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3月26日から3月29日までの4日間、5月20日に行われる東京教区合同堅信式で堅信に与るために中高生を対象とした「堅信のための春期集中講座」が開かれ、サポーターとして、ほかの中高生会のメンバーも参加し、中高生3名が参加しました。

 

1日3時間ずつ、堅信に与るため、勉強を重ねました。

桜が満開のなか、たくさんのことを、様々な事を覚え、学べたと思います。
使徒信条、主の祈り、秘跡、聖霊の賜物、十字架上の七つの言葉、十戒…
信者として最低限知っておくべきことを一生懸命覚えましたね。

その意味を考える事で、自分にとって神とは、イエスとは、どういう存在なのか?考えることが出来ましたか?
自分がキリスト者として、どう生きていくべきなのか、指針が見えましたか?

受難・死・復活」という「主の過越」をもう1度心に留めてみてください。それは、「神様の愛」そのものであり、私たちのアイディンティティそのものです。

 

火曜日の夜には、勉強だけじゃつまらないので、フィリップ神父様にもご参加頂き、みんなで終わった後にご飯を食べに行きました。
一生懸命勉強したので、おなか減り過ぎだったみたいですね…。

 

みんな、5月20日、堅信式が終わり、カテドラルを出た瞬間からキリスト者としてのスタートが始まります!
ご自分のひとり子を私たちのために差し出されるほど、わたしたちを愛して下さる父なる神様の「御言葉」を味わい、そのひとり子であるイエス様の「ご聖体」を頂く「ミサ」ということを理解し、みんなも1人のキリスト者として、堅信に与るまでの約2か月間を大事に過ごしてみてください。

 


 

さて、中高生の勉強会は、今年度も毎月第1週に行われています。新年度は、5月6日、午前9時15分からです。
教会学校だけでは、学びきれなかった事、そして、信徒してさらなる成長のため、大事な仲間とのつながりをさらにつよくするためにもたくさんの参加をお待ちしています。




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今日のこどもの奉仕するミサで、ピアノを弾くのが得意な中学生が初めてオルガン奉仕を行いました。

 

事前にオルガン奉仕グループの方々から指導を受け、太鼓判をおされて、ミサに望みました。

 

ミサでは、今日で卒業する教会学校の後輩のために、ミサ曲以外のすべての曲、入祭の歌、奉納の歌、拝領の歌(2曲)、閉祭の歌を弾きました。

オルガン奉仕者の方も、ミサ後、大変褒めてくださいました。

 

中高生の勉強会、堅信のための講座のなかでも、神さまから与えられたタレントをどのように使うかという事を勉強しました。
これからも、自分の頂いた才能を、神様のためどんどん人のために使い、神様との関係、人と人との関係を強くしていきましょう。

ピアノやエレクトーンを弾ける中高生はオルガンの奉仕、歌が上手な中高生は答唱、お話が旨い中高生は朗読、侍者、教会学校…教会は、自分の才能や好きな事を活かす場所が他にもたくさんあります。勇気をちょっと出してくれさえすれば、機会があります。だから、どんどん、自分の好きな事、得意な事を、教会に届けてください。

これからも、中高生のみんなのチャレンジを待っています!




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毎月、第1週、小集会室で中高生の勉強会が行われています。
今月は、参加したのは4人。

今月は、ご復活を迎える前にもう1度、受難・死・復活という私たちの信仰の根幹について学びます。
受難・死・復活を通して、神様のいつくしみをもう1度感じて、自らの洗礼について、考えてみま

しょう。

 

 


 

今月のテーマ

● 神の小羊 ●

 

最近、本当に聖書を開くのが早くなって来たなぁと思います。
前は、すごい時間がかかっていたのに…。
普段の生活の中でも、ちょっとした時に聖書を開いて、御言葉に触れる習慣があるといいですね。ふとした時のふとした御言葉のなかに、大きな気づきがあったりします。聖書はどこをとっても神の言葉ですから、全てが神様の恵みです。

 

