした。問題が解決した後、博士は30年数年前に生まれた「王となるあかちゃん」を探すため、イスラエルに1人で向かいました……。しかし、30年前の出来事を覚えている人はみつからず途方に暮れていると、エルサレムのゴルゴダの丘に大勢の人が集まっていた。そして、ようやくそれがその時の「王となるあかちゃん」であることを知りました。しかし、十字架の前にたどり着いた時には、イエス様は絶命していて、その場で彼は黙想したのでした…。そして、そのまま、彼も命を終えました。多分…彼はイエス様と一緒に天国にいることでしょう……」

 

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共同祈願。

担当のリーダーが一生懸命考えた共同祈願を大きな声で唱えてくれました。
お御堂の端までしっかり聞こえたと思います。

 

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奉納では、教会学校に入って、1年生が初めてしてくれました。

6年生が一緒にしてくれたこともあり、しっかり出来ましたね。

 

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また、奉納の時、献金箱を教会学校の卒業生がしてくれました。

クリスマスということで、本当にたくさんの卒業生が来ていました。

 

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聖体拝領に並ぶ方々の数を見ると…本当に大勢の方々がミサに与りに来てくれたのだなと実感します。

 

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先唱の子どもたちも、色々アクシデントがあったなか、滞りなくミサを進行してくれました。

 

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聖体拝領後、シリル・ヴェリヤト神父様が幼子のイエス様を抱き、飼葉桶に置かれました。

 

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そして、教会から今日のミサに来てくれた子どもたちにプレゼント!

大学生が、運んでくれ、シリル・ヴェリヤト神父様が祝別してくださいました。

 

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子どもたちにプレゼント!

クリスマスに教会に来て、良かったね!

 

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もちろん、教会学校の子どもたちにも!

 

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そして、閉祭。

閉祭の歌も大きな声で歌います。
去年は、お菓子のプレゼントくらいでちょっと集中力を切らしてしまった感じでしたが、今年は最後まで頑張れました!

 

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ミサ後のティーパーティが、地下ホールで行われました。

一仕事終えた後の一杯は、本当に美味しいよね。

 

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シリル・ヴェリヤト神父様、フィリップ神父様、シスター清水も笑顔で!

 

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今日も、たくさんの方々から、「いいミサだった」とほめてもらいました。

始まる前は、本当に心配だったのですが…本当にさすが!みんな達という感じでした。

リーダー達への神様からのクリスマスプレゼントだったかも!




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本日、待降節第4主日、東葛飾宣教協力体の司祭交流のため、亀有教会の山浦神父がいらっしゃり、ミサを司式してくださいました。

(フィリップ神父様は豊四季教会へ、豊四季教会の渡辺神父様は亀有教会にて司式されました)

 

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教会学校が始まる前に子供たちのところにも来てくださいました。香部屋でも、侍者の奉仕をした子どもたちに優しく接していただきました。

「神父になる?」

とお誘いくださいましたが…子供たちは…まだ、決心はつかないようでした。

 

また、是非松戸教会にお越しください。




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本日、10時から、そして、13時半からの2回、共同回心式が行われ、多くの信徒が参加しました。

 

まず、大山悟神父様(日本カトリック神学院)から、講話を頂きました。

 

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大山神父様 講話

イエス様は永遠に存在します。しかし、21世紀の時代、イエス様は具体的には存在しません。
私たちキリスト者が、イエス様を宿して、イエス様から力を頂き、具体的に生きる時にこの世界にイエス様が現れてきます。そうしなければ、イエス様は存在することが出来ません。

私たちキリスト者の大きな使命は、「行って福音を述べ伝える」ことです。これは、私たち一人ひとりに与えられた使命です。
「行って福音を述べ伝えなさい」というのは、何も街に行って福音を述べ伝えるということではなく、あなたの隣の人に、あなたの家族に、友人にいろんなところで「福音を述べ伝えなさい」ということです。
そして、「福音を述べ伝える」ということは、どういうことかといえば、「あなたの隣の人を大切にしなさい」ということです。「神の愛」を示しなさいということです。
私たちは、生きている限り、隣の人を大切にして生きていくということです。

何故わたしたちは、神の愛を今の時代で伝える必要があるのでしょうか?
通常、私たちが考えるのは、「キリストは何のためにこの世界に来られたか」ということです。
キリストは、我々人類の「救いのため」にお生まれになったということです。そして、「救い」とは、「わたしたちが神の姿に生きる」ということです。

