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毎月、第1週、小集会室で中高生の勉強会が行われています。
今月は、参加したのは4人。(写真を撮った時には遅刻していていませんでした…)

今月も、「洗礼」を意識した内容を行います。
堅信を受けたメンバーも、もう1度「キリスト者になる」ということはどういうことか思い起こしてみましょう。

 

 


 

今月のテーマ

● キリスト者の掟 ●

 

今月も、求道者の高校生が参加するということで、これから洗礼を意識したものにしたいと思います。
ところが、主の公現のミサの準備があっていつもよりも時間がありません。30分くらいで終わる感じにしたいと思います。

 

さて、今日から教会学校は、3学期が始まります。
教会学校では、「教会学校の掟」というものをリーダー達で作りました。「教会学校のメンバーとして、そして、キリスト者としてこうしてもらいたい」というリーダーの思いを、12のルールに込めました。(すごく当たり前のこと過ぎて、みんなが聞いたら笑っちゃうようなことです)今、リーダーが始業式のなかで、1つ1つ説明してくれています

さて、イエス様の時代にも、同じようにルールがありました。
サドカイ派やファリサイ派らの律法学者が聖書の「トーラ(モーセ五書)」を研究し、作った613もの「律法」という厳しいルールです。
ルールのそもそもの目的は、なんでしたでしょうか?

神様が、アブラハムと契約を結んだ時、神様はまず「私たちを幸せにする」と宣言し、その後に「神様を信じること」と言います。決して、「信じる代わりに幸せにする」と言ったわけではありません。(アブラハムの話はいつかしっかり勉強したいですね)神様は、何か条件があって、その代償に「幸せにしてくれる」わけではないのです。神様は、無条件に「私たちを幸せにする」方です。

 

プリントの1番上に書いてある言葉は、イエス様が私たちに残したたった2つの掟です。
律法学者との論争のなかでも、イエス様は、この2つを最も重要な掟として仰っていますね。

  • 心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい
  • 隣人を自分のように愛しなさい

 

最初の「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」は、申命記6章 4-5節に書かれています。そして、「隣人を自分のように愛しなさい」は、レビ記18節に書かれています。どちらも律法のもとになっている「トーラ(モーセ五書)」に書かれている言葉です。
イエス様の時代、イエス様も律法学者も同じ所を読み、同じ箇所を大事としているにもかかわらず、いつのまにかそもそもの目的を忘れてしまい、「律法を守ることが善い事」としまいました。「律法を守るから、神様が私たちを救ってくれる」と考える律法学者と、無条件に私たちを幸せにしてくれる神様(イエス様)、そこに大きな違いがありますね。

大事な事は、私たちが神様を愛したから、私たちが善い行いをするから、神様が愛してくれるのではなく、神様がまず私たちを愛して下さったということです。
イエス様も「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない (マルコによる福音書2章27節)」と、言っていますよね。
神様が下さった掟は、私たちを縛るためのものではなく、私たちをより自由にするため、そして、幸せにするためにあるのです。

 

では、この2つを大きな1番の掟として、モーセを通して、神様が下さった「十戒」を見てましょう。
十戒に関しては、前にやったことがあります。おぼえていますか?

プリントには、十戒が書いてあります。が、3と4の間に線を引いてください。
1から3が、「あなたの神である主を愛しなさい」について、4-10が「隣人を自分のように愛しなさい」についての決まりです。
十戒は、神様が、どうしても神様から離れてしまう私たち人間のために、具体的にどのようにすれば神様から離れずにすむかを、教えてくださったものです。

これも、「十戒」を守る人間を愛すると言っているのではありません。
まず、神様が私たちを愛しているがゆえに、教えてくださったのです。

それでは、1つ1つ簡単に解説していきましょう。

 

あなたの神である主を愛しなさい

  1. わたしはあなたの主なる神。
    わたしのほかに神があってはならない。

    私たちは、あらゆるすべての事よりも「神様を第1」と、しなければなりません。それは、「自分を含めて」です。自分の主観、欲望、自分自身の(神様から見ればはるかに)浅はかな知恵に頼らず、自分の中の正義ではなく、まず、神様に主を置き、物事を進めなければなりません。聖パウロも、「肉(自分)に従うのではなく、(聖)霊に従いなさい」と言っていますね。私たちは、神様と繋がる事で初めて生きられる小さな存在です。自分自身のプライド、知識、常識、正義にこだわり、神様のみ旨から離れてしまうならばそれを捨てるべきです。(マタイ18章6-10節)また、お金や物、権威に支配されてしまわないようにしなければなりません。「~~がなければ生きていけない」というものは、神様以外には存在しません。

  2. あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。

    神様は、私たちにモーセを通して、「わたしはある」という名前を教えてくださいました。(出エジプト記3章14節)
    私たちに名前を教えてくださったのは、私たちへの信頼があるからです。だから、「神様」の名のもとに、自分の正義を押し通そうとしてはいけません。「神様」の名のもとに、相手を非難してはいけません。それは、神様の信頼を裏切るものです。神様の慈しみや知恵が私たち人間には及びもつかないものにもかかわらず、私たちはその名を使い、人を裁いてはいけません。また、何より神様の存在を忘れかけた私たちに名前を教えてくださる事で、その存在を教えてくださいました。ユダヤ人社会では、名前はアイディンティティを示すものでしたよね。「出来ない事は何一つない」「慈しみ深い」「存在する」という意味の名をもつ神様がいるという事の喜びを味わいましょう。そして、賛美し、感謝しましょう。