さて、今、私たちは四旬節のど真ん中を過ごしています。
今度の4月1日の復活祭に向け、イエス様のご復活をお迎えする前に、もう1度、神様の愛、いつくしみを感じて、私達自身が、洗礼を受けた者として、ご復活の準備を整えましょう。

まず、ヨハネ福音書の3章16節を開いてください。

 

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

 

神様は、磔刑というもっとも残酷な死を通してたった一人の子供を、私たちのためにその「しるし」として、お与えになってくださいました。
こうして、この十字架は、私たちにとって、神様との繋がりを示す、神様の愛を示す、ものとなりました。

 

では、今日のテーマを思い出してみましょう。
今日のテーマは、神の小羊です。

ヨハネによる福音書1章 29-31節を開いてみましょう。

 

その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。わたしはこの方を知らなかった。しかし、この方がイスラエルに現れるために、わたしは、水で洗礼を授けに来た。」

 

ありがとうございます。

イエス様が、洗礼者ヨハネのもとに行き、洗礼を受ける時の話ですね。
洗礼者ヨハネは、イエス様を見て、洗礼者ヨハネの弟子たちに「神の小羊」と言っていますね。

それでは、何故、洗礼者ヨハネは、イエス様のことを「神の小羊」と呼んだのでしょうか?「小羊」という言葉の意味にポイントがあります。
過越の話を思い出してみましょう。
出エジプト記12章1-27節を開いてみましょう。

ありがとうございます。
モーセとアーロンに神様は、命じられます。

  • イスラエルの共同体全体に次のように告げなさい。『今月の十日、人はそれぞれ父の家ごとに、すなわち家族ごとに小羊を一匹用意しなければならない(3節)
  • その小羊は、傷のない一歳の雄でなければならない。(5節)
  • イスラエルの共同体の会衆が皆で夕暮れにそれを屠り、 その血を取って、小羊を食べる家の入り口の二本の柱と鴨居に塗る。(6-7節)
  • 『これが主の過越の犠牲である。主がエジプト人を撃たれたとき、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越し、我々の家を救われたのである』(27節)

小羊の血を、家の入口に塗ったことにより、神様は、イスラエルの民を過ぎ越しました。小羊を捧げ、そのしるしが、神様とのつながりをもう1度修復したのです。
こうして、イスラエルの民は、主の過越により、エジプトから解放され、十戒を受け、約束の地であるカナンの地(エルサレム)に向かいました。
傷のない小羊をを神様のいつくしみを受け、自由を与えられ、十戒を通して、また強く結ばれた。つまり、ユダヤ人にとって、「傷のない小羊」は、「神との和解の象徴」「神による救いの象徴なのです。
もちろん、イエス様たちも羊を屠り、このユダヤ教の儀式を行います。マルコによる福音書14章12節に「除酵祭の第一日、すなわち過越の小羊を屠る日、弟子たちがイエスに、「過越の食事をなさるのに、どこへ行って用意いたしましょうか」と言った」と書かれていますよね。そして、この「過越の食事」が「最後の晩餐」となります。

そう、もうみんな分かりましたか?
「過越の小羊」として、屠られたのは、イエス様ご本人だったのです。

この後、私たち人間は、何の罪もない、そして、神様から全く離れることなく常に神の慈しみを表してくださっていたイエス様を「十字架につけろ!」と言って、ゴルゴダで磔刑にあわせます。
十字架は、まさに「私たちと神様とのつながりを修復し、神の慈しみを受け、自由を与えられ、新たな契約を結ぶしるし」です。
神様は、数々の預言者を送ってくださりましたが、人間は、聞く耳を持たず、神様から離れ神のみ旨ではなく、自分自身の思いの中で生きました。預言者たちを殺す事すら何度もありました。
しかし、神様は、イエス様という、独り子をお与えになったほどに、世を愛されてしました。それがどれ程の愛だったのか、みんなにも想像出来ると思います。