「神の姿」とはどのような姿でしょうか?我々は、神の御姿に似せて作られました。しかし、今現在我々は神の姿とは言えません。なぜ失ってしまったかと言えば、アダムとエヴァが罪を犯してしまったからです。(創世記3章)神のようになり、「善と悪」を決めていくことを望んだからです。
わたしたちは、「善と悪」を自分で決めていませんか?しばしば私たちは「善と悪」を自分で決めるものになっていませんか?自分は悪くない、他人が悪い。そのようなことがありませんか?
私たちは、この創世記の言葉のようなモノに変わっていってしまっているのです。
そして、現代社会の中には、「神などいない」という人たちもたくさんいます。(創世記の蛇のような)賢いものたちが「神などいない」と言い、科学と宗教の対立を煽ります。この世の知識・価値観のなかで、神を忘れてしまい、自分が神になってしまっていないのでしょうか?なぜ、わたしたちは、神様になってしまおうとしているのでしょうか?
自分が神になった時になったどうなるかと言えば、「 二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした(創世記3章7節)」とある通り、自分の醜さも見えてきてしまいます。そして、自分のことを隠したいと思ってしまいます。
また、創世記3章のなかでアダムはエヴァにエヴァは蛇に責任転嫁していきます。アダムとエヴァの間に分裂が生じていきます。
神と離れれば離れるほど、自分をさらけ出すことが出来なくなり、分裂していくのです。

私たちは、日常生活のなかでどうでしょうか?
自分を隠したり、物事の悪を他人のせいにして、どんどん神の姿から離れていっていませんか?
神様から離れるということは、創世記3章にあるように、「苦しみを味わう」ことになります。

だから、私たちには回心、神のもとに帰ることが必要です。
回心は自分だけでは出来ません。神の恵みが絶対に必要です。
神様は、罪を犯したアダムとエヴァに何をしたのでしょうか?神様は「アダムと女に皮の衣を作って着せられた。(創世記3章21節)」とあります。神様は罪を犯したアダムとエヴァも大切にしてくださいます。
神様の愛はずっと私たちに注がれているのです。

確かに、私たちは神様が分かりません。苦しい時、悲しい時、(実質的に)助けてくれない感じがするでしょう。でも、私たちの信仰のなかでは常に神様が私たちを支えてくださっています。
神様へのアプローチの仕方として、「命の三原理」というものを皆様に覚えて頂ければと思います。
それは、「生きている。活かされる。つながる」です。
皆様は、自分1人で生きていますか?私たちは周りに活かされています。隣の人がいるから私たちは生きているのです。同時に、自分がいるから隣の人が生きているのです。そして、両親のもとで私たちは生まれ、愛に育まれ生きてきました。
愛のなかで生まれ、愛のなかで育ち、愛の中に生きていました。私たちは、生かされているのです。
そして、その「愛の大もと」こそ、神様なのです。「神の愛」なのです。そして、生かされている、活かされていることへの感謝が神に戻る道なのです。

私たちには、様々な苦しみがあります。そして、様々な死があります。
キリストがなぜ来られたか、それは、私たちが、その「苦しみ」「死」を克服できるようにです。そして、それらから解放されるためです。
人となり、我々と同じ苦しみを味わい、死を味わうためにキリストはお生まれになります。それは我々と「同伴」されるためです。イエス様は、私たちと常に共に歩んでくださっているのです。キリスト教の救いは、「苦しんでいる人と一緒に歩む」ことです。我々は「死」から逃れることは出来ません。しかし、共に歩まれ、ご復活され、それを克服されました。神は我々と同じ精神と肉になられました。それによって、肉と精神は、「聖なるもの」になりました。

神様から離れた者の生きるエネルギーは「欲」です。欲によって「所有」が生まれ、「優劣」が生まれ、「抗争」が生まれ、「分裂」が生まれ、「死」が生まれます。それに対し、我々キリスト者はモノを捧げ、共有し、活かされ、頂いたものを使って奉仕していきます。そうすれば、私も生き、他も生きることが出来ます。今の現実から解放され、このようなキリスト的価値観のなかで生きるためには、キリストを心に宿すものにならなければなりません。日常のなかでキリストを受けれいるものにならなければなりません。

どうでしょうか?
今、キリストを受けれいられますか?
今日、イエス様があなたのうちに泊まりに来るといわれて、すぐ承知できますか?部屋を掃除したい、食事の準備をしたいと思いませんか?
だから、今日、赦しの秘跡を与りましょう。イエス様がいらっしゃる前に道を整えましょう。

赦しの秘跡を与るためには、自分をさらけ出す必要があります。それは難しいかもしれません。自分の心をさらす事ほど苦しい事はないかもしれません。
だから、「頂いている」というふうに考えてみてください。「頂いている」ということを意識することで、自分がそれに対して何もしていないと思えるかもしれません。例えば、相性が悪くて、その人が嫌いと思っても、その人からも何かを頂いているかもしれない。その時に私たちには何をしているでしょうか。そのように自分の心を素直に見つめてみてください。

赦しの秘跡は心のバロメータです。それは、キリスト者としての成熟度を現すものでもあります。
赦しの秘跡を与れなくなるということは、愛することが出来なくなるということです。愛と赦しは、リンクしています。赦しを願う、赦すということは、愛が無ければ出来ません。
キリスト者として成熟すれば、そして、自己を肯定し、他者を肯定し、他者と他者の和を取り持つことが出来ます。

