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今日は「王であるキリスト」の祭日です!
祭日とは、大祭日(復活祭)のつぎくらいに大きなお祝いの日です。
王様であるイエスさまをお祝いします!

まず、いつも通り「教会学校・はじめの祈り」でスタートです。

今日の行列で歌う
「イエスさまがいちばん」「あめつちをつくり」
を練習しました。

まずは「イエスさまがいちばん」の練習です。

「イエスさまがいちばん」は聖母子像の前で歌います。
お外ではピアノやオルガンでの伴奏はありませんので、
途中からリーダーのピアノもなしで練習してみました。

その後、御聖堂まで行列で進みますが、
その時は「あめつちをつくり」を繰り返し歌い続けます。
行列をイメージして2列で並んで練習しました。

背の順で並んで、自分の位置を確認しました。
本番でもこの順番でさっと並べるようにしましょう。

先ほどの「イエスさまがいちばん」と同じく、
外では伴奏がないので、伴奏なしでも練習してみます。

さて、もうそろそろ移動しましょう!
ミサの準備をして、お外の聖母子像前に集合しましょう…!!




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今日も元気に子供達が集まりました。
「教会学校・はじめの祈り」でスタートです。

最初は歌練習です。
王たるキリストの祝日に歌う歌
「あめつちをつくり」と「イエスさまがいちばん」の2曲を練習しました。
行列をイメージしてぐるぐる行進しながら歌いました。

歌の練習が終わり…リーダーから質問!
王であるキリストの次の日曜から、
教会はどんな季節になるでしょうか?

その日から祭壇に何かが置かれるね。

正解は、待降節です。
祭壇には4つのろうそくが置かれますね。

待降節はイエス様が地上に来られる(御降誕する)のを待つ季節、
王様としてお迎えするための準備をする季節です。

クリスマスのミサは、みんなが奉仕します。
イエス様が来られる大事な大事な日に、ちゃんとしてないとだめです!

そしてクリスマスのミサには、信者じゃない人もいっぱいきます。
だからクリスマスの大事さを信じてない人にも伝えられるように
みんなに聖劇をやってもらいます!

今日は聖劇のキャストを発表します!
リーダーから配役が発表されました。

みんな自分の役はなんでしたか?
台本も配りました!大事にしてね!

そして早速、聖劇の練習に入りました。

聖歌隊の役だったみんなは教室に残って、歌の練習をしました。

今日は「あめのみつかい」を練習しました!
イエス様は動物がいる小屋(うまや)で生まれましたね。
イエス様が生まれたら…天使の大軍が歌いました!
「あめのみつかい」は天使という意味です。
そのイメージで歌ってくださいね!

一方役者チームは…
今日もらった台本の読み合わせを行いました!

セリフは覚えられそうでしょうか?
シーンのイメージはつかめましたか?
「劇」なので、動きや立ち位置も今後は練習していきます。頑張りましょうね!!

最後、全員もう一度集合して、
アヴェ・マリアの祈りと栄唱を唱えて終わりました。

来週からも聖劇の練習をどんどん進めていきます。
みんなおうちでも頑張って練習してきてくれると嬉しいです!
クリスマスの本番に向けて頑張っていきましょう!!




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マリア会では、各地区から連絡員が集まり、毎月第2日曜日に地区連絡会を開いています。司牧委員会の報告を受けて、議論したり、各地区に連絡したりします。

11月11日の連絡会では、バザーの報告、統括、マリア会総会についての論議などがされました。

 




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毎月、第1週、小集会室で中高生の勉強会が行われています。
今月は、参加したのは3人。

今月で、典礼歴が終わりますね。
教会の1年にふさわしい内容にしたいと思い、今月の内容は、「神の国」です。

キリスト者として、そして、自分とは?自分の人生とは?
少しゆっくり考えるきっかけになればと思います。

 


 

今月のテーマ

● 神 の 国 ●

 

 