イサクの燔祭をおぼえていますか?
創世記22章1節-18節を開いてみましょう。

アブラハムは、神様が命じるまま、不妊の妻サラとの間に年老いてからもうけた愛すべき一人息子イサクを捧げます。
アブラハムの信仰の強さを、感じることが出来ると思います。神様は、それを見て、アブラハムをとめ、私たちと契約を結びます。
しかし、神様がイエス様を私たちのために屠った時は、誰も止めるはありませんでした。公生活を共に過ごした弟子たちも逃げ、イエス様はたった1人で、受難の道を歩みます。

アブラハムだけではないですよね。
イサクも、「自分が生贄なのだ」と、気づいたと思います。しかし、イサクも、抵抗する事無く、自らを神様に捧げる覚悟をしていたと思います。
その苦しみは、想像するに容易いですよね。

人として、御降誕されたイエス様も同じように苦しみます。
マルコによる福音書14章32-39節を開いてみましょう。「ゲッセマネの園」の話です。
弟子たち3人(ペトロ、ヤコブ、ヨハネ)を連れ、イエス様は、ゲッセマネで祈られます。

少し進んで行って地面にひれ伏し、できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るようにと祈り、こう言われた。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように」 (35-36節)

 

イエス様が、この後来る受難に対し、怯え、恐れ、出来る事なら、逃げ出したい気持ちでいるのが分かりますよね。私たちと同じように、イエス様も苦しまれます。ルカによる福音書22章44節には、「イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた」とも、この様子が描かれています。
イエス様は、神様に祈られます。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください」出来る事なら、逃げ出したい。せつに祈ります。しかし、「しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように」と、神様のみ旨から離れる事はありません。

これは、本当に、私たちにとって、最もお手本になる祈りではないでしょうか。
そして、イエス様が苦しみ、祈られている時、寝てしまっていた3人の弟子たちにイエス様は、「誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。(38節)」と、仰います。

目を覚ましている。とは、どういう事でしょうか?
実際、寝てしまった弟子たちに言っているわけですから、起きていなさい。という意味にそのまま取れます。しかし、その後に、「心は燃えても、肉体は弱い」という言葉が続きます。イエス様は、度々、「目を覚ましていなさい」という言葉を使われますね。待降節には、必ず朗読されます。

心は燃えている。これは、聖霊を表しています。
肉体は弱い。 これは、私たち人間の心を表しています。

聖パウロも、その手紙で、「霊(聖霊)」「肉(人間の心)」という表現をよくしています。
つまり、イエス様は、目を覚ましていて、弱い自分の心ではなく、神のみ旨に従う聖霊に従いなさい。常に、聖霊を意識しなさい。と仰っています。
眠くなった彼ら3人の弟子は、まさに「肉」に従ってしまったのです。だから、この後、彼らは、逃げ出し、イエスに躓きます。

イエス様は、み旨に従いました。
まさに、イエス様は、私たちに「霊に従うとはどういうことか」「み旨に生きるとはどういうことか」という見本を見せてくださったのです。
そして、十字架上でイエス様は、「成し遂げられた」(ヨハネによる福音書19章30節)と言って、息を引き取られました。神のみ旨のままを成し遂げられました。

 

 

ミサの時、「神の小羊 世の罪を除きたもう主よ、われらをあわれみたまえ」(平和の賛歌を)私たちは、こう歌います。
わたしたちの救いのために、神のみ旨に従い、過越の羊となってくださり、十字架上で死を迎えたイエス様に、憐れみと救いを求めます。まさに、イエス様を捧げ、私たちは神様と新たなな救いの契約を結んでいることを表しています。

だから、拝領前の信仰告白…(なんと言いますか?)
……………
主よあなたは神の子キリスト、永遠のいのちの糧、あなたをおいてだれのところへ行きましょう。」(ですね)
信仰告白をミサのなかで2回する意味を考えましょう。
なぜ、聖変化、主の祈りの後に、私たちはもう1度信仰を告白するのか?
「あなたをおいてだれのところにいきましょう」と、心の奥底から言えているのか?
イエス様という傷のない子羊、そして、独り子を私たちにお与えになった神様…
いつくしみの深さを知り、もう1度、イエス様のご復活について考え、準備を整えましょう。
では、最後に主の祈りを唱え、終わりにしましょう。

 

 

2017年度の勉強会は、今月で終わります。1年間、どうでしたか?

