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本日、10時半からは、クリスマスミサ(日中のミサ)が行われました。

昨日の夜半のミサ(子どもの奉仕するミサ国際ミサ)とは、また違う穏やかな雰囲気のなか、ミサが始まります。

 

 

 

司祭は入堂すると、馬小屋と真舟、幼子のイエス様、祭壇に献香します。

 

 

松戸教会のクリスマスミサでは、日本語で歌われる「憐れみの讃歌」は、「kyrie(キリエ) 」、「栄光の賛歌」は、「Gloria(グロリア)」と、ラテン語で聖歌が歌われます。「Gloria(グロリア)」が歌われている際には、カンペネラが鳴り響き、主のご降誕を祝います。
復活徹夜祭や復活祭、そして、この主の降誕(クリスマス)などの特別な祭日の時のみ、栄光の讃歌の際にカンパネラを鳴らし、祝います。)

 

 

 

ことばの典礼が、始まります。

 

そして、福音朗読。

 

 

第1朗読 イザヤ書 52章7~10節
第2朗読 ヘブライ人への手紙 1章1~6節
福音朗読 ヨハネによる福音書 1章1~18節

 

 

 

フィリップ神父様は、お説教の中で、「『2000年前に訪れた闇を照らす光』が送られたのは、貧しい人たち、苦しんでいる人たち、抑圧されている人々のためであり、独り子を送る程私たちを愛されている神様の慈しみと愛を感じることが出来るこの日を大いに祝いましょう」と、お話されました。

 

 

 

奉納行列が終わり、清めの際には、真舟、馬小屋、祭壇に献香しました。

 

 

 

昨晩に引き続き、今日も、Kyrie(キリエ あわれみの賛歌)、Gloria(グロリア 栄光の賛歌)、Sanctus(サンクトゥス 感謝の賛歌)、Agnus Dei(アニュスデイ 平和の賛歌)が歌われました。

 

 

 

平日の午前中にもかかわらず、今日もたくさんの方々が、ミサに与りました。
昨日から3回すべてのクリスマスミサに与った方もいらっしゃりましたね。

 

 

聖体拝領後、今日も、昨日に引き続き、クリスマスミサを与ってくれた子どもたちに教会とMCCICからからプレゼントがありました。

また、是非、教会に来てくださいね!!

 

 

侍者を務めた教会学校の子も侍者をしたご褒美に、もう1度頂きます。

 

 

 

閉祭後、フィリップ神父様が抱かれた幼子イエス様にミサに参加した人たちが集まり、その体に触れたり、キスしたり、ご降誕の喜びを分かち合いました。

 

 

暖かい日差しの中、日中のミサも、たくさんの方々が参加くださり、主の御降誕の喜びを分かち合っていました。
主の御降誕、おめでとうございます!




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今日は、主の降誕の大祭日です。
私たちの救い主・イエス・キリストの御降誕を祝います。

 

カトリック松戸教会では、午後6時からの「子供の奉仕するミサ」、そして、8時半からの「インターナショナルミサ」と2回の夜半のミサが行われました。
午後6時から行われたミサのリポートは、教会学校がリポートしてくださいました。(今年も、子どもの奉仕するミサの前に聖劇が行われました)

 

 

ミサが始まる前、午後8時15分から、キャンドルサービスが行われ、MCCIC聖歌隊と聖歌奉仕グループが共にクリスマスキャロルを歌います。

 

 

 

 

午後8時半、ミサが開祭されます。

 

 

入堂後、フィリップ神父様が祈りを唱えられました。

 

そして、馬小屋を祝別し、祭壇に献香します。

 

松戸教会のクリスマスミサでは、日本語で歌われる「憐れみの讃歌」は、「kyrie(キリエ) 」、「栄光の賛歌」は、「Gloria(グロリア)」と、ラテン語で聖歌が歌われます。「Gloria(グロリア)」が歌われている際には、カンペネラが鳴り響き、主のご降誕を祝います。
復活徹夜祭や復活祭、そして、この主の降誕(クリスマス)などの特別な祭日の時のみ、栄光の讃歌の際にカンパネラを鳴らし、祝います。)

