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主任司祭のデスクより

皆さん、新年おめでとうございます。私たちは再び「元日」と呼ばれるこの神秘的な瞬間に入っていきます。なぜ神秘的かというと、一年一年私たちは主のもとに集まり、私たちを待ち構えているのは何だろうか、また、この一年がどのように展開していくのだろうか『幸運か、それともまったく逆か?』とわくわくして考えるからです。中には自分の作ったリストー覧をもってきて、これから来る年に成し遂げたいことを主に告げたり、それを達成するのに神さまに力をくださいとお願いしたりする人もいるでしょう。残念にもうまくできなかった時は、多くの人がそうであるように、最初の一ヶ月もたたないうちに、せっかく心に決めた抱負をすべてあきらめている自分に知らないうちに気づくでしょう、新しい年に求めていたものにやっと追いついたのに。

今日、私は主にみことばを求めます。このとても大切な日、元日に、主の民に話しかけてくださるみことばを求めます。聖別されたみことばであり、主が民に伝えたいことだけを伝えるみことばです。古代の預言者に彼らが生きていた時代のしるしに従って、主はいつもみことばを伝えていました。神のみことばはいつも特定の状況場面に向けて話しかけています。では、2016年の人々には何を伝えたいのでしょうか?
私のビジョンには、何か偉大なものの可能性、成功の可能性、成就の可能性が見えます。
私たちが生きる世の中をしっかりつかみたいと神さまは強く願っておられるのがわかります。しかしまた、すべてが失われるようにも見えます。もしこの現在の瞬間を一人ひとりが、また全体の人がしっかりつかまなければ、主ご自身がそこにおられるのに、そのチャンスを失うてしまうでしょう。私のビジョンには、松戸教会と東京大司教区のあるべき姿を作っていく協力体制を主が熱心に探しておられるのが見えます。
私のビジョンには、教皇フランシスコが、使徒的勧告《Evangelii Gaudium》『福音の喜び』を通して教会全体に新しい福音化、神の国への熱意を呼びかけているのが聞こえます。私たちに違う種類の教会になって、神の民の飢えと渇きに気づくようにと拓いておられるのが私には聞こえます。神様はわたしたちみんなにいろいろ呼びかけています。

  1. 福音の喜びによって特色のある教会一一常に新しい喜び、誰かと共に分かち合うとき嬉しく心地よさを感じる喜び。
  2. 神さまは、みんなと分かち合う福音に導かれるよう宣言され呼びかけておられます。
  3. 福音の心からの使命をもって前進する教会となるように神様は呼びかけておられます。
  4. 開かれた心を持った母である教会、今の世界の挑戦に心して立ち向かえる教会になるよう神さまは呼びかけておられます。つまり…
    • 排斥的経済にはノーと言いましょう。
    • お金への盲信にはノーと言いましょう。
    • 仕えるよりもむしろ支配する財政の組織にはノーと言いましょう。
    • 暴力を引き起こす不平等にはノーと言いましょう。
  5. 自分たちが何をしようとも一つ確かなことは、全員を巻き込んでだれもが全世界の教会に呼びかけられている新しい福音化の一員だと言うことです。教会は心のタンクを満たすために来るガソリンスタンドではありません。それはむしろ生きる社会です。いろいろなタイプの人たちの社会です。人種、肌の色、信条、階級など、皆それぞれ違った問題をもっています。そして、個人としての役割と集団としての役割を実行して、天の国の永遠に向かって働くために共に生きています。
  6. 私のビジョンには、私たちが神さまの子どもであることを想い出させようとしている聖パウロの声が聞こえます。
  7. 私たちが子どもであることは神さまが息子である聖霊を私たちの心に送ってくださったことです。聖霊は「アッバ、父よ」と叫びます、こうして私たちは子どもになりました。
  8. もはや奴隷ではありません、もし神さまが私たちをお造りになったのなら、その時私たちを相続者になさったでしょう、 『あなたがたは永遠に受け継ぐ権利を持っていると言う意味である』
  9. 私のビジョンには、神の母、聖マリアが見えます。マリア様はご自分に起こったことに最も完璧に受け入れる気持ちを持っていたこと、すなわち、母となる召命を受け入れたのです。御摂理に導かれて羊飼いたちはマリア様の粗末な住まいにやってきたのです。
  10. 羊飼いたちはおさなごを見て、今まで語ってきたことを繰り返し話し羊飼いたちの話を聞いただれもが驚きました。マリア様はというと、大切に思い心の中にそっとしまっていたのでした。
  11. 愛する皆さん、私たちもまた、この新しい年に入るとき、険悪と思われる状況に合っても、聖母マリアのように心の中でじっくり考えて向かっていくようにと呼びかけられています。私たちがとらわれている世の中は性急すぎます。すぐに満足しないと気がすまないと思っています。他人にも自分にさえも忍耐して待つことが欠けています。
    偉大な神学者のカール・ラーナーは、幸いにも想い出しましたが、今日のキリスト者が世の中を生き抜くためには神秘主義者でなければならないとよく言っていました。神秘主義者とは人生で起こる様々なことをじっくりと思いめぐらす人、究極的に求めるのは、神さまの話すこと、なさることに計り知れない大きなものを感じて思いめぐらす人です。この気持ちをもって新しい年を踏み出しましょう。そうすれば、少なくとも私たちの時代に主が言われることをしっかり聴くことができるでしょう。この一年が「傾聴の年」でありますように、私たちの行動が、壊すのではなく、いつも創造することでありますように。私たち一人ひとりに、私たちの家族や共同体、教会に希望の火を燃え立たせてくださいますように。
  12. 今日のお祝いに選んだ最初の教えが「数の祝福」であるのには理由があります。神様の神聖なお導きのもとに2016年にビジョンをおくのにふさわしいからです。 そして愛する皆さん、私は祈ります。
    • 主があなたがたを祝福し、ささえてくださいますように!
    • 主があなたがたの上に御顔をかがやかせ、喜びほほえんでくださいますように!
    • 主があなたがたに御顔をあらわし、主の平和をもたらしてくださいますように!
      アーメン!