来年度は5月6日から行います。
来年度もがんばりましょう!




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5月20日・聖霊降臨の祭日に行われる堅信式のための(中高生のための)春期集中講座を下記の予定で行います。
(幼児洗礼を受けた18歳以上の青年もスケジュールが合えば、ご参加頂けます)

 

3月26日 午後1時半より午後4時

内容予定 : 霊印、わたしたちの信じる神様 秘跡について

3月27日 午後1時半より午後4時

内容予定 : 旧約

3月28日 午後1時半より午後4時

内容予定 : イエス・キリスト

3月29日 午後1時半より午後4時

内容予定 : 聖霊降臨、私たちのこれから

 

場所

地下ホール

 

今回は集中講座ということもあり、時間厳守で4回全てに出席して頂きます。
筆記用具、ノートをお持ちください。
代父母をお決め頂き(もし見つからないようでしたら、担当のリーダーにご相談ください)代父母の方々に6月4日の堅信式にご参加頂けるようにお約束を取り付けて頂けるようにお願い致します。

たくさんの参加をお待ちしています。




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毎月、第1週、小集会室で中高生の勉強会が行われています。
今月は、参加したのは3人。

今月も、「洗礼」を意識した内容を行います。
堅信を受けたメンバーも、もう1度「キリスト者になる」ということはどういうことか思い起こしてみましょう。

 

 


 

今月は、2つのテーマをやりたいと思います。
何故かというと、求道者の高校生が受けるはずの日曜日の入門講座で今日行う内容「叙階と結婚」についてと、中高生の勉強会で行う予定だった「四旬節」について、どちらも行いたいからです。
全く違う2つのテーマですが、1つのテーマとして考えることも出来ます。
それは、「イエスに従う」ということです。
イエス様も「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい(ルカによる福音書9章23節)」と仰っていますね。
今日は、イエスに従うという事を頭の中心に置いて、一緒に考えてみましょう。

 

 

今月のテーマ 1

● 7つの秘跡 叙階・結婚 ●

まず、プリントを見てください。
秘跡が7つある事はみんな覚えていますね。
秘跡とは、神様・キリストとの出会いそのものでしたね。
私たちは秘跡を与ることによって、「私たちが見る事の出来ない神様の愛、存在を感じる事が出来る」ようになります。だから、私たちが一番神様の愛、存在を感じることが出来るイエス様は、原秘跡と言われているのでしたね。(堅信とは? -2016年度 第2回 堅信準備 勉強会-) そして、教会自体が、秘跡(秘跡としての教会 -2017年度 第3回 勉強会-)でもありましたね。

プリントには、入信の秘跡(3つ空欄になっている)・神のもとに立ちかえらせ癒しを与える秘跡(2つ空欄になっている)・交わりや使命を与えられる秘跡(結婚・叙階)と書いてあります。空欄の箇所を埋めてみましょう。(入信の秘跡は順番も大事です!)

では、答え合わせしていきましょう…
入信の秘跡は、洗礼>聖体>堅信神のもとに立ちかえらせ癒しを与える秘跡は、ゆるしの秘跡と病者の塗油。ですね。

 

さて、今日は、7つの秘跡のうち「叙階」と「結婚」についてです。
どちらも神様によって福音宣教のために与えられるしるしです。
十字のしるしが表す通り、私たちは、父である神様、イエス様、聖霊、そして、過去・現在・未来、すべてのキリスト者と繋がった者です。それらの繋がりを強くし、イエス様が私たちに命じたとおり、「全世界に行ってすべての造られたものに福音を宣べ伝え」なければなりません。(マルコによる福音書16章15節)
福音(良い知らせ)、つまり、神の国は始まっているのだという喜びを、私たちはすべての人に伝えなければいけないのです。
そのために、私たちは、聖霊を通して、賜物を頂き、また、常に一緒に聖霊とともにあることで、父である神様やイエス様と一緒にいる事が出来ます。
その「しるし」として、教会は、叙階と結婚という2つの秘跡を定めました。ちなみに、この2つとも「堅信」を受けたものしか与る事が出来ない秘跡です。そして、(原則的に)どちらかしか与ることは出来ません。