栄光の賛歌(Gloria(グロリア))が歌われている中、フィリップ神父様が、幼子イエスをお迎えに上がり、真舟に安置します。

 

 

 

 

集会祈願が祈られた後、ことばの典礼が、始まります。
第1朗読は、日本語で行われ、第2朗読は、英語で行われました。

 

そして、福音朗読(日本語と英語)が行われました。

 

 

第1朗読 イザヤ書 9章1~3、5~6節
第2朗読 テトスへの手紙 2章11~14節
福音朗読 ルカによる福音書 2章1~14節

 

 

そして、お説教も日本語と英語で行われました。

 

 

 

共同祈願は、まず、日本語の共同祈願が唱えられ、その後、様々な言葉で唱えられました。

 

 

 

そして、感謝の典礼に入ります。

 

奉納の歌は、MCCICコーラスが歌います。

 

清めの際の献香が、行われます。

 

 

感謝の讃歌(サンクトゥス(Sanctus))は、ラテン語で歌われます。

 

キリスト者は キリストの御体をいただく前に、互いに交わし合う「平和の挨拶」を通して、実際に互いを赦し、受け留め、互いに和解するように招かれています。
主が御降誕された今夜、もう1度その意味を噛みしめながら、民族・国籍を超え、お互いに平和の挨拶を行いました。

 

平和の讃歌(アニュス・ディ(Agnus Dei))は、ラテン語で歌われます。

 

 

そして、聖体拝領。
拝領の歌も、MCCICコーラスが歌います。

 

本当に多くの方が、今日のミサには参列されました。未信者の方々も多く来られ、御聖堂の外にも人が溢れていました。

 

 

 

聖体拝領後、クリスマスミサに与ってくれた子どもたちのために教会とMCCICからプレゼントが贈られます
神父様が祝福し、来てくれていた子ども達みんなに渡しました。

 

寝ちゃった子にももちろんプレゼントします!

また、是非、教会に来てくださいね。
 

閉祭後、フィリップ神父様が抱かれた幼子イエス様にミサに参加した人たちが集まり、その体に触れたり、キスしたり、ご降誕の喜びを分かち合います。

 

 

ミサ後、地下ホールにて、ティーパーティーが行われました。みなさん、10時を回っているのに…地下ホールに集まり、喜びを分かち合っていました。
全ての人にとって、クリスマスはやはり大きな恵みなのだと感じさせらせました。

 

主の御降誕おめでとうございます!
Merry Christmas!




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今日は、クリスマス!主の降誕の祭日です!
聖劇が終演した後、午後6時から「子どもの奉仕するミサ」が行われました。みんな、聖劇の衣装を着たまま、ミサの奉仕を行います。

 

 

普段は、大人の方々がされている奉仕を教会学校の子どもたちやリーダーがするのです。(松戸教会では、1学期は子どもたちの初聖体が行われるキリストの聖体のミサ。2学期はクリスマス。3学期は教会学校の卒業式・修了式後の3月に「子供の奉仕するミサ」を行います)

 

 

 

 

 

聖劇が終わったら、そのままミサの準備をします。
先唱が開祭の前に、始めてきた未信者の方にもわかりやすく、ミサの解説を行います。

 

そして、御聖堂の照明が消され、キャンドルサービスが始まります。

 

 

 

 

午後6時…いよいよミサが始まります。

今日のミサは、葛西教会の柴田弘之神父様(聖アウグスチノ修道会)主司式で行われます。

 

 

 

 

入堂後、まず柴田神父様が祭壇の前で祈りを捧げます。

 

そして、柴田神父様が、馬小屋、祭壇に灌水、献香し、祝別しました。

 

祭壇に神父様がつかれると、神父様が回心へと導かれ、憐れみの賛歌が歌われます。そして、カンパネラが響く中、待降節に入り歌われなかった「栄光の讃歌」が歌われます。
(復活徹夜祭や復活祭、そして、この主の降誕(クリスマス)などの特別な祭日の時のみ、栄光の讃歌の際にカンパネラを鳴らし、祝います。)

