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『平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。』(マタイ5:9)

イエス・キリストに従う者として、私たちは『神の子』と呼ばれる恵みを切望します。
聖霊の助けによって、私たちは今の困難な世界に平和を実現しようと絶えず努力しています。
アシジの聖フランシスコの『平和の祈り』を思い出します。憎しみのあるところに愛を、争いのあるところにゆるしを、疑いのあるところに信仰を、絶望のあるところに希望を、闇には光を、悲しみのあるところには喜びをと切に望みます。

洗礼を受けた時、私たちの使命、召命の一つが、すすんで愛と平和と協力に向かうことでした。
最近の日本は、鉄砲水による大洪水や熱波による猛暑といった環境破壊の災害に襲われていますが、世界を見ても憎み合いや戦争、暴力が起こっています。通り魔的殺人まで日々起こる時代です。さらに、ソーシャルメディアの中では、侮辱したり傷つけたりすることばに慣れっこになってしまっています。そんなとき教会は、助けが必要な人を助けましょうと勧告し、平和と協力のために積極的に働く召命と使命を皆で共に持ち、揺るぎない確かな信念でいられるようにと強く勧めています。
イエス様が私たちにくださった平和は、悪への妥協や服従の平和ではありません。争いや混乱がないということでもありません。
しかし私たちは使徒たちと同じように、恐怖や混乱には簡単に負けてしまいがちです。聖ペトロと同じく、私たちは波の荒い海に既に大きな一歩を踏み入れているときでも、『信仰がうすい』ために沈みかけてしまいます。(マタイ14:31)
このような荒れ狂った時代に私たちを安心させることができるのは、変わらぬ存在と平和を私たちに確信させられる神様だけだと、冷静に認めるしかありません。
『恐れることはない、わたしだ!』(マタイ14:27)

2018年8月15日、「聖母の被昇天」の祭日に、共に祈りに参加し、断食して神様に憐れみを願い、自然災害から環境を守り、私たちの世界に平和の恵みを与えてくださいますようにと祈ります。また、日本やフィリピンのこと、そして全世界を、聖母マリアの『平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。』(マタイ5:9)イエス・キリストに従う者として、私たちは『神の子』と呼ばれる恵みを切望します。
聖霊の助けによって、私たちは今の困難な世界に平和を実現しようと絶えず努力しています。 アシジの聖フランシスコの『平和の祈り』を思い出します。憎しみのあるところに愛を、争いのあるところにゆるしを、疑いのあるところに信仰を、絶望のあるところに希望を、闇には光を、悲しみのあるところには喜びをと切に望みます。
洗礼を受けた時、私たちの使命、召命の一つが、すすんで愛と平和と協力に向かうことでした。最近の日本は、鉄砲水による大洪水や熱波による猛暑といった環境破壊の災害に襲われていますが、世界を見ても憎み合いや戦争、暴力が起こっています。通り魔的殺人まで日々起こる時代です。さらに、ソーシャルメディアの中では、侮辱したり傷つけたりすることばに慣れっこになってしまっています。そんなとき教会は、助けが必要な人を助けましょうと勧告し、平和と協力のために積極的に働く召命と使命を皆で共に持ち、揺るぎない確かな信念でいられるようにと強く勧めています。イエス様が私たちにくださった平和は、悪への妥協や服従の平和ではありません。争いや混乱がないということでもありません。しかし私たちは使徒たちと同じように、恐怖や混乱には簡単に負けてしまいがちです。聖ペトロと同じく、私たちは波の荒い海に既に大きな一歩を踏み入れているときでも、『信仰がうすい』ために沈みかけてしまいます。(マタイ14:
31) このような荒れ狂った時代に私たちを安心させることができるのは、変わらぬ存在と平和を私たちに確信させられる神様だけだと、冷静に認めるしかありません。
『恐れることはない、わたしだ!』(マタイ14:27)

