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 前回のブログから8か月になります。世界中の国々でコロナウイルス拡大の影響でたくさんの方が苦しみ、悲しみ、私たちの生活は一変してしまいました。新しい生活様式なるものが、私たちの日常となりつつあります。

 学校に行けるようになっても「今まで通り」とは行かないことばかりだと思います。教会にも長い間来ることができませんでしたね。でも神様はずっと「今まで通り」私たちを見守っていてくれたと思います。

   教会もお休み、もちろん教会学校も開けませんでした。その中で5月には『いのちのことば 聞いてみよう』というイエス様のみ言葉集を作り、皆さんに送りました。これを音読してイエス様の思いに少しずつ触れていきましょうというものです。皆さんからは心に留まったみことば、好きなみことばを送ってもらいました。ありがとう。今でも音読、続けていますか。忘れていた人はまた、始めてくださいね。

 8月に皆さんにお手紙を出しました。聖母被昇天の祝日と終戦記念日のある平和旬間に世界平和への祈りを込めてそれぞれのおうちでロザリオをしてもらいました。一連唱えたら折鶴1個作って教会に送ってもらいました。そして届いた折鶴をロザリオにしました。

 10月はロザリオの月です。教会入口入ってすぐ右側に飾ってあります。ぜひ見てください。

これからも神様に信頼してこの状況がよくなるように、祈り続けましょう。




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今日も「教会学校はじめの祈り」で始まりです。

「♪忘れないで」を歌いましょう。

今日は歌詞を音読して、その意味を感じながら歌いましたね。

 2番の歌詞 🎶 離さないで、胸の中のみことばを 🎶

 み言葉をたくさん学んでこの歌詞のように、ひとりひとりが自分の胸の中に大切なみ言葉を

 持てるといいですね。

さて、今度の水曜日、2月26日は何の日でしょうか?

灰の水曜日です。

皆さんが持って来た昨年のシュロの枝を典礼委員の方が燃やして灰にしてくださいました。

その灰を灰の水曜日の日に「あなたはちりから生まれ、ちりに帰る」と神父様がおでこに灰で印します。

そしてこの灰の水曜日から四旬節が始まります。「旬」とは、十日間を表します。なので四旬節は

40日間の事です。日曜日を含めると46日。6回日曜日があります。四旬節の終わりの方にイエス様が

十字架につけられて死んでしまわれる受難の日が来ます。イエスさまの苦しみを思って過ごすのが、

この四旬節です。

ではこの灰にはどんな意味があるのかな?

灰には過ちを改める、悔い改める意味があります。

四旬節の間は、特に三つの事を大切にしなさいと言われています。「ごめんなさい」「愛の行い」「祈り」です。自分を振り返り、悪いことをしてしまった相手に対しても、また、いつもどんな私達をも絶えず愛してくださる神さまにも「ごめんなさい」します。ゆるしの秘跡ですね。

またこの期間、たとえば、大好きなものを我慢するという断食をすることもあります。でも、食べ物を我慢するだけが断食ではなく、困ってる人に積極的に手を差し伸べたり、周りの人にやさしくすることも断食だと神様は言われます。

最後は「いのり」ですね。この期間によく行われる祈りが「十字架の道行」です。これは、イエス様が死刑を告げられて、十字架を背負いながら十字架につけられる場所まで行かれ、そこで亡くなるまでを14の場面で思いえがきながら祈っていくものです。一度なかのみんなでやりましょう。

さて、四旬節の中の6つ目の日曜日を、受難の主日(枝の主日)といいます。今年は4月5日です。

新しい枝を持って枝の行列をしますよね。

翌日の4月6日からご復活に向けて大事な聖週間となります。

その中で聖木曜日には洗足式があります。(イエス様が弟子たちの足を洗います)

聖金曜日はまさにイエス様が十字架につけられ、午後3時に息を引き取られました。

聖土曜日復活徹夜祭では、光の祭儀からミサが始まります。イエスさまが死んで真っ暗闇だと

思っているところに、イエス様が復活されて闇の中にぱあーと光が輝きます。復活徹夜祭は喜びにあふれます。

そして日曜日、4月12日は復活の主日です。四旬節についての話はおしまいです。

 

それでは今日のミサの福音(マタイ5:38~48)の後半を見ていきましょう。

聖書を読むと、イエス様の話を聞いた人々は非常に驚いたと、書かれているところがたくさんあります。

今日のイエス様の話もみんなビックリしたと思います。イエス様は「わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」と言われました。