 

栄光の賛歌が歌われる中、フィリップ神父様が幼子のイエスをお迎えに行き、真舟に安置されました。

 

 

 

 

そして、ことばの典礼となります。
ことばの典礼では、聖書が朗読されます。
クリスマスは、「語り部」の子の2人が始めてこられた未信者の方でも分かるように朗読箇所を説明します。

 

第1朗読は、旧約聖書の箇所が朗読されます。

語り手が会衆に説明します。

「昔々、イスラエルという小さな国に戦争がありました。畑があらされ、建物はつぶされ、たくさんの男の人が殺されました。 女の人と子どもたちは捕らえられ、遠い国バビロンへ連れて行かれました。
みんな、毎日泣きながら、イスラエルの自分の家に帰りたいと、神様に祈りました。 神様は、みんなの祈りに応えて、イザヤという男の人に語りかけ、イザヤは神さまのことばを皆に伝えました。イザヤを通して神様が皆に語りかけたことばを聴きましょう。」

 

そして、聖劇でヨゼフさまを演じた6年生が、朗読を行いました。
朗読も侍者も、短い練習時間だったにもかかわらず、しっかりと行う事が出来ました。

 

 

第2朗読は、使徒書と呼ばれる使徒によって書かれた手紙などが朗読されます。

語り手が会衆に説明します。

「さて、イエス様が天に上げられて、約束された聖霊が下り教会ができた頃、パウロという使徒がいました。そのパウロはイエス様がお生まれになったことが、人々にとって、とても大きな意味があることを弟子のテトスに手紙を書きました。これから、その手紙が読まれます。」

 

そして、聖劇で、マリア様を演じた5年生が朗読しました。
第2朗読も、朗読も侍者もしっかりと行うことが出来ました。

 

 

そして、福音朗読が行われます。

福音朗読の際の侍者の所作は、普段のミサでもあまりよく出来ていませんでしたが、今回の練習を通して覚えることが出来たと思います。これからもしっかりと出来るようにしましょう。

 

 

第1朗読 イザヤ書 9章1~3、5~6節
第2朗読 テトスへの手紙 2章11~14節
福音朗読 ルカによる福音書 2章1~14節

 

そして、柴田神父様のお説教。

主の降誕の出来事を通し、キリスト者の出会い、そして、新たな門出というテーマでお話しくださいました。
子どもたちにも分かりやすくお話してくださり、みんなしっかりとお話を聞くことが出来ました。

 

 

 

 

共同祈願は、子どもたち5人が唱えました。

共同祈願は、ミサに与った方々が一体となり1つの共同体・キリストの体として、共に父である神様祈ります。
初めての挑戦の子もいましたが、「ゆっくり丁寧に」というリーダーからの指導をしっかり守り、所作も含め、しっかりと唱えることが出来ました。

 

 

 

 

共同祈願が唱えられた後、感謝の典礼に入ります。
実は、侍者をする子どもたちが一番苦手としている「奉納行列」から「清め」までなのですが、(少し厳しめに)練習したかいもあり、しっかりと行う事が出来ました。

 

献金籠は、中高生の4人が運んでくれました。
うち2人は久々の奉仕でしたが、後輩たちのお手本となるような奉納でした。

 

 

先唱の子達は、始まる前にリーダーから「このミサが成功するかしないかは、先唱にかかっている」とプレッシャーをかけられたこともあり、必死に台本をみながら、ミサを滞りなく進めようと頑張ってくれました。緊張して、少し早口になっていたけど、とてもよく出来ました!

 

 

そして、聖変化……。
ホスチアが、キリストの体へと変わります。この「キリストの体」を洗礼を受けた信者は頂き、キリストと一致したものとなります。また、共同体が、1つのパンを分け合って頂くことにより、共同体のつながりを強めていきます。

 

 

そして、聖体拝領…

 

今回は、教会学校の子どもたちが宣伝したこともあり、たくさんの方々が6時からのこどもの奉仕するミサに来てくださいました。
御聖堂には入り切れず、外で立って与った人たちもたくさんいらっしゃいました。

子どもたちの聖劇を見るために、午後5時には教会に来てくださっていた方々もたくさんいらっしゃいました。
本当にありがとうございました!