  3. 主の日を心にとどめ、これを聖とせよ。

    イエス様の時代、主の日とは安息日と言われていました。安息日は、創造の時に「7日目に休まれた」ことを記念します。イエス様が「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない(マルコによる福音書2章27節)」言っているとおり、安息日は、神様が私たちのために用意したものです。私たちは、普段の生活の中で一生懸命働いたり、勉強したりして、生きています。時には、休息も必要です。私たちが、心も体も健康な状態だからこそ、働けることをご存知だからです。イエス様がご復活された後、安息日は「主の日(主日・日曜日)」となりました。日曜日は、ミサに与りますね。1週間生活してきた全てを捧げて、また、神様のみ旨のもとに生きるようになるためです。だから、例えば、体調が悪いのにミサに与るのは違いますよね。ミサに与ったことで、死んでしまった。それでは、本末転倒です。この日は、神様に感謝し神様を賛美する日です。

 

隣人を自分のように愛しなさい

  1. あなたの父母を敬え

    お父さんやお母さん、お祖父さんやお祖母さんを敬いなさい。そして、親は子どもの人権をしっかり守りなさい。つまり、家族を大事にしなさい。という意味そのままですね。
    「家族は、最も小さな共同体」です。家族の中で「隣人を愛する」ことが出来なければ、家族以外の人たちを愛する事が出来るでしょうか。家族の中で、学べるものは多いです。年長者への尊敬、年少者へのいたわり、愛情、尊敬、感謝、様々な事が学べるはずです。そして、私たちが成長する、そして、存在するには、他者の存在が不可欠です。食事を作ってくれたお母さん、その食事の材料をスーパーマーケットまで運んだ人、材料を作ってくれた人…そう考えていくとすべての人と私たちが繋がっていることに気付きます。そういう人たち、すべてのおかげで私たちは生きているのですから、他者に感謝の気持ちを持たなければなりません。

  2. 殺してはならない。

    これも「殺してはならない」という意味そのままです。
    私たちは、神様によって造られました。そして、私たちだけではなく、この世のすべては、神様によって、造られました。それらを「殺す」ことは、神様を冒涜する事です。それらは、自然を壊す事、地球の環境を破壊する事も一緒ですよね。神様が造ってくださったものを大事にし、神様への感謝を忘れることがあってはいけません。そして、直接的に殺すという意味だけではなく、「わたしは在る」という名の神を信じる私たちは、聖ペトロがイエス様を「知らない」と言って、「関わり合いをなかったこと」をしてしまった事が罪である事も知っています。私たちは「関わり合い」のなかで生きています。その人を知らない、なかったことにする、無視する、これらの行為も「殺す」事と一緒です。

  3. 姦淫してはならない。

    この世の中には、男と女がいます。どちらが上とか下とかいうことはありません。神様がアダムにエヴァを与えたように、お互いがお互いのために存在しているのです。出会いがあり、お互いへの愛が生まれ、私たちは、恋愛をしたり、結婚したりします。やがて、子どもが出来ることもあるでしょう。そういうプロセスのなかで、男にないものを女が与え、女にないものを男が与え、私たちを成長させます。だから、誠意をもって、しっかりとした恋愛をしてください。お父さんやお母さん、周りの人が、悲しむようなことはしないでください。

  4. 盗んではならない。

    人の努力してえたものや大事にしているものを、盗むことはいけません。これは、例えば、アイディアなんかも含みます。もしみんなが社長になって、その人の働きに相応しい対価を与えないならば、それも「盗み」です。他にも神様が造った自然を壊す行為も「盗み」ですね。自然環境を壊すことは、他の動物たちが生きていけないようにすること、そして、未来の人たちから、美しい自然や豊かな環境、自然の恵みを奪うことに他なりません。創造の時、神様は私たち人間に「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。(創世記1章28節)」と仰いました。 この「支配」という言葉、英語では「govern」という言葉が使われています。日本語訳では「支配」ですが、governには「管理する」という意味もあります。私たちは、自然を思うがままにしてよいのではありません。あくまでお預かりしたものですから、恵みを頂きながら、次の世代に受け渡すことが大事です。また、私たち日本人は、世界でGDP(国民総生産)が3番目の、非常に豊かな先進国の国民です。私たち先進国の人間がどれ程恵まれているか…私たちは覚えていないといけません。みんなの年くらいまで生きれることや、みんなみたいに電気や水道やインターネットががスイッチ一つで手に入る国は世界にはそれほどありません。前に1%(豊かな人々)と99%(搾取される人々)という話が話題になっていましたが、私たちは「1%」の人間だという事を認識しておくべきです。だからこそ、私たちは今「苦しんでいる人々がいる」という想像を途切れさせてはいけません。その事を忘れてしまったら、それは「盗んでいる」事と一緒だと思ってください。

  5. 隣人に関して偽証してはならない。

    ウソにもよいウソがありますよね。たとえば、本当のことを言ったら、悲しむ人がいる場合、自分の胸に納めておいて、ウソをつくことは、悪い事ではないと思います。ただ、人を傷つけたり、自分がした悪い行為を隠すためのウソはダメですよね。みんなそれは分かっていると思います。他にも、故意に間違った情報を流したりしまう事は、どうでしょうか?自らが発信者になれる時代だからこそ、私たちはこの事について、しっかり考えなければなりません。また、「物事の本質から目をそらしてしまうこと」はどうでしょうか?神様と真に向き合う事が出来ないようなことはしてはいけません。ましてや、自分を守るためにするなら、余計に悪いです。自分自身に対するウソも一緒です。たとえば、「いじめられている子がいる。でも、見なかった事にしよう」「ゴミが落ちている。でも、みなかったことにしよう」自分自身に嘘をついたことは、他の人は分からなくても自分は分かると思います。「怠り」も罪です。