皆さん、新年おめでとうございます!
皆さんが実り多く、しあわせな新年2016年を過ごすことができますように!

 

 


 

 

My Vision of the Year 2016

From the desk of the Parish Priest:

 

Happy New Year to everyone. we come once again into this mysterious moment called New Year’s Day. l say mysterious because, year after year, we gather at the feet Of the Lord, wondering what is in store for us, wondering how the year will unfold:― with fortunes Or the contrary? Some of us come with our own lists, to tell the Lord what we would like to achieve in the coming year, and asking him to lend a hand in bringing them to fruition. The unfortunate truth is that, for many of us, even before the first month is over, we unwittingly find ourselves abandoning all the beautiful resolutions we have made, as we get caught up with the demands of the New Year.
Today, I ask the Lord for a word? a word which will speak to the hearts of his people, On this very important day, this New Year’s Day; an anointed word; a word which will say only what the Lord wants to say to his people. As with the prophets of old, the Lord always inspired a word in them, but in accordance with the signs of the times in which they lived. The word of God always speaks to a particular context. what, therefore, does the Lord want to say to his people in 2015?
In my vision Of the times, I see possibilities for things great, possibilities for success、 possibilities for accomplishments. I see the absolute desire of our God to take hold of the world in which we live.
But I also see that all can be lost; if there is no individual and collective embrace of the present moment; of the opportunities being presented us by the Lord himself. In my vision of the times, I hear the Lord earnestly seeking our cooperation in making MATSUDO Church and the Archdiocese of Tokyo what they ought to be.
In my vision of the times, I hear Pope Francis, through his recent Apostolic Exhortation: Evangё lii Gaudium, The Joy of the Gospel, beckoning the entire Church to a new evangelization, a new zeal for the Kingdom. I hear him beckoning us to be a different kind of Church; to posture ourselves to attend to the hungers and thirsts of God’s people. I hear him calling us all to be:

  1. A church that is characterised by the joy of the gospel ? a joy that is ever new and a joy that is delightful and comforting when it is shared;
  2. He call us to an evangelization which is addressed to all and shared by all;
  3. He calls us to be a church that goes forth with a mission that comes from the heart of the gospel;
  4. He calls us to be a Church which is a mother with an open heart; a church ready to face the challenges of today’ s world, saying:
    • No to an economy of exclusion;
    • No to the idolatry of money;
    • No to a financial s,Stem which rules rather than serves;
    • No to the inequality which spawns violence.
  5. One thing l am certain is that whatever we do, we include everyone. and to see everyone as part of the new evangelisation that is being called for by the Church universal. The Church is not a gas station where persons come to fill up their spiritual tanks. It is rather a living community; a community persons of all types: race, colour, creed and class; all with their varied concerns. And together we exist to carry Out our individual and collective roles, working towards our heavenly eternity.
  6. In my vision of the times, I hear St. Paul reminding us, that we are God’ s children.
  7. The proof that we are children is that God has sent the Spirit of his Son into our hearts: the Spirit that cries, `Abba, Father’ , and it is this that makes us children, we are not a slave anymore; and if God has made us, then he made us heir.’ It simply means you have a right to an eternal inheritance.
  8. Now let us work earnestly, not to allow ourselves to be enslaved in any form or fashion during this coming year, whether spiritually, socially, physically, politically or otherwise.
  9. In my vision of the times, I see our Lady, as Mother of God. adopting the most perfect disposition towards what had happened to her; that is. embracing her vocation of motherhood. The shepherds who were led by providence to her humble abode,
  10. When they saw the child they repeated what they had been told about him, and everyone who heard it was astonished at what the shepherds had to say. As for Mary, she treasured all these things and pondered them in her heart.
  11. We too, dear friends, as we enter this New Year, even in what can be regarded as a hostile climate, are being called to develop a pondering disposition, in the likeness of Our Lady. Ours is such a hasty world in which we all caught. We all want our needs to be satisfied instantly. We lack patience with others and even with ourselves. The great theologian, Karl Rahner, of happy memory, used to say that, in order for the Christian of today to survive this world he/she must be a mystic. A mystic is one who ponders on the things of life; one who seek ultimately to contemplate the immensity of God in all he Says and does. Let us enter this New Year seeking that disposition, so we can at least hear what the Lord is saying in our time.
    May this year be one of listening, so that our actions may always build and not destroy; that they may fan the flame of hope in each of us, individually, in our families, in our,community and in our church!
  12. It is not without reason that the first lesson chosen for today’s celebration is the Blessing of Numbers. lt is therefore fitting that l place the vision for 2015 under God’ s divine guidance.
    And so l pray, dear friends:

    • May the Lord bless you and keep you!
    • May the Lord let his face shine upon you and be gracious to you!
    • May the Lord uncover his face to you and bring you His peace!
      Amen!

 

Happy New Year to all!
May you all have a prosperous and a happy new Year 2016!

 

主任司祭 Parish Priest

フィリップ ボニファチオ神父
Fr. Philip llio Bonifacio, SSC




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今年の典礼暦が終わりを告げ、新しい典礼暦が始まります!
一歩一歩、人類はその運命に向かつて進んでいます。天の神様が神の愛をご自分でお示しになるために、2000年以上も前にカルワリオの十字架上で血を流して人類を罪から救うため地上に来られたのだと、キリスト者はあの聖霊降臨の日からずつと証言してきました。もう一度、声を高くして、キリストの教会は全世界の人々の耳に届くように叫びます、『主であるイエス・キリスト!』

主が来られました、そして主はもどられるでしょう。これが私たちの信仰です。
待降節はただ待つて準備をするときだけではなく、イエス様がやってきて、私たちの心の中に、魂の中に、私たちの体全体に入つてこられるのです。イエス様はどのようにして来られるのでしょうか。
イエス様は今までに来られたときと同じように来られ、同じようにしてもどつて行かれるのです。今、このとき、まさに私たちの中に入つてこられる瞬間である現在は過去と未来とで決められています。現在というのは何かつかむことのできないものです。連続して何かが起こるといつもやつてきます。これから来るはずの何かのために準備するとやってきます。

イエス様は謙遜の姿で来られ、イエス様は栄光に輝いてもどられます。イエス様は今、謙遜と栄光のうちに来られます。私たちがミサの中で会うイエス様はこのように謙遜と栄光をあわせもつたお姿ではないでしょうか。なぜなら、私たちが聖体拝領でいただくのは復活された栄光のイエス様だからですが、同時に、感謝の祭儀でのパンとぶどう酒の形のもとにおられるのは、隠れて見えない小さな謙遜なイエス様なのです。これが、今日、毎日曜日のミサに、また毎日のミサに、キリストが来られたということなのです。
この待降節が私たちにとつて感謝の待降節となりますように!