 

拝領後の片付けも、侍者の子達3人は、しっかり行う事が出来ましたね。
侍者は、実は、何もしていない時の方が大事です。何もしていない時に、しっかりと手を合わせて、待つことが出来るようになりましょう。

 

 

 

 

聖体拝領後、教会からクリスマスミサに与った子ども達に教会とMCCICからプレゼントが贈られます!
高校生の2人が祭壇まで運んでくれました。
まず、柴田神父様がプレゼントに灌水し、祝福してくださいました。

 

そして、フィリップ神父様から子どもたちに手渡されます。
まずは教会学校以外の子供たちに…
(前もって伝えておいたはずなのに、教会学校の席からブーイングが起こりました…。今年も…ここで集中力が切れてしまいましたね…)

 

続いて、教会学校の子どもたち!
下級生の子から受け取らせていた女の子たちはさすがでした。それに比べて男の子たちは、上級生ほど、我が先に取りに行ってしまいました。しかも、その後、うるさくしてしまいましたね。侍者の子たちは、せっかく頑張ってきたのに、最後の最後で侍者の仕事を忘れてしまいました。ミサは、閉祭の歌を歌いきるまでミサです。しっかりと奉仕が出来るように頑張ってください。

 

 

そして、閉祭…
リーダーと一緒にいない時も、こんなふうにしっかり出来るといいのですが…

 

 

今日は、教会学校を卒業した中高生や大学生もたくさん来ていましたね。
みんな本当にお疲れさまでした。

 

カメラを向けると、顔を隠す中高生……

 

 

 

 

 

本当にみんな今日はお疲れさまでした。
久々に来た仲間やなかなか忙しくて来れない中高生たちも活躍してくれました。
リーダー達も、久々に再会が出来て本当に嬉しかったです!今日は本当にありがとうございました!

とても大変な1日でしたが、(アクシデントもありましたが)無事、聖劇、そして、ミサの奉仕を行う事が出来ました。
しかし、毎年の事ですが、最後の最後で気が抜けてしまいましたね。次回のこどもの奉仕するミサの際には、最後の最後までしっかりと行えるように頑張りましょう。

 

最後に幼稚園に集まって、みんなでお祈りしました!

 

メリークリスマス!
主の御降誕おめでとうございます!

たくさんの喜びをありがとうございました!!




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教会学校の子どもたち3名と中高生2名、そして、リーダー達で菊池功大司教様の着座式に、東京カテドラル聖マリア大聖堂に行ってきました。

 

午前11時から始まった着座式…
午前9時頃にはもうカテドラルには多くの人が来ていて、座る事が難しいとの情報が…(先に信徒の方がいって、子どもたちや中高生の席を用意してくださっていました。本当にご迷惑をおかけ致しました。ありがとうございます)

 

 

入堂から…司祭、司教様の数にビックリ…
こんなに大勢の方々がそろってのミサは、初めてです…

フィリップ神父様を発見!

宮下神父様を発見!

そして、司教団!

 

岡田大司教様と菊池大司教様!

 

 

そして、着座式が始まります!
バチカン教皇大使チェノットゥ大司教様が、パパ様からの任命書を読まれました(ラテン語…)その後、高木神父様(東京大司教区事務局長)が日本語訳を読んでくださいました。

 

そして、岡田大司教様からバクルス(司教の杖)が菊池大司教様に手渡されます。
岡田大司教様の「よろしくお願い致します!」という声のなかに、重責から解放された安堵感みたいなものを感じました…今まで本当にありがとうございました!

 

司教座に菊池大司教様の紋章が掲げられました!

 

 

聖変化!
こんなに大勢の司教様による聖変化を見るのは初めて…!壮観でしたね!

 

 

聖体拝領後、以前菊池大司教様が宣教活動を行っていたガーナの司教様たちからお祝い(ガーナ風のお祝いらしいです)

 

 

最後に菊池大司教様からご挨拶をいただきました!