  6. 隣人の妻を欲してはならない。

    もし、Aちゃんの彼氏をBちゃんが奪ったら、2人の関係はもうメチャクチャですよね。2人だけではなく、周りの人間も巻き込んで、全てが壊れていってしまいます。私たちは関りの中で生きています。そういうものを破壊することがあってはいけません。私たちは、時に欲望が暴走してしまうことがあります。欲望が暴走している時、私たちは本当の自分から離れ、別の生き物になってしまったかのようになってしまいます。神様が与えてくださった自分自身を信じてください。自分のポケットのなかに、必ず本当に自分に必要なものが入っています。自らの分を知り、恥を知れば、自ずとそれがわかるはずです。(恥ずかしいからいろんなことをしないという意味ではないですよ…中高生の出し物、期待しています…)

  7. 隣人の財産を欲してはならない。

    私たちが求めるべきなのは、神様の愛であって、それ以外はありません。相手の持っている物は相手が持っているから素晴らしいのであって、自分が持っていたら、そんなに大したものではないのです。神様は本当に必要なものは与えてくださいます。だから、お祈りして下さい。神様の愛を求めてください。物やお金だけじゃないですよ。
    Aちゃんは目が大きくて可愛い…Bちゃんはなんであんなに頭がいいんだろう?…なんで、神様は私にC君みたいにピアノを上手に弾く力を与えてくれなかったのだろう…?そういったものもいけません。神様は、もう充分にみんなに与えています。イエス様は「貧しい者は幸いである」とおっしゃいました。力がないと自分で気づくことで、もっていないものほど、神様は愛してくださいます。むしろ、持たない自分を誇ってください。

 

 

どうですか?
実はそんなに厳しい掟じゃないですよね。でも、簡単ではありませんよね。でも、逆にこの十戒を破っていたら、神様から離れているのだなって感じれることが出来ると思います。その場合は、ゆるしの秘跡を受けましょう。「神様を信頼して、お祈りして、神様のみ旨を尊び、感謝の気持ちをもつ」ことが出来れば、破らないでいいのかなっておもいます。

 

さて、この十戒を踏まえたうえで、教会には5つの守るべき掟があります。十戒が理解出来れば、この掟も「当たり前」じゃないと思うと思います。
十戒が理解できたみんなには分かるはずです。
この5つの掟も『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』そして、『隣人を自分のように愛しなさい。』という掟、十戒にそったものです。信者としてこの5つの掟はまもりましょう。

 

  1. 主日と守るべき祭日(主の降誕神の母聖マリア復活の主日)にミサに参加し、その日の特徴を傷つけるような仕事や活動を休む事

    十戒の1~3が理解出来れば、この理由は、簡単ですよね。
    日曜日は、神様に感謝をささげる日ですから、神様に全てを捧げる日です。ミサに与り、み言葉を味わい、ご聖体を頂くことによって、共同体との関りをより強いものとしていきます。ミサに参加出来なくても、「神様を第1にする日」にすればよいです。逆に言えば、神様を第1にすれば、自ずとミサへ参加する事になると思います。

  2. 少なくても、1年に1度ゆるしの秘跡を受ける事

    どうしても神様から離れてしまう私たちは、1年に1度はゆるしの秘跡に与らなければなりません。1年に1度も罪をおっていない人間はいないと思います。イエス様が教えてくださった2つの掟を守るために、神様や隣人との関係のなかに戻っていくことはとても大事なことです。放蕩息子(ルカによる福音書15章11-32節)のように、恐れることなく、心待ちして、大喜びで出迎えてくださる神様の所に戻りましょう。

  3. 少なくても復活節の間に、ご聖体を受ける事

    ご聖体を頂くことは、神様を感じることのできる大きな「しるし」を体験する事です。
    復活節は「イエス様のご復活」を記念する期間に、その「しるし」を体験する事は、私たちがイエス様のご復活、そして、私達自身が永遠の命をえるという大きな希望を信じるうえでの大きな助けになるはずです。
    もし、久しぶりにミサに参加してご聖体を頂く時は、ゆるしの秘跡を受けて、ミサに与りましょう。大事なお客様をお迎えするときに家を綺麗にするように、イエス様をお迎えするのですから、私たちもそれにふさわしい状況になっていなければなりません。(おじいさんやおばあさんの時代は、これは厳格に守られていました)
  4. 教会が定めた断食の期間と大斎・小斎の日を守る事

    大斎 日に1回だけの十分な食事とそのほかに朝ともう1回わずかな食事をとることができ、満60歳に達するまでのすべての成人が守ります。
    小斎 肉類を食べないことですが、各自の判断で償いの他の形式、とくに愛徳のわざ、信心業、節制のわざの実行をもって替えることができ、満14歳以上の人が守ります。

    教会が定めた断食の期間で、パッと思いつくのが、四旬節ですね。今年は2月14日から始まります。
    四旬節では、毎年、節制(祈り、断食、慈善)し、イエス様のご復活をお迎えする準備を整えます。この3つが1つになる意味がわかりますか?私たちは、普段、本当に必要でないものまで、自分のものにしていませんか?私たちが、断食する事で、貧しい人たちに本当に必要なものが渡る事もあると思います。そして、満足することで、神様への感謝を忘れている時もあります。この期間を通し、十戒の「盗んではならない」や「隣人の財産を欲してはならない」という事をもう1度考えてみましょう。
    人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きる」のですから、神様の御言葉を思い起こし、隣人を愛せと命じられた神様・イエス様のいつくしみを、他の人々にも伝えましょう。