クリスマスの準備をするとき、神のことばを聞き、教えに従い、近隣の人々には喜びをもつて仕えることで、待降節の心を行動で表せるようにと、イエス様の母であるマリア様に導いてもらうようにいたしましよう。また特別に、神の母、マリア様の助けをいただいて、本当の意味のクリスマスを祝い、12月8日から来年11月20日までの間、フランシスコ教皇が宣言された「いつくしみの特別聖年」を、開かれた心で旅することができますようにと願います。皆さん、しっかり準備をいたしましょう!

 


 

 

Advent be our Eucharistic Advent

 

As one liturgical year comes to an end; a new liturgical year begins!
Step by step, humanity proceeds towards its destiny. Christians have always testified, ever since the day Of Pentecost, that the God of Heaven and earth, came to earth about two thousand years ago in order to reveal in person the Love of God, and to save humankind from sin by shedding his Blood on the Cross of Calvary. Once more, and ever louder, the Church of Christ shouts out to the ears Of the entire world: “Jesus is Lord!”

The Lord came, and the Lord will return: this is our faith. Advent is not only a time of waiting and preparation, but that Jesus comes now, into our hearts, our soul, our entire person. In what way does Jesus come now? Jesus comes into us now in the same way that he already came and in the same way that he will return. For, the present moment, this very instant when Jesus comes into us, is determined by a past and a future: the present moment is something we cannot take hold of, it always comes as the continuation of what has occurred, and as the preparation for what is to come…

Jesus came in humility; Jesus will return in glory. Jesus now comes in both humility and glory. Is it not this double aspect of humility and glory that we find in Jesus in the Eucharist? For it is the risen and glorious Jesus we receive in Holy Communion, but, at the same time, it is the hidden, invisible, small, and humble Jesus who is present under the appearance of the Eucharistic bread and wine. This is the coming of Christ today: in each Sunday’s Eucharist ― and even in each day’s Eucharist! May this Advent be for us a Eucharistic Advent!

As we prepare for Christmas, let us be guided by Mary, the mother of Jesus, to embody the spirit of Advent by listening to God and doing His Will; and serving our neighbor joyfully. And in a special way, may the Mother of God help us celebrate Christmas authentically, and help us journey with open heart during the Jubilee Year of Mercy, from December 8, 2015 to November 20, 2016, declared by Pope Francis. Have a good preparation!

 

主任司祭
PARISH PRIEST

フィリップ・ボニファチオ神父
Fr. Philip llio Bonifacio, SSC




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私たちは、今年、松戸教会の献堂65周年をお祝いします。
この機会に、まず最初に、献堂以来2015年の今日に至るまで、この教会をお守り下さっている神に感謝し、同時に、この教会を守るために働いてくださった多くの教会メンバーの方々に感謝したいと思います。そして、これから先もまた、同じようにお守りくださるようお祈りいたします。
今回、この教会の歴史の中での重要なイベントとして記念すべき65周年記念行事を、教皇庁大使閣下 ヨゼフ・チェノトゥ大司教様のご臨席を得て、ともにお祝いし記念ミサを共同司式する栄誉に浴し、この教会で働き司牧をするものとして限りない喜びを感じ、神に感謝いたします。
神の民として、この記念日を祝うためにここに集い、神が私たちのためにしてくださったことを思い起し、神に感謝し賛美いたします。私たちは、教会の過去を振り返り、教会が今ある姿にとどまれるよう働き、祈り、守ってくださった多くの先人たちの祈りと犠牲に感謝をいたしましょう。神の恩寵がなければ、また、今まで私たちのために働いて下さった人たちのご苦労がなければ、これほどまでに私たちは成長していないでしょう。それゆえに、先人をあがめ、神に感謝いたします。
私たちは、神の民として、過去を振り返るだけでなく、未来をも見据えなければなりません。そのために、今日ここで働き、参加し、母なる教会とともにいかにして前進していくべきか、次世代の人々が有意義な生活を享受し、ともに住むより良き世界を求め、そこに依存する教会を夢見て、前進しましょう。

私たちの後にくる10年のために、我らの母、乙女マリアの祝福を願いましょう。

カトリック松戸教会の献堂65周年、おめでとうございます!!!