 

学校があって、ギリギリ間に合わなかった高校生は、ずっと立ち見でした。でも、逆に入堂や退堂を近くで見れて、ラッキーだったかもですね。

 

そして、退堂…


退堂後、司教様たちからお祝いの言葉を菊池大司教様が受けていました。

 

 

 

着座式後、すごい人の数で…ちょっと疲れちゃいましたが、本当に素晴らしい体験でしたね!
松戸教会からもたくさんの信徒の方がいらしていて、着座式後、声をかけて頂きました。

 

 

 

退任が発表されている沖縄教区の押川司教様。
いらっしゃった人達からの挨拶をうけていらっしゃいました。沖縄からもたくさん人が来られていたみたいですね。

 

菊池大司教様には、常に周りに人がいて、祝賀パーティの会場に移動するのも…大変だったようです。
みなさん、握手をお願いしたり…ご挨拶されたり………リーダー達も握手してもらいたかったんですが……無理でした。

 

みんなで分かち合いながら、帰宅…

クリスマス前に大きな喜びを頂きました。
いつか松戸教会にも、是非お越しください!!




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本日、10時から、そして、13時半からの2回、共同回心式が行われ、多くの信徒が参加しました。

 

まず、柳田 敏洋神父様(イエズス会霊性センター「せせらぎ」所長)から、講話を頂きました。
柳田神父様は、始めに主の祈りへと導かられ、祈りと共に共同回心式が始まりました。

 

<講話要旨(午後の部)>

始めに中世のドイツの宗教詩人アンゲルス・シレジウス の詩を紹介します。
キリストが1000回ベツレヘムで産まれたとしてもあなたのなかでなければ永遠に無意味である
毎年、わたしたちがクリスマスを祝う神様が来られた事を祝っていても、私のなかに来られたという事を、私たちが気づくことがなければ、無意味である。という意味です。
そして、私達自身が神様に近づくことを阻んでいるとするなら、神様が私たちの心にすでに来てくださっているにもかかわらず、出会うことは出来ません。
内なる神様を一番阻んでいるのが、「私達自身が自分を裁いてしまう」ことです。
ここに実は大きな問題があります。
真面目な信者であればあるほど、自らを裁いてしまいます。

ルカ福音書には以下のように書かれています。

 

「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。 与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。」
ルカによる福音書6章36-38節

 

この「あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。(38節)」
私たちもついつい口に出さなくても、心のなかで人を裁いていることがあります。しかし、その裁いている尺度で実は自分も裁いていることがあります。私自身も毎日のミサで説教をしたり、神様の御言葉を伝えながら、同時にその尺度で自分自身を見てしまい、裁いてしまいます。その裁いてしまう心が、私たちの心のうちに来てくださっている神を遠ざけてしまいます。神様に近づけないようにしているのは、私自身なのです。

そして、その続きです。

イエスはまた、たとえを話された。「盲人が盲人の道案内をすることができようか。二人とも穴に落ち込みはしないか。 弟子は師にまさるものではない。しかし、だれでも、十分に修行を積めば、その師のようになれる。 あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。 自分の目にある丸太を見ないで、兄弟に向かって、『さあ、あなたの目にあるおが屑を取らせてください』と、どうして言えるだろうか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目にあるおが屑を取り除くことができる。」

ルカによる福音書6章39-42節

 

私たちはついつい他人を裁いたりする。しかし、裁いている私たちのなかに「丸太」があることにどうしてきづかないのでしょうか?
私たちは、他人の抱えている問題に気づくにもかかわらず、自分の抱えている問題には中々気づかない。また、薄々気づいていたとしても中々目を向けようとしない。イエス様が仰られているのは、まず他人の事よりも自分を見つめなさい。そして、自分のなかにある「丸太」を取り除きなさい。と、いう事です。そのようにすれば、相手のなかにある小さな「おが屑」にも気づき、それをとるお手伝いが出来ます。私たちが神様のみ旨にそって生きるならば、まず自分の心を清くする。そうしてこそ、本当の意味で信者としてみ旨にそった生きて方をすることが出来ます。