  5. 教会が必要とする物質的な支援をすること

    物質的とは、お金やモノだけではなく、奉仕なども含みます。キリスト者は、常に祈り(霊的)と行動(物質的)が、求められています。どちらが欠けてもダメですよね。
    世界中の人々のため、身近な、目の前にいる、貧しい人々のため、可哀想な人々のため、みんなが出来ることをしてください。「隣にいる事」を感じさせてあげてください。
    たとえば、教会学校は、毎月信者の方々が払ってくださる月定献金からお金を頂き、みんなは錬成会に行ったり、パーティをしたり、プリントやテキストを作ったり、出来ています。教会の皆さん、全員に支えらています。そして、教会学校の子どもたちのために、お祈りもしてもらっています。クリスマスに聖劇をすれば、たくさんの方々が見に来てくださいます。
    それは、なぜでしょうか?隣人、つまり、教会学校の子どもたちであるみんなを自分のように愛して下さっているからですね。
    教会の皆さんが、私たちを隣人にして下さっている時、みんなは、どうしますか?他人のままですか?
    教会は、教会自体、つまり、私たち1人1人が「秘跡」です。
    私たちに出会った人が、教会に来た人が、神様を感じれるような行動を行いましょう。

 

 

さて、少し早いですが、今日はこれで終わりです。
今日は、教会学校の1年生が、東方の3博士になって神父様と一緒に入堂します。着替えのお手伝いをお願いします。

では、最後に「主の祈り」を唱えて終わりにします。

 

 

 


 

来月の勉強会は2月4日、9時15分から行われます。
筆記用具をもって、集合して下さい。
来月も、求道者のための内容にします。みんなももう1度自分の信仰について基礎から考えてみる良い機会です。
是非集まってください!




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中高生は、中高生の勉強会のある毎月第1週の10時半のミサでは、教会学校の子どもたちとともに侍者リーダーとして、祭壇奉仕を行っています。
侍者リーダーは、聖変化や拝領の際にカンパネラを鳴らしたり、教会学校の時に得た経験をもとに、ミサの次の事を考えて、教会学校の子どもたちに指示をおくり、ミサを滞りなく進められるようにします。

 

神の母聖マリアの祭日のミサや復活祭(日中)では、普段なかなか教会に来れないメンバーが教会に来ることもあり、中高生と、担当のリーダーが祭壇奉仕を務めます。
侍者の動きが変わっていたり、典礼の細かな変更を伝え、それ以後も祭壇奉仕が行えるようにする貴重な機会となります。

 

本日行われた、神の母聖マリアのミサも祭壇奉仕を務めました。

 

久々に行いましたが、色々覚えていましたね。
カンパネラの鳴らすタイミングもしっかり把握していました。

 

これからも、教会に来た時には、教会学校の子どもたちと一緒に祭壇奉仕を行いましょう!




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教会学校の子どもたち3名と中高生2名、そして、リーダー達で菊池功大司教様の着座式に、東京カテドラル聖マリア大聖堂に行ってきました。

 

午前11時から始まった着座式…
午前9時頃にはもうカテドラルには多くの人が来ていて、座る事が難しいとの情報が…(先に信徒の方がいって、子どもたちや中高生の席を用意してくださっていました。本当にご迷惑をおかけ致しました。ありがとうございます)

 

 

入堂から…司祭、司教様の数にビックリ…
こんなに大勢の方々がそろってのミサは、初めてです…

フィリップ神父様を発見!

宮下神父様を発見!

そして、司教団!

 

岡田大司教様と菊池大司教様!

 

 

そして、着座式が始まります!
バチカン教皇大使チェノットゥ大司教様が、パパ様からの任命書を読まれました(ラテン語…)その後、高木神父様(東京大司教区事務局長)が日本語訳を読んでくださいました。

 

そして、岡田大司教様からバクルス(司教の杖)が菊池大司教様に手渡されます。
岡田大司教様の「よろしくお願い致します!」という声のなかに、重責から解放された安堵感みたいなものを感じました…今まで本当にありがとうございました!

 

司教座に菊池大司教様の紋章が掲げられました!

 

 

聖変化!
こんなに大勢の司教様による聖変化を見るのは初めて…!壮観でしたね!

 

 

聖体拝領後、以前菊池大司教様が宣教活動を行っていたガーナの司教様たちからお祝い(ガーナ風のお祝いらしいです)

 

 

最後に菊池大司教様からご挨拶をいただきました!

 

学校があって、ギリギリ間に合わなかった高校生は、ずっと立ち見でした。でも、逆に入堂や退堂を近くで見れて、ラッキーだったかもですね。

 

そして、退堂…


退堂後、司教様たちからお祝いの言葉を菊池大司教様が受けていました。

 

 

 

着座式後、すごい人の数で…ちょっと疲れちゃいましたが、本当に素晴らしい体験でしたね!
松戸教会からもたくさんの信徒の方がいらしていて、着座式後、声をかけて頂きました。

 

 

 

退任が発表されている沖縄教区の押川司教様。
いらっしゃった人達からの挨拶をうけていらっしゃいました。沖縄からもたくさん人が来られていたみたいですね。

 

菊池大司教様には、常に周りに人がいて、祝賀パーティの会場に移動するのも…大変だったようです。
みなさん、握手をお願いしたり…ご挨拶されたり………リーダー達も握手してもらいたかったんですが……無理でした。

 

みんなで分かち合いながら、帰宅…

クリスマス前に大きな喜びを頂きました。
いつか松戸教会にも、是非お越しください!!