それでは、1つずつ説明していきましょう。

 

叙 階

聖霊によって、イエス・キリストの祭司職の権能を引き継ぎ、神の国へと導く牧者としての力を受ける

マタイ福音書28章18-20節にはこうあります。

「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。 だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、 あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」

ご復活後、使徒たちにイエス様はこのように命じられました。
その為に、堅信を受けた召命を受けた者達が、叙階という恵みを頂きます。叙階の際には、しるしとして、司教の按手と油を受けます。

それでは、具体的な叙階の恵みについて1つ1つ説明しましょう。

教皇(ローマ司教) 枢機卿 大司教 司教

司教は、使徒の後継者です。
聖霊降臨の際に、使徒たちがキリストの権能を引き継いだことにより、キリストの祭司職の権能すべてを引き継いでいます。
よって、全ての秘跡の権能をもち、悪魔祓い、聖別、祝別、祝福することが出来ます。
司教しか出来ない秘跡は、堅信と叙階ですね。だから、堅信を受ける際には、司教から受けます。
司教は、教会を聖化し、統治し、私達を導いてくれます。

  • 教皇

    教皇は、使徒たちのリーダーである聖ペトロの後継者です。司教達が集まるコンクラーヴェという選挙で選ばれます。コンクラーヴェは、過半数をとるまで、何度でも繰り返され、長い時は、何週間も決まらない事があります。その間、司教たちは外部との接触は出来ず、神様に祈り、聖霊の助けを借り、投票を行います。
    パパ様という風に私達は呼びますが、これはローマ司教(ローマ司教区の司教)の昔からの呼び名です。今の教皇フランシスコは、教皇と呼ばれる事より、このローマ司教という呼ばれ方を好まれるようですね。それは多分、自らが引っ張るリーダー像ではなく、すべての司教、そして、私達とともに歩むというリーダー像を掲げているからだと思います。
    教皇は、漁夫の指輪をしていますが、これは、イエス様が聖ペトロを召命した時に仰った「人間をとる漁師にしよう」という言葉から来ています。

  • 枢機卿

    教皇の任命により、特にバチカンで何らかの役割に就く司教を枢機卿と呼びます。日本では、先々代の東京教区の大司教だった白柳枢機卿が最後の枢機卿ですね。

  • 大司教 司教

    教皇の任命により、各司教区の責任者となります。教皇も枢機卿も「司教」ですから、当然自分の管理する司教区があります。(パパ様はさっきも話したとおり、ローマ司教区ですね)
    補佐司教は、今は無くなってしまった記録のみ残っている教区の司教です。大司教は、大司教区、日本だと松戸教会も含まれる東京、大阪、長崎が大司教区ですね。司教は、司教区、日本だと札幌、仙台、新潟、さいたま、横浜、名古屋、京都、広島、福岡、大分、鹿児島ですね。ちなみに司教区の名前は、カテドラルのある都市の名前です。だからさいたま教区は、埼玉ではなく、さいたま市という意味で「さいたま教区」なんですね。
    この間いったのは、着座式でしたが。司教叙階式では、頭に油を受けます。おそらく、近いうちに補佐司教の叙階式があるかもしれませんから、その時には是非みんなで行きましょう。

司祭

神父様ですね。
司教によって、しるしを受け、叙階します。先日まで司牧実習に来てくださっていた李助祭も今度3月21日の福岡教区司祭叙階の恵みに与りますね。
司教の協力者として、司教から任命を受け、小教区の管理者となります。初代教会の頃、つまり、聖書では「長老」という人たちが、司祭ですね。
堅信と叙階を除く秘跡、そして、悪魔祓い、聖別、祝別、祝福することが出来ます。司教の権能でも「聖別」と書いてありますが、これは簡単に言うと「聖変化出来ます」という意味です。だから、ミサをあげられるのは、司教と司祭だけです。