さて、もうすぐ教会の1年が終わります。
教会の1年の終わりには、必ず毎年1つのことを私たちは、思い起こします。

それは、キリストの再臨です。
キリストがもう1度来られる時、私たちは最後の審判を受け、王であるキリストが治める神の国の住人となれるかが問われます。
キリストは神の国の王であり、私たちの真の王です。それをお祝いするのが、1年の最後の主日となる「王であるキリスト」です。
最後の主日である王であるキリストを含め、年間第32主日、年間第33主日の3回の主日は、「終末主日」と言われ、世の終わり つまり、イエス様がもう1度来られる時のことを思い起こさせます。終末的思想は、イエス様の生きていた時代に満ちていました。バビロン捕囚から後、聖書が語る(当時はもちろん新約聖書はなく、旧約聖書を聖書と呼んでいたわけですが)黙示的な世界、そして、今起こっている現実(バビロン捕囚からユダヤ人は、バビロニア、マケドニア、ローマと支配され続けてきた)からの逃避(したくなる気持ちもわかりますよね。。。)していた部分もあったかもしれませんね。世の中が終わり、キリストが降りて来られて、この哀れな現実の世界が終わり、自分達を救ってくれる……自分たちがダビデの時代のような豊かな生活を送れる…そのように思っていました。律法を守った生活を送ることで、神様がもう1度あの「出エジプト」の時のように自分たちを救ってくれると思っていたのです。

神の国とは、自分たち「神様から選ばれた、神様と契約を結んだ民である自分達」が、「自分達らしく」「自由に」「豊かに」暮せる国であると思っていたのです。だから、神様との契約をあらわす「十戒」は、何より大事とされ、それをより細かく規定した律法を守ることが大事だったのですね。
でも、「自分達らしく」「自由に」「豊かに」のとらえ方が、違いますね。
それはピラトとの問答によく表れています。

 

ピラト「お前がユダヤ人の王なのか」
イエス様「わたしの国は、この世には属していない」

ヨハネによる福音書 18章35-36節

 

イエス様の仰った「わたしの国は、この世には属していない」は、イエス様が王となる国は「この世に根拠をおいていない」という意味です。

根拠…その説明が次のイエス様の言葉によって示されます。

 

わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く

ヨハネによる福音書 18章 37節

 

では、「真理」とはなんでしょう?
「真理を証しするために来られた」ということは、イエス様の生き方、言葉によってそれが示されているということです。
イエス様の生き方、言葉…そうですね。
それは、まさに「十字架上の死」によって示されているのです。

そして、前から話している通り、十字架上の死は「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された(ヨハネによる福音書3章16節)」の言葉とおり、神様の私たちへの愛を示されています。
つまり、イエス様が、証した真理とは、「神様の愛」なんですね。「神様の愛に属する人」こそ神の国の住人ということになります。
そう、神の国は、「神様の愛によって支配された国」なんですね。
イエス様が、「もし、わたしの国がこの世に属していれば、わたしがユダヤ人に引き渡されないように、部下が戦ったことだろう」と否定されているように、神の国は力によって支配されるものではありません。

さて、では、キリスト者として、「神の国」の完成に務める私たちはどうすればよいのでしょうか?
どうすれば、私たちは、神の愛に属することができるのでしょうか?

イエス様は、「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい(マタイによる福音書 16章 24節) 」とその答えを仰っています。それは、ラクダを針の穴に通すくらい難しいことかもしれません。
私たちが全てを捧げ、何も持っていないものになった時、ようやく通れるものです。

最後の審判の時に、「羊」と「山羊」に分けられますよね。
山羊は、野生の動物ですから、1人で生きていける強い力を持っています。羊は、山羊が家畜化され、牧者なしには、そして、群れの中にいなければ生きていけません。
神の国に入れるのは「羊」ですね。

羊のように神様がいなければ生きていけないくらい、小さな自分になり、神の愛を受け取り、その愛に応えていく。
その応えこそが、みんなの背負う十字架です。神のみ旨です。

みんなが背負う十字架は、なんですか?

背負う十字架から逃げていませんか?
神様の愛に気づくことから、逃げていませんか?

神様から、みんな、それぞれ大きなタレントを頂いています。
そこに大きな答えがあるはずです。

したいことではなく、すべきことをしてください。
「隣人を自分のように愛すこと」が私たちにイエス様が残された大きな掟です。
目の前にいる困った人に、本当は、もっと与えられるのに、怠っていませんか?目の前にある正義から外れた世界を放置していませんか?
堅信の勉強会の時に、「怠りも罪」ということは伝えましたね。
みんな、それぞれ、もっと出来るはずです。多くの気づきがあるはずです。
神様を心から信頼して、神様の愛を真正面から受け取ってください。

イエス様は、私たちの大きな模範です。イエス様が、100%神様の愛に満たされ、どのようになさったか、みんなはもう知っています。

堅信を受けたものとして、教会の1年の終わりにもう1度私たちが目指すべき世界について考えてみてください。
そして、私たちが何をすべきか、何を背負いイエス様に従うのか、考えてみてください。

それでは、私たちの王である「イエス・キリスト」に賛美と感謝をささげながら、主の祈りを唱えて終わりにしましょう。

 


 

次回の勉強会は、12月2日です。
来月は、少し違う角度から、クリスマスについて一緒に考えてみましょう。

筆記用具をもって、集まってください。




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今日も元気に集まりました。
最初に「教会学校・始めの祈り」を唱えてスタート!