2018年8月15日、「聖母の被昇天」の祭日に、共に祈りに参加し、断食して神様に憐れみを願い、自然災害から環境を守り、私たちの世界に平和の恵みを与えてくださいますようにと祈ります。また、日本やフィリピンのこと、そして全世界を、聖母マリアの母なる愛にゆだねましょう。イエスは母と『愛する弟子』を見て、母に、『婦人よ、ご覧なさい。あなたの子です!』と言われました。(ヨハネ19:26)
私たちは、本当に母であるマリアを、子としての愛をもって見つめます。
『教会の母であるマリアよ、私たちの近くにいてください。私たちが絶望したり、信仰、希望、愛のぶどう酒がなくなったりしたときには特にお願いします。(ヨハネ2:1-11)私たちにできることをお示しください。
そして、環境破壊と迫害に直面して心を失ったとき、あなたのそば近く、十字架のもとに立ち、あなたの愛する子、私たちの主、救い主イエス・キリストの脇腹から流れ出る水と血で強い心を取り戻すことができますように。

アーメン。

 

 


 

 

Our Resolve to be Peacemakers through Prayer and Fasting

 

“Blessed are the peacemakers, they shall be called sons and daughters of God.”(Mt 5:9)

As followers of Jesus Christ、 we aspire for the grace to be called
“sons and daughters of God. With the help of the Holy Spirit, we constantly strive to be peacemakers in these troubled times in our society and the world. We remember the Peace Prayer of St.Francis of Assisi, and with that we strive to bring love where there is hatred, pardon where there is injury, faith where there is doubt, hope where there’s despair, light where there is darkness, and joy where there ls sadness.

When we were baptized one of our mission and calling is to promote love, peace and cooperation. In these times of environmental disasters like flash flooding and heat-wave in Japan, when there is hatred, war and violence around the world,when there is murder in daily occurrence in our streets, when people have gotten so used to exchanging insults and hurting words in the social media, the Church admonishes us to help people in needヽand admonish us to remain steadfast in our common vocation and mission to actively work for peace and cooperation.
The peace that Jesus gives us is never the peace of compromise or capitulation to evil; it is also not about the absence of conflict and turmoil. But like the apostles, we are often so easily overcome by fear and panic. Even when we’re already making big steps on troubled waters like St. Peter, we find ourselves sinking because of our “little faith” (Mt14:31). There is nothing that can calm
us down in these turbulent times except the quiet recognition of him who
assured us of his abiding presence and his peace.
“Be not afraid; it is I !”(Mt 14:27)

On August 15, 2018 on the feast of the Assumption of Our Lady, let us join together in prayer and fasting to ask God in his mercy, to give us the grace of Peace in our World and environmental protection from natural calamities.
On this day also let us commend Japan, the Philippines, and the whole world to the maternal care of Mary, the woman to whom Jesus entrusted his “Beloved Disciple” and said, “Behold your son!” (John 19:26) We, for Our part, behold her – our mother in faith ― with filial love.
“Mary, mother of the Church, be near to us especially when we tend to despair and run out of the wine of faith, hope and charity.” (John 2:1-11)  Teach us to do only what your Son asks of use And when we lose heart in the face of environmental destruction and persecution, may we stand by you at the foot of the cross and regain our strength from the blood and water that flowed from the wounded side of your Beloved Son, our Lord and Savior, Jesus Christ.
AMEN.

 

 

主任司祭  PARISH PRIEST
フィリップ・ボニファチオ神父
Fr. Philip llio Bonifacio, SSC




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皆さん、ご復活おめでとう! 主はよみがえられた、アレルヤ!

イエス・キリストの復活はキリストを信じるものにとっていちばん大切な出来事です。
聖霊の力を与えられた弟子たちを通して、福音を声高らかに宣べ伝える使命を持つた教会の礎に大きな意味を持っています。福音書に書かれたこの事実がなければキリスト教信仰はなかったでしょう。
イエス様が苦しみを受けて死に、3日の後に復活すると福音書で言われています。
イエス様が命を捧げられたことを思うと、どうしても、イエス様が受けた耐えがたい苦しみに私たちは注目してしまいがちです。
福音書に書かれたイエス様は、死ぬほどに強くむち打たれ、頭に突き刺す茨の冠をかぶせられ、自分の十字架を担がされました。手と足に釘を貫かれ、イエスさまは十字架につけられ高くかかげられました。これまでに考えられた最も残酷で非人道的な重い刑罰の形でした。私たちのために耐え忍んだイエス様の苦痛を思わずにはいられません。