どうしてビックリしたのでしょうか。

「隣人を愛し、敵を憎め」というユダヤ教の教えを守ってきた人々にとって、

敵を愛し、自分を迫害するもののために祈りなさい」

という、イエス様の教え(神様の思い)は驚きでした。

 
では、なぜこのようにイエス様は言われたのかというと、
「あなたがたの天の父の子となるためである」と。さらに、
「あなたがたの天の父が完全であられるように あなたがたも完全なものとなりなさい」とも言われました。
 
これを聞いてどう思う?自分を迫害するもの、敵の為に祈ることができそう?
…ビックリ…むずかしい…きびしい
そうですよね。難しいよね。
 
 
 それではイエス様は、みんなちゃんとやるんだよと言って天の高みから見ているだけなのかな?
どうもそうではないみたいです。
 イエス様は、人間にとっての八つの本当の幸いについて話されたことがありました。その第一番めの幸いが
「心の貧しい人々は幸いである、天の国はその人たちのものである」というものでした。
日本語で心が貧しいというと何か悪いイメージがあるけれど、聖書では神様に頼る人、自分は何でもできる、自分は偉いと思うのではなく、神様の前にへりくだって、どうしたら良いでしょうと神様に聞く人の事ですね。
神さまに頼るのですよ。またある時こんなことも仰いました。
イエス様が、弟子たちに「金持ちが天の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」と言われ、弟子たちがびっくりして、それでは誰が救われるのだろうと言った時、「人間には出来ないが、神は何でも出来る」と言われました。神様は私たちの心が弱くて、中々できないことを十分わかっておられます。
だから、神様は私たちが神様に祈り願うことを待っておられるのです。願い求めるとやれる力を下さいます。
「完全なものになりなさい」とイエス様はおっしゃるけれど、私たちが自分の力でやりなさいとはおっしゃってはおられないのです。
そう考えると、完全なものになり天の父の子になれそうですか?どうかな?
人間には出来ないが神には出来るとイエス様はおっしゃっているので、お祈りの時に願いましょう。
お祈りする時は、自分の気持ちを素直にイエス様に伝えましょう。「意地悪するあのお友達は嫌です。でもあのお友達のために祈ります。その力をください」と祈ると良いですよ。そうするとそのお友達の事が段々嫌ではなくなってきます。神様がそうしてくださいます。
この四旬節、心貧しいものとしていつも神様に祈っていけば、少しづつ完全なものになって行けそうかな。
それではもう一度、♪忘れないでを歌って最後アヴェマリアの祈りをして終わります。
 
 



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「教会学校始めの祈り」をして、始まります。

3月になると、6年生は卒業ですね。中学生になると勉強、部活で忙しくなり、教会に来られないこともあるかもしれません。

でも、神様は見ていてくれています。今日はそんな歌を歌います。

みんなで「忘れないで」を歌います。

  🎶 だけどいつか激しい嵐が 君のほほえみ吹き消すでしょう。

                    だからいつもはなさないで胸の中のみことばを 🎶

みんなは胸の中にどんなみことばを持っている?   ……

中々すぐには出てこないみたいですね。お母さんたちは? 「この小さなものにしたことはわたしにしてくれ

たことだ」 「愛し合いなさい。赦しなさい」 「神様はどんなときにも道を用意していて下さる」

色々でてきましたね。胸の中に御言葉があると、つらい時も乗り越えられます。みんなもこれから胸の中にイエスさまの言葉を持てるようにイエスさまの行いや言葉を学んでいきましょう。

今日のお話は、「ぶどう園の労働者」のお話です。

イエスさまは天のお父様がどのような考えを持っておられるか、みんなに知ってほしいと色々なたとえを使ってお話しされました。そのたとえのひとつが今日の「ぶどう園の労働者」の話です。

主人がぶどう園で働いてくれる人を探しに、夜明けに出て行きました。1日1デナリオンの約束で働く人を雇いました。1日1デナリオンというのは、この当時の1日の普通の賃金ですね。

主人はさらに9時にも出かけていき、同じように働く人を雇いました。12時と3時にも出かけて、同じように働く人をぶどう園に連れていきました。

 

 この主人は夕方の5時頃にも出かけていくと、仕事をもらえず一日中立っている人がいたので、この人もぶどう園で働くために連れていきました。

さて、一日の労働が終わり賃金の支払いが始まりました。賃金はだれが一番始めににもらったでしょうか。夜明け前から働いた人からでしょうか。そして、みんな、いくらもらえたでしょうか?