 


 

Catholic Matsudo Church 65th Foundation Anniversary Message

As we celebrate the 65th Foundation Anniversary of our Church this year I would like to take this opportunity first of all, to thank God for protecting this Church and her members since the beginning of her foundation until now 2015, her 65th year and I hope this will continue for many more years to come.
I also thank God for giving me this opportunity to work and pastor this Church, and for giving us this wonderful opportunity to celebrate this 65th Anniversary together with the Papal Nuncio Archbishop Joseph Chennoth by officiating the Mass marking the important event in the history of this church.

As People of God, to come and celebrate this anniversary, is looking back, thanking and praising God for what He has done and achieved for us. We look back and thank also those people who have labored before us, so hard to sustain and keep this Church alive, for them too we give thanks. We look back and thank also each one of us here present who supported and sacrificed; who prayed and sustained the Church for what we have become now. We know, were it not for God’s grace, and for the people who labored before us, and for those who labor until now, we would not have grown and increased this far. For that we praise and thank God.

As People of God, we not only look back but we look forward also into the future, working for it in the here and now, participating, reflecting on how to move forward together with Mother Church so that the future generations may have a meaningful life and better world to live in and an inspiring Church to belong to.

Asking the Blessed Virgin Mary Our Mother to intercede and help us in our endeavors as we usher to the next decade.

Happy 65th Foundation Anniversary Catholic Matsudo Church!!!!

 

 

主任司祭 PARISH PRIEST

フィリップ・ボニファチオ神父

Fr.Philip Ilio Bonifacio,SSC




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復活のよろこびがあなたと共にありますように。復活祭おめでとう!

福音書には時折、一部の短い部分ですが、すべてを語っている話の部分が出てきます。
それは復活の主日の福音で読まれる、復活の核心ともいうべき話です。福音書には、女たちが墓に来てみると石が取りのけられていた、石が取りのけてあるのを見たとあります。 『イエス・キリストの復活』が意味するのは、人類と神とを分け離していた巨大な石、人間と神との間に壁のように立ちはだかっていた石が取り除かれて、今やイエス・キリスト、つまり、父への道が再び大きく開かれたことです。それはあたかも、闇に覆われていた部屋でイエス様が起きあがってカーテンを引くと、神様の光があふれるように部屋に流れ込んで来たかのように感じられます。

イースターは教会の信仰生活の中で復活されたキリストとの自分だけの個人的な関係を発見するときです。それは誰も私たちから奪い取ることのできない関係です。その関係は現在の自分より良いものに、よりすばらしいものにしてくれるでしょう、そしてそれは決して終わることがありません。私たちはイエス様が約束されたことすべてを、また、私たちのために話されたたとえ話のすべてがわかるようになるでしょう。新たな出発を経験し、聖霊によって力づけられて新しい生活を知るようになった最初の弟子たちに起こったことは、私たち一人ひとりにも起こり得ます。イエス様の復活があったからイースターは主日の日曜日であり、復活節という期間であり、私たちの生活の中の石が取り除かれるときなのです。イースターでのキリストの勝利により、私たちが自分で作ってきた罪の鎖を全部断ち切つてくれるのです。キリストの光が私たちの暗闇の世界に入ってきて、きつと来ると確信しているすばらしい未来への希望を与えてくれるのだから、皆でお祝いしましょうとイースターは呼びかけています。また、この世で期待する以上の生き方を共にしようと私たちに喚起しています。私たちを墓に閉じ込めたままにしているものを取り除き、復活する人にならなければ、これは不可能でしょう。

もしイエスが墓から出て空っぽにしなかったならば、イースターは、私たちにとっては何の意味もありません。私たちは怖々、外に出てきて光に当たることにより罪の暗闇を吹き飛ばそうとするでしょう。
私たちの希望と幸福のすべては、イエスの復活から来るのです。愛はこの世に存在し、誰かがするかも知れない悪よりも強いことをはっきりと言います。
良い知らせとは、人生の暗闇と失望にあるときでも、復活の可能性があるということです。負けて終わることもなく、希望なしと消されてしまう生命もありません。
私たちは自分の運命を建設する人か破壊する人かのどちらかです。それを選択するのは私たちです。

イースターの伝えるメッセージはこれです…
私たちは罪を犯しました。そして、これから先もなお続く罪の長いリストが私たちを待つています。でも、そうとわかっているのに、私たちは希望を持ちます。そして希望に満ちた人であり続けます。イエス様の復活があるからこそ、私たちはずっと復活を受け継ぐ者となるのです。

聖なるイースター、復活祭がみなさん一人ひとりにありますように。

 

 


 

 

May the joy of Easter be with you. Happy Easter!