しかし、このご復活を考えるとき、もう一つの見方も考えられます。
イエス様が十字架につけられる前のある時点で苦しまれたのです。イエス様のいちばん近い友に背を向けられ、裏切られた時に感じた苦痛です。
ご自分の心血を注いだ12人の弟子を、イエス様は自分で選びました。これらの人たちはこの世の家族と同じでした。イエス様を囲んで、イエス様から教えを学び、イエス様に仕えて宣教しました。彼らはイエス様の『腹心』でした。イエス様は弟子たちを愛していましたが、それでも、ずっと前から弟子たちのなかに公然と裏切る者がいるだろうとわかっていました。ユダが銀貨30枚でイエスを売るでしょう。それからペトロがイエスを知らないと言うでしょう。マルコ福音書によれば、このことをイエスさまはゲッセマネに発つ前に予告していますが、イエスさまの心を深く突き刺したに違いありません。イエスさまがこぶしで殴られ、唾を吐きかけられているとき《マルコ14:65》、ペトロはキリストから離れることにやっきになっていました《マルコ14:66-72》。そこにいた人たちは3度ペトロに近づいてイエスの仲間ではないかとたずねました。そして3度ペトロは『あなたがたの言っているそんな人は知らない』と言って否定しました。《マルコ14:71、ESV》イエスさまが死刑の判決を受け、むち打たれたとき、近くにいた友たちはイエスさまに背を向けました。

イエス様はその時が来ることをわかって、そうなるべきことを理解していたとはいえ、なんと心が痛んだことでしょう!
おそらく私たちも同じようなことを感じたり、前に経験したと思つたりするかもしれません。ユダのような、自分に背を向ける友達や家族がいるかもしれません。今自分が耐えている苦しみの原因はそんな人たちかもしれません。わたしたちは苦痛と失望を通して闘っています。でも、頼れると思っていた人たちはどこかに行ってしまいました。教会の中でだれかに傷つけられたかもしません。肉体の痛みは身体が痛くなりますが、感情の痛みは霊魂をじかに切り裂きます。生きていく中で、誰かが自分を落ち込ませようとするでしょう。だれかが自分に背を向けて苦痛にさせるでしょう。
でも、ここに解決の鍵があります。イエスさまは見捨てられ、裏切られ、十字架につけられましたが、これらすべてに打ち勝ちました!
人間は不完全なものですが、キリストは復活してあなたがたを倒れさせはしないでしょう!

福音書は人間や王子たちに信仰を置かないようにと言っています。代わりに、このイースターでイエス・キリスト、復活された方、あざけり、苦痛、友の裏切りに耐えたかたに、自分たちの永遠を置きましょう。
この世の思わぬ危険や苦しみからは、ほど遠い希望を持つことができるように。
イエス・キリストは罪と死に打ち勝ったのです。このイースターで、父である神様が私たちを見捨てずに、私たちの心に、私たちの家庭に、復活されたイエス様を与えてくださったことを、皆で喜び祝いましょう。

もう一度、皆さん、ご復活おめでとう!!

 

 


 

 

Happy Easter

On The Third Day He Rose from the Dead

 

 

Happy Easter to all!

The Lord is Risen, Alleluia! The Resurrection of Jesus Christ is the most important truth in our Christian Proclamation. The effect of this is the foundation of the Church immediate Mission of Proclaiming the Gospel through the power of the Holy Spirit given to the Apostles. Without this Gospel Truth there would be no Christian Faith.

We are told in the gospel that Jesus predicted his predicament that he will suffer, die and after three days, he will come back to life. Often as we think about the sacrifice of Jesus, we tend to focus on the unbearable physical pain He endured. We have read in the gospel that He was flogged to death, and had a crown of thorns driven into His scalp. He was made to carry His own cross. Nails were punched through His hands and feet before He was hoisted into the air on the cross. The most inhumane and cruel forms of capital punishment ever devised. It’s hard not to focus on the pain He endured for us.