自分の目から丸太を取り除く、心を清くするということがどのような事かと言えば、36章の「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな」ということです。この箇所を少し説明しますと、新約聖書は、そもそもギリシャ語で書かれています。そちらで読むと「人を裁くな」とは書いてありません。「人を」という文字はなく「裁くな」としか書いてありません。また、「人を罪人だと決めるな」という箇所も同様に「罪人と決めるな」としか書かれていません。これが、私にはとても大事な事に思えます。それは「『人をも』『自分をも』裁くな」ということだからです。人を裁く自分がいると同時に自分も裁く自分に陥ってしまいます。そうではなく、イエス様が言っているのは、「『人をも』『自分をも』裁くな」ということでした。裁くことが出来るのは、神のみだからです。そして、その神様は、罪人を裁く事よりも、お赦しになる方なのです。この事をイエス様は真理としてお伝えになりました。

そのような神様の深い愛を示す有名な言葉があります。

 

全能のゆえに、あなたはすべての人を憐れみ、回心させようとして、人々の罪を見過ごされる。
あなたは存在するものすべてを愛し、お造りになったものを何一つ嫌われない。憎んでおられるのなら、造られなかったはずだ。
あなたがお望みにならないのに存続し、あなたが呼び出されないのに存在するものが果たしてあるだろうか。
命を愛される主よ、すべてはあなたのもの、あなたはすべてをいとおしまれる。

知恵の書11章23-26節

 

全能のゆえに、あなたはすべての人を憐れみ、回心させようとして、人々の罪を見過ごされる(23節)」

これが私たちの神です。
本当の回心とは、天国があるから、ご褒美として頂きたいから行うとか、あるいは、罰への恐れから行うとかではありません。
これほど、私たちの事を慈しみ、深く愛されている神だという事を、イエス様は、私たちに伝えてくださりました。だから、愛そのものが神なのです。

その愛そのものである神に、私たちがもっともっと心の深いところで触れていく時に、本当の回心があると思います。
私たちの回心というのは、常に限りなく愛し続けてくださる、その神様に気づいていくなかにあるということです。

命を愛される主よ、すべてはあなたのもの、あなたはすべてをいとおしまれる

これが私たちの神様です。

 

 

 

そこから、ルカ6章37節の「裁くな」という事をもう1度考えてみましょう。
私たちはついつい自分を裁いてしまいます。しかし、本当の回心に向けて、裁かずに「気づく」ことがとても大切になるわけです。

 

それでは、私たちが相応しい心で、今年も心のうちにイエス様の御降誕をお迎えするために「気づく」という事について考えてみましょう。

私たちが、完璧に悪い感情や悪い考えを捨て去って、生きるという事はありえません。
もし私たちが完璧に悪い感情や悪い考えを捨て去って生きるとしたら、恐ろしいことになります。なぜなら、自分を裁き続けるという人生から逃れられなくなるからです。
私たちが善い人でなければ、神は愛してくれない、恵みを与えてくれないということではなく、神様は、私たちのありのままを限りなく愛し続けて下さります。そこに私たちの本当の幸せの場所があるということです。
そこに近づくために、あるがままの自分に気付いていく…それがとても大切です。
例えば、今日、ここに来る時、電車が遅延してしまい、始めの方は、5分程度ということだったのですが、そのうち、20分近く遅延することになってしまいました。約束の時間も迫っているので、イライラしてしまい、ついなんで遅れてしまうんだ!と、責める気持ちが生まれてきてしまいました。しかし、神父がこんなことでイライラしてはいけないと、今度は自分を責める気持ちになってしまう…というようなことがありました。