助祭

使徒言行録6章1-7節で、使徒たちは助祭を任命します。最初の殉教者と呼ばれ、イケメンでおなじみの聖ステファノも助祭として任命されたのは、この時ですね。
助祭は、英語でいうとDeaconと言いますね。これを直訳すると執事となります。その名の通り、司教によって叙階され、司祭の執事として、共同体に奉仕するのが役割です。
「人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように(マタイによる福音書28章20節)」という御言葉を体現されている方たちですね。今は、(東京教区にもお1人いますが)終身助祭という方もいて、結婚していても終身助祭として(叙階し)務めることは出来ます。ただ、もちろん司祭には叙階できません。

 

聖霊降臨の時を思い起こしてみてください。
使徒たち、そして、弟子たちは、みんな迫害を恐れ、怯え暮らしていました。
でも、聖霊降臨を受け、使徒たちや弟子たちは、外に出て、福音宣教を始め、たくさんの人々が洗礼を受けました。
叙階された神父様たちは、命をかけ、人生をかけ、キリストに従い、福音宣教して下さっています。勇気をもって、常識的な人生の外に出て、イエス様の道を歩んでくださっています。
そこには、きっと大きな恵みがあると思います。イエス様が呼ぶ「召命」に耳を背けてはいけません。もし…背いたら…嵐にあってクジラに飲み込まれちゃいますよ…

 

ところで、私達信者全員に福音宣教の役割は与えられていますから、みんなも洗礼を受けた時点で共通祭司職についています。
だから、私達は、洗礼を授けることも出来ます(後で主任司祭に報告義務がある)
他にも、司教様から任命されて聖体奉仕者となったり、教会学校のリーダーになったり、侍者をしたり、カテキスタになったり、様々な奉仕を行い、福音宣教に努めなければなりません。何より、私達が生活の中で「キリストを証するもの」でなければなりません。それは、堅信を受けた者の大きな役割です。(堅信を受け、聖霊を受けた私達にはそれが出来るはずです)

 

 

結 婚

神のしるしによって、最も小さな共同体である家族を作り、そのなかで、豊かな成長を促し、歴史の中で神の国の建設に奉仕する

結婚の秘跡は、堅信を受けた一組の男女が神と教会の前で誓いを交わす。その誓いに司祭により受諾と確証を与え、しるしとされます。

イエス様は、「それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。 だから、二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」と仰っています。神様がアダムにエヴァを与えたように、私達は1人では生きていけません。私達の神様は「関りのなか」にいる神様です。関りのなかで、お互いがお互いを成長させ、キリストを証しすることが出来ます。もちろん、子どもが生まれれば、父親と母親を見て、愛を学ぶ事でしょう。

聖パウロのエフィソの手紙の5章には結婚についての聖パウロの教えがのっています。
今の時代の者が読むと、男女差別だ!とか言われそうですが…聖パウロが言いたいことは「隣人を自分のように愛しなさい」という事ですね。キリスト者にとって1番大事な掟を最も表すのがまさに「家族」「夫婦」なんですね。だから、聖家族がそうだったように、家族とは最も小さい教会なのです。自分達がキリストと教会の間にある愛の似姿という認識が必要です。

ちなみに、この秘跡を受けるには条件が3つあります。(もちろん、堅信を受けているキリスト者ということは当然なのですが)

  1. 自由な同意
  2. 生涯にわたり、唯一の相手であることの確約
  3. 子どもの出産に開かれている事(家庭を作る事

 

前に、ある有名人が離婚した時に「家族は作れたけど、家庭は作れなかった」と、記者の質問に答えていました。
私達が作るべきは、家族ではなく、家庭、最も小さい教会だということを忘れないでください。
信者の家族には、イエス様がいらっしゃるのですから。
「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである(マタイによる福音書18:20)」

 