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毎月、第1週、小集会室で中高生の勉強会が行われています。
今月は、参加したのは6人。

今月も、「洗礼」を意識した内容を行います。
堅信を受けたメンバーも、もう1度「キリスト者になる」ということはどういうことか思い起こしてみましょう。

 


 

 

今月のテーマ

● 主を待ち望む姿とは? ●

 

今月も、求道者の高校生が参加するということで、入門講座の内容に合わせて行おうと思います。
今日配ったプリントは、金曜日の入門講座で使われたレジュメです。今、洗礼を希望されている信徒の方が一生懸命勉強しています。
みんなは、赤ちゃんの頃に洗礼を受けているメンバーがほとんどですが、日曜日と金曜日の勉強会に出ている人は一生懸命勉強して、洗礼を受けます。入門講座を受講して、洗礼を受ける人たちは、このくらいの知識を得て、洗礼を受けます。みんなも負けないように頑張りましょう。

 

さて、もうすぐクリスマスですね。
先月の勉強会の内容をおぼえていますか?

昨日の日没から待降節が始まりました。今日から教会の新しい1年が始まります。
聖書の朗読は今年度はB年で、今日の主日から福音書はマルコ福音書が朗読されます。

さて、待降節は、イエス様をお迎えする準備をする期間です。
だから、司祭の祭服も回心を意味をする紫色となるのでしたね。
来週の主日(待降節第2主日)のミサでも「主の道を整える」をテーマに朗読の箇所が選ばれています。今日は、私たちがどのように主の道を整えればよいか一緒に考えてみましょう。

 

その前に「主がご降誕される」事の意味、私たちが「イエス様を待ち望む」とは、どのようなことかもう1度おさらいしてみましょう。
待降節のイエス様を待ち望むという事は、実は2つの意味があるのでしたね。
1つは、「イエス様のご降誕」、そして、もう1つは「イエス様の再臨」です。

 

  • イエス様のご降誕

その言葉が示す通り、「神が人となられた」という事につきます。
神様は、たった一人の御子を私たちのために、人として産まれさせました。(神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された(ヨハネによる福音書3章16節))
ヨハネ福音書の1章14節には、このように記されています。
言葉は肉となって、私たちの間に宿られた
「言葉」は、イエス様、そして、「肉」とは私たち人間を表します(聖パウロの手紙にもよく肉という表現がされていますね。)「私たちの間」とは、人と人との間、神様と私たちの間という意味です。神様、そして、私たち人間同士の間にイエス様が存在するにより、私たちの関係は修復されます。

これらのことを難しい言葉で「受肉の神秘」と言います。
受肉の神秘は、以下のことを私たちに与えるために行われたものです。

  • 原罪をおった(神からどうしても離れてしまう)私たち人類と神様を和解させるため
  • 神様の愛を人間に示すため
  • 人間の聖性の模範を示すために
  • イエス様を通して、私たちが、神の子となり、神の国の住人となるため

ところで、この4つを聞いた時、何か気づくことはありませんか?
イエス様の御降誕は、「イエス様の十字架の上での死」と同じような意味を持っていると思いませんか?受難・死・復活を勉強した時にも同じことを話しましたよね。おぼえていますか?イエス様の御降誕は、私たちの救いの始まりであり、神の国の始まりです。ご降誕と十字架上での死、つまり、わたしたちの救いをイメージすることが出来ます。
と、考えると少し切ないですね。そう考えることでより神様の慈しみを感じることが出来ますよね。

  • イエス様の再臨

イエス様が昇天された時、天使たちが使徒たちに「あなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります(使徒行伝1:11)」と伝えています。世の終わりにイエス様は、また私たちの所にきます。その時、私たちは、最後の審判にあい、神の国に入る者、入れない者に分けられます。
再臨、最後の審判に関しては、また今度ちゃんと勉強したいですね。
覚えておいて欲しい事は、最後の審判は「私たちを不幸にするために行うものではない」という事です。神様は、私たちを神の国の住人したいのです。だから、むしろ「神の国」の住人になるか、ならないかは、私たちに委ねられています。神様は、アブラハムを通して私たち人間を幸せにするために何の見返りもない契約を結ばれました。ただただ私たちの幸せを願っています。そのいつくしみに感謝し生きれば自ずと神の国の住人になるのではないでしょうか?
そして、1番重要な事は、神の国がイエス様の再臨によって完成するということです。

 

さて、では、神の国がどんな世界かもう1度思い起こしてみましょう。
もう何度も朗読している箇所ですね、イザヤ書の11章1節から10節までを朗読してみましょう。

ありがとうございます。
この箇所では、3つのことをみんなに考えてもらいたいと思います。

  • イエス様がキリストであること

エッサイの株からひとつの芽が萌えいでその根からひとつの若枝が育ち その上に主の霊がとどまる。知恵と識別の霊思慮と勇気の霊主を知り、畏れ敬う霊。
イザヤ書の11章1-2節
(この話も何度もしていますね)
エッサイというのは、ダビデのお父さんの名前ですね。つまり、キリストはダビデの子孫から現れるという預言です。
マタイ福音書の1章1節から17節でも分かる通り、聖ヨセフはダビデの子孫です。つまり、ヨセフの子として育てられるイエス様を指しています。
イエス様こそ預言されたキリストである。という事です。
  • キリストが来ることでどのような世界が起こるか