But, as we look at this Easter, let us consider another way of looking at it.
Jesus Was made to suffer in the moments before His crucifixion. Let us consider the emotional pain Jesus endured as his closest friends turned their backs and betrayed him. Jesus personally chose 12 disciples whom He poured himself into. These men were almost His earthly family, surrounding Him, learning from Him, and serving in His ministry. They were Jesus’ “inner circle.” Jesus loved them, and yet He knew ― long before that some of these men would publicly betray Him. Judas Would sold him for 30 pieces of silver. Then Peter would deny him ― which, according to Mark, Jesus foretold prior to leaving for Gethsemane ― must have stung deeply. As Jesus was being beaten and ridiculed (Mark 14:65), Peter was busy distancing himself from Christ (Mark 14:66-72). Three times people approached Peter to ask him if he was associated with Jesus, and three times Peter denied Him, ‘I do not know this man of whom you speak.’ ” (Mark 14:71, ESV). At a time when Jesus was being accused and beaten, His friends turned their backs on Him. What emotional pain this must have caused, even as Jesus knew it was coming and understood that it had to be!

Maybe we are feeling this, and it sounds familiar. Maybe we have friends or family members who have turned their backs on us, or perhaps ― like Judas ― they were instrumental in causing the suffering we are now enduring. Maybe we are struggling through pain and despair, and the people we thought we could depend on, have disappeared. Maybe we have been hurt by others in the church. Bodily pain hurts physically, but emotional pain slices directly to your soul.
In our lives sometimes, people will let us down. People will turn their backs on us and cause us pain. But here s the key ― Jesus was forsaken, betrayed and crucified, but He conquered all of that! People are imperfect, but Christ is risen and will not let you down!

The Gospel tells us not to put our faith into men or princes. Instead, in this Easter let us place our eternity in Jesus Christ, the Resurrected One, who endured scorn, pain, and betrayal by His friends, so that we may have a hope that extends far beyond the pitfalls and pains of this world. Jesus Christ has conquered sin and death. In this Easter, let us rejoice and be glad for God the Father, has not abandoned us but instead has given us this Jesus the resurrected One to be in our hearts and in our homes.

Again, Happy Easter to All!!!

 

 

主任司祭  PARISH PRIEST
フィリップ・ボニファチオ神父
Fr. Philip llio Bonifacio, SSC




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わたしたちは、額に灰をうけて四旬節をスタートしました。
四旬節の40日間、わたしたちは心の中で思い巡らし、助けを必要としている隣人たちのために実際にできることは何かと、自分の生活を思い返すように招かれています。

この四旬節は、またキリスト者としての生活を深めて、神との関係、隣人との関係を深くするのに良い機会をわたしたちに与えてくれます。
献金や祈り、断食を通して、環境を守り、希望をなくして社会からはずされている人たちと共に、深く関わっていく機会を与えてくれます。彼らに希望と愛をもたらす仲介者となりましょう。

7年前に起こった大震災に今もなお影響を受けている東日本の兄弟姉妹たちは、自分の家に帰りたいと強くねがい、わたしたちの助けを必要としています。

タルチシオ菊池功大司教は、下記に示す書簡のとおり、これらの人々のために、続けて支援し、祈り、断食するようにと勧めています。
でも、いちばんは、犠牲になった方々のために祈り続けることです。
1人だけで祈り続けているのではないという事を忘れないようにしましょう。

イエス様は、私たちとともにおられ、日々責任を果たせるよう助けてくださいます。

 

 

 

主任司祭  PARISH PRIEST
フィリップ・ボニファチオ神父
Fr. Philip llio Bonifacio, SSC

 

 

 


 

 

<タルチシオ 菊池 功 大司教 書簡>

東日本大震災の発生から

7年を迎えるにあたって

 

東京教区の皆さま

 

ある人にとってはあっという間に過ぎ去った時間であつても、同じ時間を耐えがたいほどに長い時間と感じられる方もおられる。そういう7年間であったと思います。
巨大な地震と津波が、主に東北の地を襲った2017年3月11日から、まもなく7年です。

あの日から復興の道を歩んで来られた多くの方々にとって、7年という時間は非常に長い時間であったと思います。あらためてこの大災害で生命を落とされた方々と、その後の復興の過程で亡くなられた方々の永遠の安息をお祈り申し上げます。