 

Sometimes in the Gospels, there is a single detail that tells the whole story.

There is such a detail in Easter Sunday’s Gospel reading that goes to the heart of Easter. The Gospel says that the women came to the tomb and the stone was rolled away. The stone was rolled away. The Resurrection of Jesus means that the huge stone that separated the human race from God. the stone that stood like a wall between humanity and God was rolled away and now Jesus Christ, the way to the Father is once more wide open. It is as though a room was shrouded in darkness and Jesus rises to pull aside the curtain and flood the room with God’s light.

 

Easter is the time to discover a personal relationship with the risen Christ within the life of the Church. It is a relationship that no one can ever take a way from us.  It will make us better and greater than we are and will never end.

We will come to see that all the promises of Jesus and all the parables of Jesus are for us and about us. What happened to the First disciples who experienced a re-creation and came to know new life powered by the Holy Spirit, can happen to each one of us. Because of the Resurrection of Jesus, Easter is the Sunday, the season, when the stone in our life will roll away. Christ’s victory at Easter breaks all the chains of sin that we have ever made for ourselves. Easter calls us to celebrate the fact that light if Christ has come into the darkness of our world providing us with hope for a future greater than we dare believe. lt challenges us to share a kind of living that goes beyond the expectation of this earth. This is not possible unless we rise above the things that keep us entombed and imprisoned and become people of the resurrection.

 

Easter has no meaning for us if Jesus did not emptied his tomb and we are afraid to come forth and put the darkness of sin to flight by exposing ourselves to his light. All our hopes and happiness come from Jesus’ resurrection. It announces that love is present in our world and is more powerful that the evil any individual may carry out. The good news is that in all the dark and despairing moments of life, the possibility of resurrection exists because no defeat is final and no life is written off as hopeless. We are the builders or destroyers of our own destiny. The choice is ours. The message of Easter ls this: We have sinned and a long list of future sins still awaits us. But despite all this, we continue to hope, to remain a hope – filled people. And this because with Jesus’s Resurrection, we have become heirs of his resurrection.

 

A blessed Easter to one and all of you.

 

 

 

主任司祭 PARISH PRIEST

フィリップ・ボニファチオ神父

Fr.Philip Ilio Bonifacio,SSC




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新年おめでとうございます!
この1年が皆様にとって神様の祝福とお恵みの年になりますように!

新しい年が始まり、人々は新しい生活を始めたいと希望をもって将来に目を向けます。
世の中では、どうしても希望を持たなくてはいけないのかが明確であるとは限りません。たびたびいろいろなことが良くなるより悪くなるほうが多いようにみえるからでしょうか。教会で私たちはなぜよりよい未来に希望を持てるのか讃え祝います。何か新しいことを今日は始める必要はありません。なぜなら神様は私たちにすでに新しいスタートを作ってくださっているからです。神のひとり子がこの世に来られると『指定された時』であるクリスマスシーズン『降誕節』がまた私たちのなかに留まっています。私たちの生活の中にイエス様がおられることで、この世の終わりまで何が起ころうとも神様はいつもともにいてくださるという希望を持つことが出来るのです。

世の中の人々が新年の元日を祝うように、教会は心から厳かに「神の母 聖マリア」を祝います。
だから私たちは、神の母であり私たちの母でもあるマリア様とともに新しい年を始めるのです。マリア様がおられるから、神様が私たちに用意してくださるすべての年の間ずっと私たちを見て案内してくださるのです。今日、私たちは心を込めて神を仰ぎ、賛美と感謝を捧げます。新しい年が私たちの心に、皆の家に、そして、全世界に神様の祝福と恵みがある年となるように深く願います。
私たちの生きる世界がもっと良いところになってほしいならば、神様の赦しと愛が必要です。私たちは今、一人ひとりが、いろいろな国々が手を取り合ってともに働き、悪や飢餓、病気、テロ、人身売買などを撲滅しようと希望をもって生きています。しかしながら、私たちが本当に安心していられるのは神様から来るものです。神様を信頼して、この世に「神の国」が建設されるために働くのです。