今日は、宮原助祭のお話です!
どうぞよろしくお願いいたします。

カトリックでは、11月は死者の月です。
亡くなった人のためにいのり、亡くなった人たちのことを考える月です。
亡くなった人のことを思いながら祈ったり日々を過ごす月なのです。

去年、助祭は、福岡の神学校にいました。
福岡の神学校に住んでました。
神学校にも聖堂があります
福岡の神学校には、聖堂入り口に納骨堂がありました。
亡くなった神父様の骨がおいてあり、
亡くなられた神父様のところで祈るのです。

とっても聖堂の音が響くのですが、
去年みんなでお掃除してました。

掃除で使うものってなんでしょうか?
ほうきとちりとり?
ぞうきん?
ルンバ?

掃除機を使って掃除しました。
ブオーンとかぎゅおーーーんとかキュイーンとか
すごい大きな音がしますね。

掃除機の音は、空気を吸う音と、空気をはく音です。

神父様の骨があるところに行くと…
もっと大きな音がした気がしました。
誰かが喋っているような…?
そう思って掃除機を止めてみた、という経験があります。

息を吸う、息を吐く。
亡くなると、自然に息を吸ったり吐いたりするのが終わります。

自分が息をする音聞いたことありますか?
普通にしているとき、息をする音はしますか?
あんまりしないですね。
でも息を吸っていますね!

息をしていると声が出せます。
息止めてると声が出せないね。
大きな声出すときは、いっぱい息を吸いますね。
歌の練習の時もいっぱい息を吸いますね。

亡くなった人は息を引き取られるから、息をしません。

亡くなった人のこと考えてみて…
目を閉じて休んでいるのでしょうか。
どうなるのでしょうか。

亡くなったひとたちは楽しく自由に語り合っているんじゃないかな?
私たちのためにお祈りしてくれているんじゃないかな?
と助祭は思います。

イエス様もなくなりましたね。
十字架の上で…。
そして息をしなくなって…お話ししなくなりました。
お墓に入れられて、そのあと復活しました。

亡くなって、喋れなくなったイエス様は、
復活した後は、息止めてたでしょうか??
喋らなかったでしょうか??
そのまま天国行ったのでしょうか?

いいえ!
マリア様や弟子たちのところにいって、喋りましたね。
「あなたがたに平和があるように」
みんなへの挨拶のことばでした。

今日松戸教会では、亡くなられた方のために祈ります。
亡くなった人たちも自由に語り合ってるんじゃないかな?イエス様のように。
亡くなった方々もイエスさまが弟子たちのために祈ったように、
私たちのために祈ってるんじゃないかな?

亡くなった人たちは耳聞こえるかな??
どうでしょうか?
聴こえなかったら、私たちのお祈り届かないかもしれませんね。
きっとちゃんと届いていますね。

私たちは声を出して祈るけど
一人で祈ると一人分の声です。
みんなで祈ると大きな声になりますね。

おとなもこどもも教会に集まって声を合わせて祈ります。
イエス様の助けによって、私たちは誰かのために祈ることができます。

弟子たちやマリア様、聖人をとおして
亡くなった人のために祈ることができます。

掃除機よりもいっぱい吸って掃除機よりもいっぱい吐いて祈りましょう。

亡くなった人たちのために、みんなで祈れたら、いい11月を過ごせると思います!

これで助祭のお話はおしまいです!
宮原助祭ありがとうございました!

今助祭がお話ししてくださった「息を吸う」ということを意識して、
歌の練習をしましょう!
先週に引き続き、「あめつちをつくり」と「イエス様がいちばん」を練習しました。

最後に…
今日のミサでは亡くなった方の名前がいっぱい読まれます。
長くなると思いますが、今日の助祭のお話を思い出しながら、
みんなも亡くなった方々のことを思ってお祈りしましょうね。

最後に「アヴェ・マリアの祈り」を唱えて終わりました。

来週も元気に集まってね!!