こういうことは日常茶飯事ですよね。
真面目な信徒ほど、こういうところに陥ってしまいがちです。

では、どうすれば良いのか。
それは、「神様と同じ視線で自分を見る」ようにすれば良いのです。裁かずに、自分の心に気付く。それだけでいいのです。それ以上踏み込んでしまうと自分を裁いてしまいます。裁きもせず、責めたりもせず、自己正当化しようともしないことです。
「悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる(マタイ5:45)神の愛の心と同じ心をもって自分自身を見つめるということです。
つまり、イエス様の言葉を別の言葉でいいかえるならば、存在の無条件の肯定です。どんな醜い考えやひどい感情が自分の心に現れても、自分の心に現れた事実、そして、その存在を認め、受け止めていくことです。
私たちの心の奥には、愛の神様がいつも住まわってくださります。その愛の神様から、無条件の愛の恵みが私たちのなかに注がれ続けています。存在の無条件の肯定は、神様の愛の恵みに気付く事でもあるのです。そして、恵みを頂いているからこそ、私たちはあるがままの自分を愛することが出来るのです。

 

 

ポジティブな気持ち(自分の能力を相対的に見て、それを誇る)やネガティブな気持ち(怒りや妬み)などは本当に厄介です。それがいつの間にか自分と同一となり、ある日爆発して、とんでもない結果となって表れてしまう事もあります。ここで大事なことは、そういった感情を抱いた自分を裁かない、否定しないことです。そういった感情に気付くことで、最も相応しいかたちで最も厄介なエゴの心から、静かに離れることが全く簡単に出来ます。

私たちは、厄介なものを外においてしまいます。しかし、厄介なものが外にある限り、私たちは苦しみ続けます。それを環境のせいにしてしまいます。もちろん、そういうこともあるのでしょうが、神のいつくしみに気付けば、それを厄介な事と決めつけている自分の心が、自分を苦しめていることに気付きます。。それに気付けば、静かに離脱することが出来ます。そうすれば、自分自身の気付きの力で自分自身をもっと平和に保つことが出来るようになるという事がわかってきます。ここにこそ、神様が私たちの中に住まわって、無条件愛による赦しの恵みを与えてくださることなのです。

こう言った事を日常に行っていけば、イエスキリストの福音を伝える愛の人になることが無理なく出来るようになっていきます。

この後もゆるしの秘跡がありますが、自分の心のありのままを神様の前に置いてください。その後、私たちの心を整えるのは神様のお仕事です。自分で自分の心を整えることは出来ません。整えた瞬間、整えられる自分を誇るエゴという厄介な感情が生まれてしまいます。真に整える恵みを与えられるのは、神様のみです。私たちに出来るのは、偽りなく、自分のあるがままをかみさまの前に置く事だけです。それだけで本当に充分です。
それを伝えるために幼きイエス様は、私たちの中にご降誕されたのですから。
この恵みに私たちが預かっていくことができますように、最後に主の祈りをご一緒に唱えましょう。

 

 

 

 

講話の後、柳田神父様、立花神父様(豊四季教会)、松田神父様(亀有教会)、フィリップ神父様が赦しの秘跡を授けてくださいました。
(赦しの秘跡については下記参照)

ゆるしの秘跡とは…

ゆるしの秘跡は、司祭のもとで、自分の犯した罪を告白し、罪のゆるしを願うことにより、神からの罪のゆるしが与えられるというしるしです。
この秘跡は、回心、悔い改め、和解、いやしの秘跡とも呼ばれています。
ゆるしの秘跡に必要な行為は、
- 痛悔(犯した罪を悔やむこと)
- 司祭への罪の告白
- 償いをはたす決意、およびその実行
です。

ゆるしの秘跡には、個別のゆるしの式と共同回心式があります。
前者は、ゆるしの秘跡を求める個人と神との出会いを重視します。それにくらべて、共同回心式は、ゆるしの秘跡の教会的な面をあらわしています。この式は、共同体の祈りの中で行われます。

共同回心式は、個人の罪だけでなく、教会共同体の連帯性について考え、共同体の上に神のゆるしを求めるので す。また、ゆるしを神に求めるだけでなく、兄弟姉妹にもゆるしを求めることを意識させてくれるもので、通常、主の降誕祭や主の復活という大きな祭日に向け ての準備として、待降節や四旬節の間に行われます。

引用元:女子パウロ会 Laudate | キリスト教マメ知識 「ゆるしの秘跡」

 

赦しの秘蹟は個別にも受けられますので、待降節の間に授かられてはどうでしょうか…