3節から10節までは、神の国が完成した時どのような状態になるかを予言しています。
この事を一言で表すと「平和」と表現できます。
この平和という言葉は、多分みんながイメージする平和とは少し違います。ここで表される平和は「主の平和」つまり、神様による平和です。
「その者の(たとえば、獅子が獅子として、毒蛇が毒蛇として)アイディンティティを保ちながらも、完全な調和がなされている状態です。教会が言う平和とは、そういう事です。
神の国が完成すれば、私たちは、各々が自由でありのままの自分でありながら、完全な調和がなされた世界に住むことが出来ます。

  • イエス様を待ち望む姿

エッサイのからひとつの芽が萌えいでその根からひとつの若枝が育ち…

株ってどういう状態ですか?「切り株」というとわかりやすいですかね。
この預言が書かれた時代は、イスラエルの北王国がバビロニアに滅ぼされ、南のユダ王国も属国状態になっている状態でした。つまり、ユダヤ人たちは「切り株」のように何もかも失っていた状態といっても過言ではありません。しかし、その切り株から「芽が萌いで」ます。イエス様が来られるのです。
逆に言えば、「真にキリストを迎い入れるには切り株にならなければならない」とも言えます。
「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい(マタイによる福音書 19章 24節)」とありますよね。
神様やイエス様を待ち望む心というのは、切り株になった時初めて生まれるものなのかもしれません。
財産だけではなく、才能、そして、ある意味において家族すらも、自らの全てを捧げて、イエス様に従うこと。それが私たち信者に求められていることです。(ルカによる福音書9章57-62節)家族にしても、自分の才能に関しても誰が与えてくださったのでしょうか?今、ここにいる自分は本当のありのままの、切り株になった自分でしょうか?囚われている自分を解放して、初めて神様を受けれいることが出来ます。それは、とても怖い事でしょう。でも、「恐れることはない。ただ信じなさい(マルコ5章 36節)」とありますね。
自分を主に置かず、神様に主を置くことが、『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい』という事です。神様のいつくしみを心から信じることが出来れば、それが可能になるのではないかなぁと思います。

 

 

それでは、イエス様の御降誕のお話を朗読してみましょう。
ルカ福音書の2章1節から14節を読んでみましょう。

ありがとうございます。
もう何度も経験したクリスマスの朗読箇所です。
まず、何か気づいたことがありませんか?

………

そうですね。
この天使たちが言うセリフは、「栄光の賛歌」の冒頭の部分ですね。
毎週歌っている(待降節や四旬節では歌いませんが)栄光の賛歌はここから引用されています。つまり、イエス様がご降誕された事を喜び味わう歌なんですね。

さて、この天使たちは、だれに伝えていますか?
「羊飼い」ですね。羊飼いは当時ユダヤ人社会の外にいる、つまり、普通には生きていけない人達でした。
つまり、「誇るモノもお金も社会的地位も生活の基盤も何も持っていない人々」でした。まさに「切り株」に近い状態ですね。そして、聖ヨセフやマリア様も決して裕福とは言えない普通の家でした。
そして、みんなも知っている通り、何軒もの宿屋に断られて、ようやくベツレヘムの町の外にある馬小屋でご降誕され、飼葉桶に寝かされました。

なぜでしょうか?
出来ない事は何1つ無い神様は、なぜお金持ちや王様、祭司の家の子としてイエス様をご降誕させなかったのでしょうか?なぜお城のふかふかのベッドの上で寝かされなかったのでしょうか?なぜ天使達は王様や祭司たちにそれらを告げなかったのでしょうか?

そして、イエス様は、エルサレムの外の丘で、磔刑という当時もっとも残酷な処刑方法で死にました。
ベツレヘムの外で生まれ、エルサレムの外で死にました。

何故でしょうか?
それは、神の愛(神様のいつくしみ、そして、恵み)は、その始まりから最後まで、持たない者(切り株)達が、最初に手にいれられるものだったからです。

 

 

「切り株になる」事の意味が分かりますか?なぜ切り株にならないといけないか、が分かりますか?
それがどのようなことか、マリア様がそれを示してくれています。

では、ルカ福音書1章26ー56節を朗読してみましょう。

ありがとうございます。
受胎告知のシーンと、マリア様が洗礼者ヨハネの母エリザベトを訪問するシーンですね。

このシーンを読んで気づくことはありませんでしたか?

……

そうですね。
大天使聖ガブリエル、そして、エリザベトが言ったセリフは、「アヴェマリアの祈り」に使われている部分ですね。

マリア様は、受胎告知を受けました。
この時のマリア様の年齢は、ちょうどみんなと同じくらいです。
想像してみてください。
ある夜、自分のもとに大天使聖ガブリエルが訪れて、イエス様の母となることを告知されることを…

マリア様は、「お言葉どおり、この身に成りますように。」と聖ガブリエルに答え、自らの人生すべてを捧げました。
家族もこれから勝ち得るモノも、これからの人生で起こる様々なことを全て捧げ、神様のみ旨に従うことを選びました。
そして、身重だったにもかかわらず、エリザベトを訪問し、エリザベトの世話をします。

「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさいまた、隣人を自分のように愛しなさい」というイエス様が仰った掟を「自分を捨てて」守っていますね。
きっと、マリア様に「守る」という意識はなかったでしょう。
なぜなら、マリア様は生まれながらに罪なき方(無原罪)だからです。言いかえれば、マリア様は、「神様のみ旨から決して離れることのない」方だからです。
切り株になるとは、まさにこういうことです。

 

待降節の間に是非ゆるしの秘跡に与ってください。
12月9日には、共同回心式が行われますし、自分のタイミングで神父様に告解をしてもいいです。
切り株となって、神様のみ旨に従い、イエス様の御降誕を一緒にお祝いしましょう!