・最初の人からあげる

・最初の人に1デナリオンで、最後の人に0,5デナリオン

色々な考えが出ましたね。

聖書にはなんとあるでしょう。

最後に雇われた人から順に、みんなに1デナリオンづつあげた、とあります。

朝から働いていた人も、夕方から働いた人も同じ賃金をもらいました。?と思いませんか。

最後にもらった人は、夜明け前から働いた人でした。夕方からちょとだけ働いた人が1デナリオンだったから、自分はもっともらえると思いました。みんなもそう思わない?そう思うよね。それで、この朝から働いた人は主人に文句を言いました。すると主人は、

「あなたと1デナリオンの約束をした。ちゃんと約束は守っている。わたしは最後に来た者にも同じように払ってやりたいのだ」と言いました。

神さまの考えはわたしたちの考えとはずいぶん違うよね。神様は何を見ておられるのかな。

夕方まで仕事がもらえずにいた人は、どんな気持ちだったでしょうか。

そして1デナリオンもらえた時はどんな気持ちだったでしょう。

日が暮れそうなのに仕事がない、仕事がないとパンを買うお金がない、家族になんと言おうと困っていたかもしれませんね。やっと雇ってもらえて、しかも1デナリオン!もらえた。この人はたくさん感謝したでしょうね。

苦しんでいる人にいつも目を注ぎ、分け隔てなく恵みをくださるのが神様ですね。

「わすれないで」をもう一度うたいます。

 

お祈りをして終わります。

また来週元気に集まれますように。

 
教会学校の時間に保護者会が開かれ、卒業式について話し合いました。
 

ミサ後に献金のお手伝いをしました。

 




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教会学校はじめの祈りをして今日も元気にスタートです。

お祈りの紙を見なくてもスラスラ言えていましたね。

 
今日は楽しみなレクの日。ゲームをして楽しみましょう。
 
 
鬼ごっこのルールの説明がありました。みんなしっかり聞いています。
 
 
お行儀が良いですね(^○^)
 
 
鬼と逃げる子を1人ずつ決めます。それ以外の子は数人ずつに分かれて座ります。
逃げる子がどこかの列の最後に座ったら、その列の先頭の子は立って鬼から逃げます。
鬼は逃げる子がどこかの列に座る前にタッチします。
 
 
よーく見てないと、自分が走る番だと気づかずにタッチされてしまいます。
 
 
よく動きましたね。暑くなりました。
 
 
最後に主の祈りを唱えて終わりました。
また来週、元気に集まって下さいね。
 



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 「教会学校はじめの祈り」に続き、「神様といつもいっしょ」を歌い、教会学校が始まりました。
 

今日、「ありがとう」の出来事はありましたか?

「朝、ステーキだった!」

「お母さんが教会に来られた」

「元気だったこと」

「晴れてること」

たくさんの「ありがとう」が聞かれました。

 

いつも神様がいて下さって、感謝することがいっぱいです。

「ありがとう」とわたしたちが言うと、だれが喜ぶ? そう、神様ですね。そして今度は

わたしたちの心が明るくなる。神さまの喜びがわたしたちに伝わり明るくなる。これが神様とわたしたちの交わりです。

何でも当たり前と思っていると、神様がわたしたちのために働いていて下さることに気付かない。

神さまの働きに気付けるように、いつも神さまにありがとうと言いましょう。

 

さあ、今日は2月2日、何の日か知っていますか?

 

「主の奉献」の日です。

エルサレムの神殿に、イエスさまが捧げられた日です。マリア様とヨセフさまは、お生まれになって40日が経ったので、イエスさまを天のお父様におささげになったのです。

山鳩一つがいも一緒に捧げられたんですよ。これは貧しい人の捧げものです。

当時のイスラエルは、富んでいる人と貧しい人との差が大きくて、多くの人は苦しんでいました。苦しむ多くの人を救ってくださいといつも祈っていたシメオンと言う人がいました。シメオンは

神殿でイエスさまを見て、「救い主が現れた!」と気づき喜びました。

84歳になっていたアンナも、ずっと神殿で断食したり祈っていましたが、イエスさまを見て

喜び、人々に告げ知らせました。

 

わたしたちも、今日自分を神様に捧げましょう。

神様に捧げるのだから良いことでなければと思うかもしれません。でも、良いことも、悪いことも全部捧げましょう。全部ささげると心が空になります。そこに神さまの恵みがたくさん入ってきます。

天のお父様に捧げられたイエスさまは、「たくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた」(ルカ2:40)とあります。

わたしたちも神さまの恵みに包まれていきましょう。

今日は一人ひとり人形を作り、それを自分に見立てて、おささげしましょう。ミサの後で

祭壇におささげします。

折り紙で作るもの、紙コップで作るもの。

どちらもかわいいですね。頑張って完成させました。

 

もう一度、「神様といつもいっしょ」を歌います。

最後に「主の祈り」を唱えて終わりました。

 

ごミサの後には、みんなで祭壇に捧げました。

 「わたし、…は神さまに自分をおささげします。」と言いながら。