教会は建物のことではなく、私達信者の集まりを言うと前に勉強しましたね。
そして、教会も「秘跡」であるわけですから、私達自身から「神の愛を感じる存在」でなくてはいけません。
叙階・結婚の秘跡は、それを強めます。祈り、イエスの声をきき、イエスに従って行きましょう。

 

 

 

今月のテーマ 2

● 四旬節 ●

 

 

時間もないので、大事なところだけ、話します。

四旬節は、四旬節は46日前から始まります。主日が6回入るので40日になりますね。実際は、聖週間の木曜日の日没まで(カトリック教会の1日は日没から始まる)で四旬節は終わりますから、43日間が四旬節ですね。
祭服は、回心を示す紫色」のものとなり、栄光の賛歌やアレルヤ唱が歌われません。(受難の主日では、殉教を示す赤い祭服が着られます)栄光の賛歌やアレルヤ唱は、お祝いを意味する歌ですから、受難を黙想するこの時期には相応しくないからです。

四旬節は、イエス様のご復活を準備する機関であると同時に、初代教会の頃から、洗礼を準備する期間とされてきました。
イエス様のご復活を祝う復活祭(復活の聖なる徹夜祭)に洗礼を受けるのが相応しいとされてきたからです。
なので、信者、そして、求道者は、四旬節の間に以下の事が求められます。

  1. 自らの洗礼を思い起こす。そして、洗礼志願者を共同体に迎い入れる準備をする期間。洗礼志願者のため、共同体のために祈る期間。
  2. 求道者は、しかるべき主日に志願式を行い、志願者となる。自らがキリスト者になる準備を行う。

 

その為に、四旬節の朗読箇所も設定されています。

主日 テーマ
灰の水曜日 回心して福音を信じる
四旬節第1主日 回心への導き
四旬節第2主日 イエスはキリスト、神の子である
四旬節第3主日
四旬節第4主日
四旬節第5主日  火(命)

 

四旬節第3主日、第4主日、第5主日は、特に洗礼志願者のための主日とされています。
復活の聖なる徹夜祭のなかでテーマとしておかれる「水(洗礼)・光(神・復活)・火(復活ろうそく)」を、それぞれ1つの主日ごとにテーマとしておかれ、私達が、より深い理解のもと、受難・死・復活という過越の神秘を味わえるように準備されています。
みんなは、求道者の高校生を、「キリスト者として」「私達の共同体」にどう迎い入れるか、もう1度考えてみてください。そして、無事、洗礼、そして、私達の新しい兄弟姉妹となるようにお祈りして下さい。

四旬節は、本当に大事な時期です。
イエス様の受難・死・復活という私達の希望の根源をもう1度振り返る時期です。
イエス様が、洗礼を受けた後、40日荒れ野で過ごしたお話をもう1度黙想してみましょう。

この40日間「祈り・断食・施し」という3つのことを私達は求められています。
イエス様が、40日荒れ野で過ごした時にそうされたようにです。

人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」(申命記8章3節)

悪魔の誘惑を受けた時、イエス様はこう仰いました。
神様に祈り、本当に必要な分だけを食べ、他はそれを本当に必要にしている方々、そして、神様に捧げる。四旬節の節制(祈り・断食・施し)は、そういうことを意味します。
それはまさに「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」「隣人を自分のように愛しなさい。」というイエス様が教えてくださった最も大事な2つの掟を守る事そのままですね。

共同回心式もありますが、みんなも四旬節中にゆるしの秘跡に与りましょう。イエス様のご復活の時に、相応しい自分でいましょう。

 

わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい

このイエス様の言葉の意味をもう1度味わいましょう。
これから始まる四旬節を通し、キリスト者として、そして、何より新しい仲間を迎い入れるという事をもう1度考えてみましょう。

 

それでは、最後に主の祈りを唱えて、終わりにします。

 


 

来月の勉強会は3月4日、9時15分から行われます。
筆記用具をもって、集合して下さい。来月は、今年度最後の勉強会です。是非観んな集まってください!