マリア様を思い起こすことは、貧しく身分の低い人たち、病気や親のない子どもや口がきけない人たちになさった神様のやさしさを思い起こすことです。
今日、私たちは声高らかにマリア様を神の母と崇め讃えます。質素で信仰に満ちたマリア様の生涯を通して、私たち一人ひとりが神の栄光を希望してともに分かち合います。
聖書の福音書は告げています。

―マリアはこれらのものを宝物としてすべて自分の心の中におさめた

(ルカによる福音書 2章19節より)

その神秘をじっくり考えることがまさにマリア様の人生であり、内なる生命でした。4世紀の教会博士、聖アンブローズ(339-397)は彼の有名な言葉の中でマリア様を讃えています。

「マリア様の霊魂が私たち一人ひとりの中に主の力を強めてくださいますように。マリア様の精神が私たちに神様の喜びを感じさせてくださいますように」

この新しい年にマリア様を讃えて取り次ぎを願いましょう。
神の母であるマリア様に、どのようにイエス・キリスト様をお迎えすれば良いかを学びましょう。キリストの平和が私たちの心に生まれて、もう1年、世界を支配するように。
そして、私たちの思いを神様に向けましょう。
マリア様のためになさったことは何か…神の栄光を継ぐものとなるよう私たちになさったことは何か…
神様がしてくださったすべてのことが宝物となれば私たちはなんと幸せでしょう。
新しい年に神様の祝福とお恵みという宝物を、愛する人たちや近隣の人たちと分かち合えるならなんと幸せでしょう。

全ての方々にとって幸せな1年となりますように!!

 


 

 

Happy New Year to all!
May this year be a Year of blessing and grace to everyone!

The new year begins, people, looks toward the future with some hope of making a new beginning in life.  In the world it is not always clear why we should have hope ; often things look like they are getting worse rather than better. In the church, we celebrate the reason why we can hope for a better future. We do not have to start something new today, for God has already made a new beginning for us. Christmas season the “designated time” when the Son of a God came into the world still lingers in our midst. The presence of Jesus in Our lives gives us hope that God will always be with us whatever happens until the end of time.

As the world celebrates New Year’s Day, the Church, also celebrates the profound Solemnity of Mary, Mother Of God. So we begin our New Year with Mary, the Mother of God and Our Mother.  The presence of Mary will see and usher us throughout this year and all the years that God has in store for us.  Today Te lift up our minds and hearts to God in prayer for grace. We deeply desire that the coming year be one of God’s blessing and grace in our hearts, in our homes and in the world. We are in need of God’s forgiving and loving presence if we want our world to be a better place to live in.  We live in the hope that individuals and nations will come and work together to be more united in defeating evil,  hunger, sickness, terrorism, human trafficking and others in our world.  But our real security comes from God, trusting and working for His Kingdom to be present here in our world.

To remember Mary is to remember the God of grace who does things to the poor, humble, to the sick, orphans and to the voiceless in our society. Today we proclaim and honor Mary as the Mother of God.  Through the simple, faith一 filled life of Mary we have, each one of us, has hope and share in the glory of God.  The gospel tells us,  “Mary treasured all these things and reflected on them in her heart.”
The pondering of the mysteries, was her very life, her interior life.  St. Ambrose, the 4th Century Doctor of the Church, in his famous words to honor Mary:
“May the soul of Mary be in each one of us to magnify the  Lord. May the spirit of Mary be in each one of us to rejoice in God.”

In this New Year, let us honor and invoke Mary’s intercession. She who is the Mother of God, let us learn from her how to welcome Jesus Christ. So that the Peace of Christ can be born in our hearts, and reign in the world throughout another year. And let our thoughts turn to God and what he has done for Mary—-and what God has done for us in letting us become heirs to his glory.  Happy will we be if we treasure all things God has done for us.  Happy will we be if, in the coming new year, we share God’s treasure of blessing and grace with our loved ones and neighbors.

Happy New Year to All!

 

 

 

主任司祭 PARISH PRIEST

フィリップ・ボニファチオ神父

Fr.Philip Ilio Bonifacio,SSC