12月24日は、みんなミサに与ってください。
聖劇やミサの練習も手伝ってくださいね!

 

では、最後に、折角ですから、「ガブリエル」の霊名をもつ高校生にアヴェマリアの祈りを先唱してもらって、終わりにしましょう。

 

 

 


 

来月の勉強会は1月7日、9時15分から行われます。
筆記用具をもって、集合して下さい。
来月も、求道者のための内容にします。みんなももう1度自分の信仰について基礎から考えてみる良い機会です。
是非集まってください!




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毎月、第1週、小集会室で中高生の勉強会が行われています。
今月は、参加したのは3人。

今月も、「洗礼」を意識した内容を行います。
堅信を受けたメンバーも、もう1度「キリスト者になる」ということはどういうことか思い起こしてみましょう。

 


 

 

今月のテーマ

● 教会暦 ●

 

今月も、求道者の高校生が参加するということで、入門講座の内容に合わせて行おうと思います。

さて、今日は、教会の暦について勉強します。
教会学校の方でも、今週から聖劇の練習が始まります。聖劇は、去年と同じようにクリスマスミサの前に行います。

ところで、教会の1年がもう少しで終わるのは知っていますか?
今度の12月2日で1年が終わります。普通の暦より約一か月早いですよね。
カトリック教会で最も大事な日、特別な日はいつですか?
そうですね。復活祭、復活の主日ですね。
復活祭は、春分の日の後の最初の満月の次の日曜日となっているので、(理由は前に過越について話した時に勉強しましたね)毎年、違います。
それに合わせ、1年の暦が決まりますから、毎年、暦が変わってきます。
今度の11月26日の「王であるキリスト」の祭日が、カトリック教会では、1年最後の日曜日になります。
だから、イエス様が、もう1度来られる(再臨する)終末の時、つまり、神の国が完成することを待ち望み、喜び、お祝いします。

でも、同時にその時は、私たちが真に裁かれる時でもあります。
神様のみ旨に沿い生きているか、生きて来たかが問われます。羊と山羊に分けられ、羊しか神の国に入る事は出来ません。
だから、常に「目を覚ましていなさい」とイエス様はおっしゃいます。いつ、イエス様がいらっしゃるかわかりませんから。
年間第32主日、33主日、王であるキリストは、イエス様の再臨に向けて準備する期間なのです。

 

さて、では、プリントを見てください。
プリントに教会暦を書いておきました。今から説明するので、メモしてください。
1つ、大事な事を覚えておかないといけません。
中東の1日は、日没から始まります
つまり、日曜日は、土曜日の日没から始まります。よって、教会も当然イスラエルの伝統に従いますから、どのように1日が始まります。

 

 

待降節

期 間 待降節第1主日 - 主の降誕の日の日没まで 祭服の色
 教会の1年の始まりは、待降節から始まります。
待降節、「待つ」「降りる」節。つまり、イエス様の御降誕を待ち望み、準備する期間です。
祭服の色の紫には、「回心する」という意味があります。
目を覚ましていなさい
イエス様がいつ来られるか、私たちは分かりません。
回心し、ゆるしの秘跡を受け、神様のみ旨に沿い、イエス様をお迎えする準備をしましょう。
この期間は、冬の静寂のなか、徐々に主の御降誕への気持ちを高める様々な用意がされます。クリスマスの飾りつけもそうですね。
サントン人形を馬小屋に並べたり、アドヴェントカレンダーを用意したりアドヴェントクランツに主日ごとに火を灯したり(侍者をする時は火をつける蝋燭を間違えないようにしないとダメですよ!)……
イエス様のご降誕は、神の国の始まりであり、救いの始まりです。

 

 

降誕節

期 間 主の降誕 - 主の洗礼 祭服の色
イエス様がご降誕された後、イエス様が神の子であり、キリスト(メシア)であることを表す期間です。
祭服の色の白には、「神の栄光」という意味があります。
神様の栄光、神様の愛がまさに表されている期間ですね。信徒が守るべき5つのことのなかに3日は、必ずミサに与りなさい。という日がありますね。
そのうちの2つが、この期間にあります。
主の降誕の祭日(12月25日)と神の母聖マリアの祭日(1月1日)ですね。

主の降誕

イエス様が神の子とご降誕され、神の愛が示された時

聖家族

イエス様・聖ヨセフ・マリア様の家族こそ、私達信徒の見習うべき、共同体の姿です。
家族は、小さいな共同体であり、父・母・子、そして、信仰を家族で育てることの意味を現わしてくださっています。

神の母聖マリア

マリア様がイエス様の母というだけではなく、私達キリスト者の母になった事を祝います。

主の公現

ご降誕されたイエス様に当方の三博士が訪問し、キリストであるイエス様に王のしるしを贈ります。
馬小屋で生まれた、大工の子イエスが、キリストであることが公にされたことを祝います。

主の洗礼

イエス様が洗礼者ヨハネから洗礼を受けたことを祝います。
聖霊が天から注がれ、「これは私の愛する子、わたしの心に適う者」という神様の声がその時します。
イエス様によって、聖霊による洗礼が形つくられました

 

 

年 間

期 間 主の洗礼の日の日没 - 灰の水曜日の前の日の火曜の日没まで 祭服の色
年間というと分かりづらいですね。
英語というと「Ordinary 」です。Ordinary は、「通常」とかそういう意味ですね。
祭服の緑は、若芽を表していて、みんなで成長していこう!というしるしです。イエス様の福音宣教の様子を、A年マタイ福音書、B年マルコ福音書、C年ルカ福音書をそれぞれ朗読しながら、私たちの信仰を育てていきます。