破災地における復興の歩みは、7年を経過しても完了はしていません。とりわけ原子方発電所の事故の影響が残る福島県内では、将来を見通すことが難しい状況が今でも続しヽています。帰還が可能だという地域でも、結局は地域共同体をどのように再興させるのかが、長期的課題として重くのしかかります。復興庁の統計によれば、昨年12月の段階で、8万人近い方々が避難生活を送られているといいます。これほど多くの方が、普通の生活を取り戻すことができない状態が続いていることを、私たちは心にとめなくてはなりません。

日本のカトリック教会は、2021年3月末までの全国的な復興支援活動の継続を決めています。東京教区にあっても、主にCTVCの活動やそのほか多くの信徒の方々の取り組みが、被災地の教会のつながりと地元の方々との『絆』を生み出してきました。これからも仙台教区との協力のうちに、このつながりを豊かに、そして大切に育ててまいりましょう。

さて、7年目に当たる3月11日は主日です。それぞれの小教区の主日ミサにおいて、東日本大震災で亡くなられた方々の永遠の安息のために、また被災地の復興のためにお祈りくださるようにお願い申し上げます。
なお、同日午後1時半からは、CTVC主催で「思いつづける 3.11」と題した祈りの集いが、上智大学ソフィアタワー101教室で開催される予定です。こちらにも是非ご参加ください。

 

 

2018年2月18日 四旬節第一主日
カトリック東京教区 大司教 菊地 功




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おめでとう、新しい年2018年!

そしてことばは肉となって、わたしたちの間に宿られた』(ヨハネ1:14)

 

新年の贈り物を祝うわたしたち一人ひとりに、おめでとうございます!クリスマスの日には、わたしたちの主、御子イエス・キリストを与えてくださったあと、神さまは新年というもう一つの
贈り物をくださいました。皆さんの中には、終わろうとしているこの年がとても苦しくつらい1年であった人もいるでしょう。悲しみや不幸、喪失の一年だつたことでしょう。愛する人たちを
亡くしたすべての人に心からお悔やみを申し上げます。やさしい主があなたがたを慰めてくださいますように。

また何人かの人にとっては、終わりつつあるこの年が勝利と成功と、生きる上で成長の一年だったことでしょう。そして共に喜び神に感謝します。でも、多くのわたしたちにとっては、喜びと
悲しみ、良かったときもあれば悪かったときもあり、成功と失敗が合わさったものだったかもしれません。そして、嬉しかったことと苦しかったことを思い起こしてみる時、わたしたちは神さ
まに向かって、安心と慰め、力、感謝の気持ちと道案内を求めます。わたしたちは、神さまがわたしたちの人生に決定的に入って来られるクリスマスを祝い続けます。

預言者イザヤのことば(9:1〉が新しい一年間ずっとわたしたちに寄り添ってくれるでしょう。
『闇の中を歩む民は、大いなる光を見た。』
さあ、わたしたちが生きるこの世の光、キリストを迎えるために懸命に努力しましょう。神に感謝、イエス・キリストと聖霊がたくさんのいのちにふれて、わたしたちの教会は活躍し続けてきました。一人ひとりが参加して力を出し合い、松戸教会をだれでも温かく迎えられる素晴らしい教会にしてくださることに感謝したいと思います。
教会にささげる皆さんの金銭的な支えや、霊的、精神的に支えてくださることに感謝します。やさしい神さまがあなたがたに続けて報いてくださいますように。グループでの勉強会、洗礼、初聖体、堅信、聖なる婚姻など、この1年のあいだ、松戸教会で祝福してくれたことを神さまに感謝します。イエスさまが復活され、ここ千葉県のカトリック松戸教会にお住みになる場所を見つ
けられたことが確かなしるしです。