どうか、心の底から赦しを乞う力が与えられますように、また、自分をさらけ出し、赦しの秘跡の恵みを与ることが出来ますように、ご一緒に主の祈りを唱えましょう。

 

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講話の後、4人の神父様(フィリップ神父様・ティエン神父様、山浦神父様(亀有教会主任)、大山神父様)が赦しの秘跡を授けてくださいました。(赦しの秘跡については下記参照)

 

 

ゆるしの秘跡とは…

ゆるしの秘跡は、司祭のもとで、自分の犯した罪を告白し、罪のゆるしを願うことにより、神からの罪のゆるしが与えられるというしるしです。
この秘跡は、回心、悔い改め、和解、いやしの秘跡とも呼ばれています。
ゆるしの秘跡に必要な行為は、
- 痛悔(犯した罪を悔やむこと)
- 司祭への罪の告白
- 償いをはたす決意、およびその実行
です。

ゆるしの秘跡には、個別のゆるしの式と共同回心式があります。
前者は、ゆるしの秘跡を求める個人と神との出会いを重視します。それにくらべて、共同回心式は、ゆるしの秘跡の教会的な面をあらわしています。この式は、共同体の祈りの中で行われます。

共同回心式は、個人の罪だけでなく、教会共同体の連帯性について考え、共同体の上に神のゆるしを求めるので す。また、ゆるしを神に求めるだけでなく、兄弟姉妹にもゆるしを求めることを意識させてくれるもので、通常、主の降誕祭や主の復活という大きな祭日に向け ての準備として、待降節や四旬節の間に行われます。

引用元:女子パウロ会 Laudate | キリスト教マメ知識 「ゆるしの秘跡」

 

 

赦しの秘蹟は個別にも受けられますので、待降節の間に授かられてはどうでしょうか…




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今日は、無原罪の聖マリアの祭日です。

 

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フランス、ルルドで聖ベルナルデッタにご出現になったマリアは、ご自分を「無原罪の御宿り」と言われました。マリアは神様の特別な恵みによって、その存在の最初からあらゆる罪から守られていたのです。
今日は、イエスの母となるように選ばれたマリアが、救いの恵みを予め受け、聖アンナの胎内に宿った時から原罪から守られていたことを記念した祭日です。

 

ミサの始まる30分前からロザリオの祈りを一環唱えました。

 

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そして、10時半からミサが行われました。

ミサのなかでは、待降節に入ってから歌わなかった「栄光の賛歌」が歌われました。

 

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第1朗読 創世記 3章9~15、20節
第2朗読 エフェソの信徒への手紙 1章3~6、11~12節
福音朗読 ルカによる福音書 1章26~38節

 

 

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お説教の中でフィリップ神父様は…

「主のはしためです。お言葉通り、この身に成りますように。」とマリア様はお答えになりました。
これは、私たちの大きな挑戦です。私たちはどのように答えるでしょうか?
世の救いのために、自分の力を神様に捧げてください。

と仰られました。

 

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クリスマスの4週前の日曜日から待降節が始まります。今年は本日・11月30日から待降節が始まります。カトリック教会の暦では、待降節から1年が始まります。

 

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待降節とは…

待降節は二重の特質をもつ。それはまず、神の子の第一の来臨を追憶する降誕の祭典のための準備期間であり、また同時に、そ の追憶を通して、終末におけるキリストの第二の来臨の待望へと心を向ける期間でもある。この二つの理由から、待降節は愛と喜びに包まれた待望の時であるこ とが明らかになってくる。

カトリック中央協議会 典礼解説「待降節」より

 

今年は、アベドベンツクランツの蝋燭の色が変わりました。

待降節第3主日は「喜びの日曜日」と呼ばれ、蝋燭の色もピンク色になっています。(写真だと見えないですね…)

 

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待降節は、第1主日・第2主日・第3主日・第4主日とあり、徐々にイエス・キリストの降誕を待ち望む気持ちを高めていきます。

アドベントクランツは、主日を重ねるごとに1本ずつ火を灯り、私たちの心にキリストを待ち望むことを呼びかける助けとなっています。(クリスマス・ミサでは、中央にある赤い蝋燭に火が灯ります)松戸教会公式twitterアカウントでは、主日ごとに火が灯っている蝋燭が増えていく様子を写真におさめ、投稿していきます。

 

 

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祭壇には、馬小屋も設置されました。

待降節の主日を重ねるごとに様々なサントン人形が足されていきます。完成は、三博士が置かれる主の公言(1月4日)ですね。

 

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ヨゼフ会のみなさんが、今年も飾りつけを行ってくださいました。

 

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クリスマスを教会で過ごそうと考えてらっしゃる方がいましたら、待降節の日曜日に教会に是非いらっしゃってください。(もちろん、未信者の方も大歓迎です)ともにクリスマスを迎える準備を致しましょう。