 

 

四旬節

期 間  灰の水曜日ー過越の聖なる三日間の前の日没まで 祭服の色
灰の水曜日から40日間+主日の5日間+受難の月曜日と火曜日を足した47日間の時を四旬節と言います。
受難・死・復活という主の過越を心身共に迎える準備を整えます。
40という数字からもわかる通り、私達にとって、この四旬節は、キリスト者として、内省し、もっとも成長できる期間です。
回心し、ゆるしの秘跡を受け、神様のみ旨に沿い、イエス様をお迎えする準備をしましょう。
そして、この時期、求道者にとって、また、求道者を迎い入れる信者にとっても大事な時期です。
求道者にとっては、最も苦しく、きつい時期になるかもしれません。今後、キリスト者として生きるために、様々な誘惑や迷いと戦わなければなりません。
私たち、迎い入れる信者は、その求道者のために祈り、共同体に迎い入れる準備を整えます。

 

 

過越の聖なる3日間

期 間  聖木曜日・聖金曜日・聖土曜日 祭服の色 木(白)金(赤)土(-)
聖木曜日から聖土曜日の日没までの期間を過越の聖なる3日間と呼びます。
聖金曜日と聖土曜日までは、「ミサ」は行われません。1年でこの2日間だけ、ミサは世界中で行われる事はありません。
この過越の聖なる三日間こそ、典礼の頂点です。聖木曜日は、ご聖体の制定を行った「最後の晩餐」を直接記念して、「主の晩餐の夕べのミサ」が行われます。
この日のミサの中では、イエス様が、謙遜、そして、隣人を愛すという教会の最も大事な教えを自ら表し、弟子たちの足を洗いになったことを記念して、洗足式が行われます。
また、イエス様の受難を現わすために、祭壇は裸にされ、ご聖櫃からご聖体を仮祭壇に移動します。
(聖体ランプは明かりを消されます)カテドラルでは、聖木曜日に「聖香油のミサ」 が行われ、洗礼式で使われる油病者の塗油で使われる油を司教様が祝別してくださいます。聖金曜日は「主の受難」の祭儀が行われます。
イエス様の受難・死を思い、祭儀が行われます。本当に暗い気持ちになる1日です。聖土曜日には、ミサは行われません。

 

 

復活節

期 間  復活の聖なる徹夜祭(聖土曜日の日没から)-聖霊降臨の主日 祭服の色
典礼の頂点「復活の聖なる徹夜祭」から聖霊降臨の主日までの50日間です。
主の昇天は、復活の主日から40日後(つまり、木曜日)でしたが、現在は、次の日曜日に祝われます。祭服の色は白です。まさに神の栄光が、示されている期間です。
この期間の典礼は、本当に1つ1つ大事です。もともとは、復活徹夜祭で洗礼を受けた新受洗者のための教話の期間だったと言われています。新しい仲間を迎えて若返った教会が新しい気持ちで主のご復活を喜び合います。聖霊降臨の主日には、堅信式も行われます。

 

 

年 間

期 間 聖霊降臨の主日の次の日の月曜日から待降節第1主日前の土曜日まで 祭服の色
 復活節が終わると、また年間に戻ります。

ここからまたキリストの業すべてを記念し、エルサレム入城、そして、再びイエス様が訪れる再臨の時を待ち望みながら、私たち信徒がキリスト者として成長していけるように(四旬節前の年間も合わせ)34週(もしくは33週)にわたって、過ごしていきます。

もちろん、このあいだにも、マリア様や様々な聖人の祝祭日があり、記念して祝います。
祭の際には、マリア様の祭日には青い祭服、殉教者の祝日、記念日には赤い祭服を司祭は着ます。

 

 

 

さて、どうですか?
覚えていました?

将来みんながリーダーになったら、この事を子どもたちに伝えないといけないですね。

教会学校の行事は、教会の暦と当然直結していますから、当然のように、教会暦を覚え、行動していかないといけません。

日本にいると、この教会暦というのは、教会の中の出来事というだけで、全然感じられないですよね。でも、ヨーロッパやアメリカ、中南米や東南アジアなどのキリスト教国では、当然この暦がそのまま社会に影響を与えます。そろそろ待降節の季節ですから、イルミネーションや馬小屋が用意され、街を彩ります。

教会暦は、私たち信者の成長のためにあるといっても過言ではありません。
毎年、毎年のことで、徐々に「普通」になっていくかもしれませんが、1年1年、神様の愛を感じ、様々な気づきを与えて頂けます。同じ本を読んでも、成長があれば、受け取り方は違いますよね。それと同じです。
それぞれの典礼の意味を知り、ミサに与る事が出来れば、よりミサが意味深いものになっていきます。

26日の王であるキリストの祭日には、行列を教会学校で行います。
教会暦最後の主日である王であるキリストは、「神の国の王であり、預言者とは一線を画す大預言者であり、神様と私たちをつなぐ大祭司であり、神の子である」イエス様が、すべての人を導き、神のもとに一つに集めてくださるのだ、という希望を表し祈ります。

では、今日はこれで終わりにします。
来月は、クリスマスに合わせた内容にしたいですね。
最後に主の祈りを唱えて終わりにしましょう。

 


 

来月の勉強会は12月3日、9時15分から行われます。
筆記用具をもって、集合して下さい。
来月も、求道者のための内容にします。みんなももう1度自分の信仰について基礎から考えてみる良い機会です。
是非集まってください!