ローマ教皇フランシスコは日本のために素晴らしい贈り物をくださいました。二人の司教様の任命です。ひとりは東京大司教区に、もう1人は沖縄の那覇司教区に、2017年の終わりに贈ってく
ださいました。日本の教会を新たにし、強めてくださるためになさったことすべて神に感謝します。これからやってくる一年間、聖霊に元気づけられたわたしたちの良い行いのために天の父が
賛美されますようにと、わたしたちは信仰を強め続けるでしょう。きっと神さまは、わたしたち皆にとって2018年を良い年にするのに必要な助けをすべて用意してくださっているはずです。毎
日、一所懸命に正しいことを頑張っていたしましょう。そして、教会の新しい福音化の一助となるために、一日さえも無駄にしないようにいたしましょう。一年の終わりには手にいっぱい持っ
て神さまに会いに行かれるように、皆さんが良い年を過ごせますように。主があなたがたを祝福し、守ってくださいますように。主があなたがたに微笑みかけ、慈しんでくださいますように。
主があなたがたに優しさを示し、平和を与えてくださいますように。アーメン。

新年おめでとうございます。

 

 

 


 

 

HAPPY NEW YEAR 2018

 

 
“And the world became flesh and made his dwelling among us.” (John 1:14)

 

Congratulations to each one of us as we celebrate the gift of the New Year. After giving us his Son our Lord Jesus Christ,on Christmas day, God has given us another gift of the New Year.
For some of you,the year that ends has been very difficult. It has been a year of grief sadness,and loss. We express our deepest sympathies to all who have lost their dear ones.May the
good Lord console you.

For some of you the year that ends has been a year of triumph,success,progress in life and we rejoice with you and we thank God.However for most of us,it has been a combination of joy and sadness,ups and downs,triumph,and failure and as we reflect on the joys and pains,we turn to God for comfort,consolation,strength,thanksgiving and guidance. We continue to celebrate Christmas as,God’s decisive intervention in our life.

The words of prophet lsaiah 9:2 should accompany us during the New Year.
The people who walk in darkness have seen a great light.”

Let us strive to welcome Christ,the light of the world in our lives.Thanks be to God,our parish has continued to flourish with Jesus Christ and the Holy Spirit touching many lives. We would like to thank everyone for participation and contribution in making Matsudo Catholic church a welcoming and beautiful parish. We thank you for the financial,spiritual,and moral support that you have given to the parish.
May the good Lord continue to reward you.We thank God for the Group Study (Benkyou-Kai), baptisms,First Holy Communions, Confirmations, Holy Matrimonies celebrated in our parish during the year that ends. This is a sure sign that Jesus is risen and has found a home at Matsudo Catholic Church here in Chiba Ken.

The Holy Father,Pope Francis has a beautiful gift for Japan,commissioning two bishops,one for the Archdiocese of Tokyo and another one for the Diocese of Naha of Okinawa before the year ends of 2017.We thank God for all that has been done to renew and strengthen the Church of Japan. During the coming year, we shall continue to strengthen our faith so that the heavenly Father may be praised because of our good deeds inspired by the Holy Spirit.

am sure that Clod has prepared all the help we need to make 2018 a good year for all of us. Let us work hard doing the right things everyday and let us not waste even a single day in helping in the New Evangelization of the Church. May we all have a good year so that at the end we can come to God with hands full. May the Lord bless you and protect you. May the Lord smile on you and be gracious to you. May the Lord show you his favor and give you his peace.Amen.

HAPPY NEW YEAR 2018

 

主任司祭  PARISH PRIEST
フィリップ・ボニファチオ神父
Fr. Philip llio Bonifacio, SSC

 




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クリスマスは喜び祝うときであり、これまでにない新たな見方で世界を見つめるときです。
わたしたちの周りには、イエス様がどのようにベツレヘムでお生まれになったかを思わせる見える「しるし」がいくつもあります。
キリスト降誕の情景は、わたしたちの教会の中でも見られますが、(聖ミカエル)幼稚園教会学校で行われるクリスマス聖劇でも、また、町でクリスマスキャロルを歌って礼拝するように、よく見られる光景です。このような目に見える「しるし」が、神さまがわたしたちとともにいて、わたしたちの光となってくださることを、改めて見いだすのに役立っているのです。

イエス・キリストは、降誕の光でわたしたちを照らし、告げます。『わたしだ。恐れることはない。』(ヨハネ6:20) 『見よ、わたしはいつもあなたがたと共にいる、世の終わりまで。』(マタイ28:20)どんなに深い暗闇がわたしたちをおおうとも、わたしたちは恐れない、預言者イザヤを通して言われていますから。『暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。』(マタイ4:16) 『わたしを信じる者が、だれも暗闇の中にとどまることのないように、わたしは光として世に来た。』(ヨハネ12:46) こう言ったのは、わたしたちの主イエス・キリストの光です。
聖マタイの福音書はまた、預言者イザヤのことばも思い出させます。『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。この名は、「神は我々とともにおられる」という意味である。』(マタイ1:23)
アレクサンドリアの聖キュリロスが言ったとする預言があります。
『神はまことにわたしたちと同じ姿で現れ、わたしたち人間を聖なるものとした。』
神はわたしたちとともにいるが、わたしたちは神とともにいるか?神はわたしたちに似たものとなられたが、わたしたちは神に似たものとなったか? 神はわたしたちのところに来たが、わたしたちは神のもとに帰って行ったか?
神学者聖グレゴリオはわたしたちに賞賛を喚起しています。『キリストがお生まれになった、さあ神の栄光をたたえよう。キリストが天からくだった、さあ会いに出かけよう。キリストが地上に来られた、さあ高く上げよう。』
わたしたちとともにおられる神、平和を与えてくださる神、それはわたしたちの理解を超えていますが、『わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。』(ヨハネ14:27)と話されるかたこそ、神なのです。

クリスマスは新しい想いを巡らすためのときです。神様の未来が聖霊の力によってこの世に生まれて来て、わたしたちに平和をもたらしてくれるのだと想像できますか?
わたしたちの社会も自分たちのいのちも新しくなるときが、思ったより早く来るかもしれません。イエスさまが来られるのを大きな喜びと晴れやかな気持ちで歓迎しましょう。

皆さん、クリスマスおめでとう、そして実り多い新年でありますように!

 

 


 

 

Christmas

A Time to Rejoice and for a New Imagination

 

 

Christmas is a time to rejoice and look at the world with fresh eyes. We see signs all around that remind us how Jesus was born in Bethlehem.
Nativity scenes are seen inside our church, in our Kindergarten Christmas drama, Church Sunday School Christmas drama and at community carol services. These are signs that help us discover God with us and God as our light.

Jesus Christ shines upon us with the light Of His birth and tells us, It is I; do not be afraid.” (John 6:20);  “Lo, I am with you always, even to the end of the age.” (Matthew 28:20)。
No matter how profound the darkness surrounding us is, we don’t fear, for the Prophet Isaiah has prophecied,  “The people who sat in darkness have seen a great light, and those who sat in the region and shadow of death, light has dawned.” (Matthew 4:16).  It is the light of Our Lord Jesus Christ, who said, ”
I have come as a light into the world, that whoever believes in Me should not abide in darkness.”(John 12:46).

The Gospel of St.Matthew reminds us also of the prophecy of Prophet Isaiah that says, “Behold, the virgin shall be with child, and bear a Son, and they shall call His name lmmanuel, which is translated, ‘God with us’.” (Matthew 1:23). This prophecy as St.Cyril of Alexandria puts it,” is that truly He is like us and that He sanctified our human nature.” God with us, but are we with
Him? God became like us, but have we become like Him? He has come to us, but have we returned to Him? Ste Gregory the Theologian challenges us, “
Christ is born, let us glorify Him. Christ from heaven, let us go out to meet Him.Christ from earth, lot us exalt Him.”

God with us, for He grants us His peace, which surpasses all understanding and He is the One saying, “Peace I leave with you, My peace l give to you; not as the world gives do l give to you. Let not your heart be troubled, neither let it be afraid.”(John 14:27)”.

Christmas is the time for a new imagination.
Can we imagine that God’s future is coming to birth by the power of the Holy Spirit and granting us peace? The renewal of our society and our own lives may be nearer than we thought. Let us
welcome Jesus’ coming and greet it with great joy and gladness.

 

MERRY CHRISTMAS and A PROSPEROUS NEW YEAR TO ALL

 

 

主任司祭  PARISH PRIEST
フィリップ・ボニファチオ神父
Fr. Philip llio Bonifacio, SSC